2・丘を見る司(1 則の司)
則の司の館は、都の中央の広場に面している。夏ごとに行われる、七日間続く夏至の祭りの中心となる場所が、この広場だ。
広場は、今より人の少なかった昔は、都に住む人々を全員収容できたらしい。
広場の西から南にかけて、競技場の観覧席のように、扇形に階段状の石壁がそびえていた。これらの席は、かつて都の政に住民全員が参加していた時代のなごりだと言われている。
そのころは、何か決めごとがあるとき、住民が皆ここに集まったのだそうだ。集まった人々は、磨いた金属片を手にして、決めごとに賛成ならばそれを高くかかげ、陽の光にきらめかせたという。太陽の方向を考えると、そういう集まりは朝のうちに開かれたのだろう。
太陽は東から、丘の方角から昇る。
則の司は、館の最上階にある自室で窓から外を見ていた。夕暮れ時で、丘はしだいに青みを増す宵闇の中で暗い影になっている。
丘を見ると、妙な胸騒ぎを覚えることがある。
それは、子どものころからだった。司は都の生まれだから、小さいときから丘はいつも近くにあった。
そして、丘には「砦」があった。
今日はいつになく、朝から丘の方角が気になってしかたがない。まるで、丘から(それとも、砦から?)彼にしか聞こえない心を搔きむしるような歌が流れてきて、なのにその歌詞がどうしても聞き取れないでいるような気持。
何が自分をこんな気持にさせるのか、それがわかれば克服できる、と司は思う。気になるのは、わけがわからないからだ。
司は、小さいころから賢く、勘の鋭い子どもだった。学問でも、工芸の手法でも、楽器の奏法でも、手ほどきを受ければすぐのみこんで、ある程度こなせるようになる。好き嫌いも、得手不得手もあるにはあったけれど、やることの多くが人並み以上にできた。そして、それほどの才能と、実績に裏打ちされた信頼とで、まだ壮年のうちに司になった。
司は、ふと顔を上げて窓辺を離れると、扉に向かった。扉を開くと、弟子のひとりがそれを叩こうと手を上げた姿勢で、びっくりしたように司を見た。
「どうした?」
司は尋ねる。彼は、誰か来た気配を察して、扉が叩かれるより先に開けてしまうことがときどきあった。
「下に使いが来ています。薬の司様のところからです。さきほどお母様が倒れられたそうです」
「母が」
司は鋭く言った。生まれ育った家は、この館からさほど遠くない。
「母が倒れたのか」
弟子は、ちょっとたじろいだ様子でうなずいた。
「大事に至ることはないとのことです。ですが、下で使いが詳しいことをお話しします」
司はうなずいて、弟子と共に廊下へ出た。
「いいえ、お命に別状はございません。ただ、ご高齢でいらっしゃいますから、これからご無理は禁物でしょう。その、今後のこともありまして、薬の司様が私をよこされたのです」
薬の司の使いである青年の衣からは、薬草の匂いがした。薬の館では、様々な薬草を分類し、効能を覚え、それらを使って薬をつくることが日課のひとつになっている。
「ありがとう。手数をかけたな。今、母には誰かついているのかな」
弟子は、大きくうなずいた。
「うちの館の者がひとり、お世話役に残っています。ご安心ください」
司はこれまで何度も、下働きの娘でも雇うよう、母に言ってきた。それでも母は、何もかも自分の裁量でやれる一人暮らしが一番だと言って譲らなかった。
「配慮していただいて感謝している、と薬の司様にお伝えしてくれ」
弟子は、小さく会釈をした。
「戻る前に、なにか温かい飲み物を持って来させよう。夜の空気が冷たくなってきた」
弟子は、今度は屈託のない笑顔を見せた。
「ありがとうございます。もう秋ですものね。北方の秋は短いです」
そう言うところをみると、この青年の出身は南の方なのかもしれなかった。
彼のところに温かい飲み物を運ばせるようはからってから、司は出かけるしたくをした。母を見舞って来ようと思ったのだ。
命に別状がないことは、薬の司が自分でここへ来なかったことをみても確かだろう。だが、なんと言っても母親なのだ。
補佐役の弟子にあとを頼み、供の申し出を断って、司は暗くなった道に出た。母の家は北の地区。想の司の館があるところだ。
司はひとり息子で、これは司の修行をする者たちの中では珍しいことだった。弟子入りしてくる青年のほとんどは、家業を継ぐほかの兄弟がいた。どこの家でも、たったひとりの子どもは家から出したがらない。司になるというのは、親も先祖もあてにしないでできる一番の出世ではあったが、家族より役目を優先しなくてはならない場合も多々あったのだ。
則の司の場合、司の修行をすることを強く望んだのは母親だった。父親のあとを継がせるなんて、この才気あふれる息子にはもったいない。この子は人を治める器量があるのだ、と母親は主張した。
父親は無口な石工で、実直でいい仕事をしたが、司はこの父親を尊敬したことはなかった。母親のほうが押しが強く、いつも物事は母親が決めたとおりになった。
でも、あのときは違った。いつも言葉少なく母親に同意するだけの父親は、息子を石工にしたいとは全く思わないが、司になるのも反対だ、と言ったのだった。
父親の反対の理由はたったひとつ、司になると伴侶をめとることが許されていなかったからだ。女性の司もいたが、独り身をとおすことは同じだった。
賢い息子ならばなおさら、次の世代を生み育てる親になるべきだ、と父親は言った。なにより、家族のいない生活はさびしいだろう。
このとき、父も母も譲らず、結局は司が自分で自分の道を決めたのだった。息子の心が決まってからは、父親はなにも言わなかった。
家族がいたって、父親はさびしかったのではないか、と司は思う。
石の粉を吸いながら仕事をしてきたのがもとで父親が死んでから、もうずいぶんになる。そういえば、思い出すこともめったになかった。