第2話
――――ガガガ……ピ……ガガ……
「駄目か」
ミソラは天を仰いだ。
腕時計に組み込まれた通信機は、遮る物がないこの崖で何度試してみても役に立たない。
後は、もう一つ組み込まれている発信機を頼りに迎えが来る事に賭けるしかないだろう。
(5分5分か)
来るなら厄介な事にならないうちに早くして欲しいものだ、とミソラは思う。
ミソラは自分の軍での立場を理解していた。
数年前の世界大戦でミソラの部隊は敵国への夜襲に新型の生物兵器を使った。
多くの犠牲を出しながらも作戦は成功しミソラ達は国を勝利に導いたのだが、無名の科学者が作ったといわれる”ソレ”は思った以上に非人道的な効果を示し敵国へ甚大な被害と恐怖を与えた。
大戦が終わって、世間から”ソレ”を使用した判断に疑問を持たれるのは当然の世の流れだ。
軍はバッシングされ、直接上からの命令で動いたミソラの部隊は名指しで衆目に晒され仲間は皆バラバラに別の部隊へと配属されていった。
しかし、そこで待っていたのは同じ軍人仲間から向けられる侮蔑の視線。
懲罰を恐れて表立って言ってくる者はいなかったが、その視線は”人でなし共”と明確に語っていた。
その頃すでにミソラ達は軍の厄介なお荷物だった。
例え上に立つ者や自分達軍人への非難を肩代わりさせるのに便利な存在だったとしても、だ。
だが皮肉なことに黒幕連中の名前と真実を知っているミソラ達を軍は野放しにはしなかった。
世間には公表されていないが、最後まで”ソレ”の使用に否定的だった反対派トップのミソラの部隊長が前日の夜心臓麻痺で急死するなど出来すぎではないか。
ミソラの部隊には馴染みのない新しい隊長が就任したが、指揮系統が混乱した状態のまますぐに上から命令が下された。あの夜生き残れたのは奇跡だと今でも思う。
しかしその時生き残るべきではなかったのだ。
生き残ったミソラ達は口封じするには数が多く、軍は目の届くところで監視する道を選んだ。
負傷者の退役すら認められず、軍を表立って批判した仲間の何人かは謂れのない罪や事故を装って殺された。
念入りなこってとミソラは軍の連中を嗤う。全く馬鹿馬鹿しい話だ。
そもそも自分達は軍人として命令を遂行しただけだ。
信頼してた隊長を失い個人としての思惑はあれど、あのお互いの命を背負いあった混乱した戦場でミソラ達に命令されたことをやる以外何が出来たというだろう。
なのに命令を下した責任者――軍のトップ集団の実態は自分のケツも拭けないチキン共ときたもんだ。
戦争を終結させた英雄として持ち上げられていた時は我先にと神輿に乗りたがっておいて、逆風が吹いた今では『自分』は無関係だと嘘で固め、責任をミソラ達や死んだ部隊長に押し付けたまま自己保身に奔走している。
その癖、軍はいつ死んでもおかしくないような危険な任務ばかりをミソラ達に宛がっていた。
飼い殺し。
その言葉はもう聞き飽きた。
ならばいっそのこと一気に全員殺せばいいのだ。
なのに、奴らは大量死を演出するのは危険だと考えているのだろう。
世間に不審を抱かせないよう、列に並んで順番に死ぬことだけをミソラ達は期待されている。
死線を共に乗り越えてきた仲間達は見えない力に押し潰され、生きることに絶望し――――。1人2人と掬った水が零れるように欠けていった。
逃げ出したくても逃げられない現実の中、ギリギリの状態でミソラ達は生きていた。
今回の事故で狙い通りミソラが死んでいるなら良し。
だが、ミソラが生きているならば放っておくのは拙いと上は判断するだろう。
こちらから連絡を取ってやる必要はないのだが、取らなければ軍規違反と理由を付けられとっとと処分されるだけだ――嬉々として。
親や親戚からも見放され居場所のないミソラは、今更命を惜しむつもりはない。
だが、人に踊らされて死ぬ気もない。
死ぬなら任務で。
軍人として一つだけ残ったミソラの矜持だ。
「ミソラ、またここに居たの?」
「ライコ」
木の枝から飛び降り、満面の笑みで駆け寄って抱きついてくるライコに私は苦笑した。
2m越えのデカイ図体の癖に、窮屈に体を折り曲げてまでミソラの胸に擦り寄ってくる。
「ほら。こんなに葉が付いてる」
大人しく頭をミソラに向けるライコ。
ミソラは一枚づつ長い金髪に絡んだ葉を取り除いてやった。
(……時々尾を振る犬に見える)
今もパタパタと見えない尾がちぎれるように振られている。
外見は鳥なのに、と腕飾りの尾羽を揺らしながらミソラは笑った。
この島へ来て2週間。
この男、ライコとの付き合いも2週間だ。
今では友好関係なるものを築けているが、最初は押し倒されたり痛めつけられたりと散々な日々だった。
男がミソラが抵抗しなければ乱暴な事をしないと判断するまで1日。
隙あらば押し倒そうとするライコのかわし方を覚えるのに更に2日。
