Ⅲ.絞り取られた者《スクイーズド》1
青年は戸塚修一と名乗った。
東京の大学に通っていたが、一昨年中退してこの村に帰って来たのだという。以来、家の農作業をたまに手伝う程度で、ほとんど自室に籠もりきりでゲームやインターネットをする毎日だったという。
「ひ、引きこもりのニートだよ」
ようやく落ち着いて来た青年は自嘲してそう言った。
「お、俺は、あ、あんまり、そ、外には出たくないんだ」
三沢一士は戸塚の隣に腰を下ろして、やや慣れ慣れしい口調で訊ねた。
「ほんならやー、知っとる範囲でエエから、話してくれへん?」
一木曹長は立ったままで戸塚の言葉に注意深く耳を傾けていた。本棚はマンガだらけで、床にはパソコンゲームのカラフルなパッケージがいくつも山になっていた。オタクというやつかな、と一木は思った。
四谷陸士長は部屋の外に立って警戒に当たっていた。
「ゆ、夕べから、へ、変だったんだ」
戸塚青年は落ち着きの無い口調で話しはじめた。
「ゆ、夕べの、は、はち、八時半頃だったと思う。へ、部屋でネットゲームしてたら、き、急に電気が消えたんだ。パ、パソコンも。さい、最初は停電だと思ったんだ。でも、違う。お、俺のノートパソコンはバッテリー駆動なんだ。なのに! と、止まったんだ! 止まったんだよ! 」
再び興奮し出した青年の背中を、三沢はぽんぽん、と軽く叩いた。
「自分、落ち着きーや」
「そ、そしたら、真っ暗の中で、ぼ、防災放送が聞こえて来たんだ」
「防災放送?」
「そ、そう。い、いつも通り、ピンポンパンポーン、てチャイムが鳴って、そ、それで、それで」
「どないなこと言ってたん?」
「へん、変なこと言ってた」
「なんて?」
「ひ、『光の日が来ました』て」
「光の日?」
「そ、そう。す『すばらしい光の日です』、み『みなさん、光を見ましょう』、あと、ひ『光はすぐそこにあります』とか」
戸塚は何度も唾を呑み、唇を舐めた。
「そ、その後、なにかが光ってた。そ、外が。そ、それで、い、家のモンがしゃべってる声が聞こえた。あ『ああ、光ってる』、な『なんか飛んでるよ』て聞こえた。で、でも」
喘ぎ、
「お、俺は怖くて、部屋を出なかった。ふ、布団を被ってた。そ、そしたら急に声が聞こえなくなって。ただ、げ、玄関を開ける音とか、聞こえて。あ、あと、外を歩く音が。それで、お、俺は、窓を少し開けて、そ、外を見て見た」
大きく息をついて、
「空が光ってた。昼間みたいに。なんか光ってた。それで、と、父ちゃんと、か、母ちゃんと、ばっ、婆っちゃんが。お、弟の修次も外に。で、でもおかしい、みん、みんなおかしいんだ。く、靴も履かないで。そ、空を見上げてた。そ、それで、あ、歩いていたんだ。の、のろのろ、のろのろ、は、裸足のまま」
「・・・」
あまりに異様な話に一木と三沢は顔を見合わせた。
「そ、そのまま、み、みんな、ど、どっかへ行っちまった」
戸塚は話し続けた。
「そ、それで、ゆ、夕べはずっと布団を被ってた。ね、寝られなかった。ね、寝ようとすると、ひ、光が射し込んできて。よ、夜なのに、夜なのに。ま、窓や家が、ガタガタ鳴って、ひ、一晩中だよ! な、なんであんな、あんなことが」
うつろな目で言い募る。一木は、この男は正気を失っているのではないかと疑い始めていた。
「そ、それで、あ、朝になったら、で、電話が」
「電話て?」
「きゅ、急に鳴り出して。じゅ、受話器を取ったら、こ、声が。み、耳に当てなくても聞こえるくらいの、お、大きな声で」
戸塚は何度も唾を飲み込みながら、口をパクパクさせた。
「む、『迎えが来るから』って。あと、ひ『光の日がはじまります』、あ『あなたも一緒に』て」
三沢は困惑の態で一木を見上げた。
一木は戸塚に向かって、
「聞きたいことがあるのだが。いいかな」
青年はぼんやりとした表情で一木を見上げ、頷いた。
「昨夜の防災放送と、今朝の電話の声に聞き覚えは? 同じ声だったかな」
戸塚は目をしばたたかせて、
「わ、わからない。同じ声だったかも。たぶん、りょ、両方とも女の声だったと思う・・・だ、誰の声かは、ぜんぜん」
戸塚青年は続けた。
「そ、それで、電話を切ったら、そ、外から、か、関西弁で『誰かいないか』、て声が聞こえて」
一木はハッとした。それではついさっきまで電話は通じていたのか。
「電話はどこに。まだ通じるのか」
返事の代わりに、戸塚は毛布の中からコードレスホンの子機を取り出した。一木は受け取ると通話ボタンを押す手ももどかしく耳に当てた。