この島の情報を得るのに1週間を費やした。
危険な動物が少なく鳥達の楽園であるこの島は、文字通り”楽園”という名前だと言う。
地図上のドコにあるのかライコは知らない。
ライコはこの島で父と2人だけで暮らしていた。母の顔は覚えていないと言う。
その父はライコが12の時に死んだ。
それからずっと一人。
言葉を忘れないよう鳥に語りかけたり、魚や小動物を狩ったりと父の教えを守りながらライコは生きてきたようだ。
意外にもライコはミソラがこの島から飛び立とうとしない限り島の南側では自由に過ごして良いという。
ライコは実に興味深い男だった。
彼は自分のルールに則ってこの”楽園”を統べている。異常がないか小さくもない島中を見回るのもライコの日課の一つだ。
だからその間こうしてミソラ1人で息をつける時間があるのは助かる。
だが、どこにいてもミソラを見つけ出すライコの天才的な嗅覚には少しだけ面白くないと不満を持っていた。
「番の匂いぐらいどこにいてもわかる」とライコは誇らしげだが、ミソラはまだ、番と言われることに慣れないし認めていない。
何故こんな勘違いをされるのか。
ライコの父は死ぬときに言ったらしい。
”いつか、神がお前の元へ天から番を授けてくれるだろう”と。
今わの際、一人になる息子を慰めるための優しい嘘だろうが迷惑な話だとミソラは思う。
ライコは毎日神に番が欲しいと祈りを捧げ、それが聞き入れられたと信じている。
見たこともないパラシュートで空から降りてきた場面をしっかり見られているからには当然の成り行きだ。
どれだけミソラが「事故だったのだ」と話してもライコは首を捻るばかりで理解できない。
ある日「翼、切ってしまったんだな」と真顔で言われた時には開いた口が塞がらなかった。
その後「俺も翼はないけれど、お前を抱えて飛ぶことは出来るから安心しろ」と言われ高い崖から実演されて目を回した。
そんな事が続けば、ミソラもライコを説得するのは諦めた。
ライコを殴って言い聞かせるわけにもいかないし、どうせ返り討ちされるのはミソラの方だ。
ライコは良い意味でも悪い意味でも強く純粋な男だった。
「ミソラ」
ライコが私を抱き寄せた。
自分の足の上にミソラを向かい合わせに座らせる。
背中を丸めてコツンと額を合わせてきたライコは蕩けるような顔をしていた。
ライコはスキンシップが大好きなのだ。抵抗しても無駄なのは身に沁みている。
ミソラミソラと名を呼びながら頬ずりする彼に、ミソラは彼の孤独を思う。
ミソラはため息をついてポスンとライコの胸にもたれかかった。こうすればライコが大喜びするからだ。
果たしてライコは歓声をあげミソラを抱きしめ、彼女の温もりを存分に味わった。喜ぶライコの顔を見るのは悪くない。
好きにさせておくとしばらくの間、髪を撫でたり腰を揺らしたりしていたがそのまま唇を重ねようと寄せてきたので手で押さえる。
「まだ発情してない」
その言葉を聞くなりライコが目を潤ませた。
「ミソラの発情期はいつ来る?」
「もう少しかかる」
「じゃあ、せめて口移しはいい?」
「断る」
ライコは癇癪を起こしてミソラを膝の上から転がすと飛んでいってしまった。文字通り枝に飛び乗り、飛んでいくのだ。
ミソラは再びため息をついた。
出会った頃に感じた恐怖はもう感じない。
ライコから必要以上に苦痛を与えられたり威圧されたのは、どちらが上かを叩き込むためらしい。
ミソラは軍で拷問方法や捕虜の扱い等も一通りレクチャーされていたから、素直に原始的なライコのルールを受け入れ許した。
自分でも出来るとはいえ寝床も食べ物も用意してくれ、マメに世話してくれるライコは嫌いじゃないし、むしろ可愛い。
この島でライコの保護は必要なのだ。
だが、彼は思春期を鳥と過ごしたせいなのか人間の性と鳥の性を確実に同一視している。
スキンシップが好きなのはいい。ミソラの気を引こうと歌ったり踊ったりするのもまだ許せる。
しかし、ライコは出会ったその日から咀嚼した食べ物を口移しでミソラに与えようとするのだ。
求愛行動らしいが、両手を拘束されて洗礼を受けたミソラは今でも思い出すと気分が悪くなる。
(やはり勝算は薄いがもう一度挑戦すべきか……)
生娘ではないミソラは、一度正しい人間の性教育をライコに施そうとしたのだが――。
「なぜ?」「どうして?」と無垢な瞳で繰り返し聞かれてしまうと、こちらが気まずくなり途中で匙を投げてしまう。
見た目だけは立派な成人男性に良い年した女が、めしべとおしべの話をするのだ。
やはり実践が一番なのだろうか……。ミソラの最近の悩みだ。
セックスなど命令があれば誰とでもこなす、ただの運動だとミソラは思っている。
だが、ライコの裏表のない純粋なところを目にするたび擦り切れ汚れた自分が触れるのは躊躇われ、どうしても一歩を踏み出せなかった。