子機からは一本調子の電子音が聞こえていた。
§ § §
熊谷一佐はディスプレイの地形照合図と紙の作戦地図を見比べながら腕組みをしていた。
「八俣くん」
「はい」
制御卓をのぞき込んでいた八俣一尉は顔を上げて応えた。
「なんでしょうか」
「《搾り取られた者》どもはまだ見つからないのか」
「今のところはまだ。《プレデター1》による《領域》内の精密走査は達成率60パーセントというところです」
「まさか《領域》外へ逃げられたのではあるまいな」
「あり得ません。《封じ込め》は機能しています。《RCV-6》の侵入だけが例外です」
「なら良いのだが。しかし」
熊谷がそう言いかけた時、通信卓の女性自衛官が報告した。
「熊谷指揮官」
「なんだ」
熊谷は厳しい表情を通信担当の女性自衛官に向けた。
「外線で電話が入っています」
「外線だと。一般回線か」
「はい」
「作戦中だ。後で掛け直すと言え」
不機嫌そうにそう告げる。
「ですが」
「なんだ」
怒鳴りつける寸前の熊谷の口調にも動ぜずに女性自衛官は事務的に告げた。
「RCV-6の一木曹長と名乗っておいでです」
熊谷と八俣は顔を見合わせた。
§ § §
一木はコードレスホンを強く握っていた。
電話はすぐに繋がった。作戦指示書にあった番号は間違ってはいなかったのだ。
女性隊員に所属と姓名と階級を申告し、報告したいと告げると、少し待つように言われた。
ややしてコードレスホンから落ち着いた男性の声が聞こえた。
「統合指揮官の熊谷一佐だ」
指揮官? なんだってそんな偉い人に繋がるんだ。一木はそう思い、戸惑いながらも、
「三偵RCV-6の一木曹長であります」
「本当に君か」
「は? ・・・はい、自分です。実は無線、A-Recs共に不通のため、直属部隊と連絡が取れなくなりました。本作戦は統合指揮とのことでしたので、直接電話をいたしました」
「・・・よい判断だ、一木曹長」
そして背後の誰かに(信じられん、奇跡だ)と告げる熊谷の声が小さく聞こえた。
「それで、全員無事なのか」
「はい。七名とも無傷です」
「なに? 」
「途中で民間人を発見して保護しています」
「ど・・・RC・・・聞こえ・・・」
「熊谷指揮官どの? 電話が遠いようですが」
「もうい・・・6、すぐに・・・ろ。繰り返・・・村を・・・だ」
だが、それきり電話は沈黙した。接続音すら聞こえなくなっていた。
§ § §
「はい。七名とも無傷です」
「なに? 」
「途中・・・発見・・・保護して・・・す」
「どうした、RCV-6。聞こえないぞ」
「・・・揮官どの?・・・遠い・・・が」
「もういい。RCV-6、すぐに村から出ろ。繰り返す。村を出るのだ」
「・・・・・・」
「どうした、RCV-6。応答しろ。一木曹長!」
「・・・・・・」
「切れた」
熊谷は忌々しげにつぶやいた。受話器を置くと、
「《プレデター1》をさっきの家の監視に戻せ」
「ですが、《領域》内のスキャンがまだ」
「かまわん。《RCV-6》の現状確認が最優先だ」
「はい」
八俣は制御卓に一連のコマンドを打ち込んだ。入間基地で《プレデター1》を操縦しているオペレーターに直通指示を伝えたのだ。
COM/P1/RET/ORI/P03A/STY/SVY/EXE
ほどなく、ディスプレイに入間からの返信が、やはりコマンドラインで表示された。
RAG/CMS/RET/RDY/SVY/COM
八俣は無機質な記号の連なりを翻訳して報告した。
「《プレデター1》は旋回中。まもなく映像が来ます」
「そうか」
ディスプレイの表示は続いていた。
SVY/RGL/74/NGY/COM
「それと、《領帯》内の精密走査達成率は74パーセント。《搾り取られた者》は未だ発見ならず、とのことです」
熊谷は頷くと、
「それでもいい。とにかく早急な確認が必要だ・・・そうだ、《封じ込め》各部隊に至急確認。他に行方不明者がいないか確認だ」
「はい」
各部隊へ照会の指示を出すと、八俣は、
「どう思われます? 『七名無事』という報告ですが。RCVの定員は五名のはずです」
「員数外の隊員が同行していたのかもしれん。もしかするとあの戦車跨乗は単に余剰人員を乗せただけだったのか。あるいは」
「あるいは?」
「連中、そうとは気づかずに《搾り取られた者》を拾ったのかもしれんぞ」
熊谷のこの言葉に、八俣は思わず口走った。
「まさか。それじゃ手遅れです」