9・飛ぶ鳥(1 梧桐の里)
梧桐は、翔斗のテンをとまらせるために、衣の肩の内側にボロ布を厚く縫い付けたのだ。テンの爪は鋭く、そうでもしないと肩が傷だらけになる。
慧と塔の外で待ち合わせている。まだ日は高いが、仕事の合間の休みである今日、慧はテンが見たいというのだ。
テンの羽根は、まだ完全とは言えないにせよ大人のものに変わり、思ったとおりの美しい鳥になりつつあった。
「おまえ、いったい雄か雌かどっちなんだ。そんなことほっとけってか。他人の俺には関係ないって言いたそうだな」
梧桐は、相変わらずテンに話しかける癖がついている。相手のテンは、もうひなのころのようにピーピー鳴いたりしない。それでも、首をかしげて賢そうな黒い目で梧桐を見るので、その目の力につられて梧桐はまた話しかける。
「雄でも雌でもどっちでもいいんだろうな。おまえはどっちにしろ、そういう生意気な鳥なんだろうし」
テンが、ぎゅっと梧桐の肩に爪をたてる。
「なんだ、生意気なのは俺も同じだっていうのか?」
梧桐は笑う。そして、これから会うはずの慧のことを思った。
「慧って覚えてるか。あの塔の上であっただろ。初めてだったのに、おまえ、よくなついたよな。汰門なんか、いまだにおまえを恐がってるんだぜ。まあ、一度おまえにつつかれてるし、もともと汰門は生き物が苦手らしいんだ。料理されて皿に載ってるやつ以外は」
慧って、変わった人だ。夜に高い塔に登って、星を見るのが好きだという。
まあ、それは、俺もそうだ。
慧がそういうのが好きなのは、大勢の人に囲まれながらひとりぼっちで育ったことと関係あるんだろうか。自分のことは自分で、好きなやり方でやる。「雄でも雌でもどっちでもいい」というなら、テンよりも慧のほうが、そういう枠とは無縁に暮らしているのかもしれない。
……それでも、慧は女なんだ。俺より大人で、季節だって重ねているに違いないけど。
梧桐はなんだか胸の奥が痛むような気がした。草地を見わたしたけれど、慧はまだ来ない。
梧桐は、都の南西にある集落で生まれた。そこに住むのは一族の者ばかりで、集落全体がひとつの家族のようだった。子どもたちは、誰が親かということなど関係なく混ざり合って遊び、招かれるところで食事して、あいた寝床で眠った。
男たちは作物をつくり、広い草原で家畜を追い、女たちはワタユキという家畜の長い毛を刈って糸にし、布を織る。薄手の布は、草雲という低木の実の中にできるふわふわの繊維をつむいだ糸で織った。
梧桐は同じ年頃の子どもたちと群れ遊ぶのも好きだったが、ひとりで草原に寝転んで空を見たり、草の中に点在する池のふちに巧みにつくられた鳥の巣をそっとのぞいたりするのが好きだった。大勢いる子どもたちにまぎれて、梧桐は気持よくほうっておいてもらえた。
梧桐にとって幸運だったのは、この集落で読み書きや計算、そのほかの様々な学問を学ぶことができたということだった。
梧桐の父の末の弟は、一番近い町の司のもとへ修行に行ったのだ。この叔父は、梧桐の長兄よりたいして年長ではなく、梧桐にとっては、その長兄より気の合う相手だった。ふたりとも、おまけのように生まれた末っ子同士で、似たところがあったのかもしれない。
司のもとへ弟子入りしてしばらくたったころ、叔父は片足を失って帰って来た。町の通りで、まだら毛のひく荷車が転倒する事故に巻き込まれたのだ。それでも司の修行を続けることはできたかもしれないが、叔父は他人の世話にはなりたくないと考えたらしい。
戻って来ても、畑や家畜の世話はできなくなった。そこで、叔父は梧桐たち年少の子どもに学問を教えることにした。それまでは、子どもたちは長い道を歩いて隣の集落に住む老人のところまで通っていたのだ。そこでの学問はたいくつで、子どもたちはさぼる機会をのがさず、知識はいっこうに身につかなかった。
子どもたちの学問は強制ではなかった。だが、梧桐は仲のいい叔父を喜ばせたくてせっせと通った。叔父はやって来る子どもたちの興味の向くまま、いろいろなことを教えてくれた。そして、梧桐はいつのころからか、ここでまだら毛を飼い、畑を耕す以外の生き方が自分にもできるかもしれない、と思うようになった。そういうことも好きだったが、梧桐でなくてはできない仕事ではない。
「今のうちに、いろんなことをやっておけよ。失敗しても、今なら年のいたらぬせいで許してもらえる。おまえの年の子どもは、失敗しながら大きくなるんだ。失敗することを恐れて確かなことにしか手を出さんような、そんな悪い癖をつけるな。おまえはもっともっと、大きくなるんだからな」
叔父は言った。
「たいていのことはやり直せるし、痛い目にあったら次は気をつけることだ。大事なのは、おまえが自分でやることなんだ」
怪我をして帰って来た叔父は、やはり体力が落ちていたのだろうか。そうでなければ、あの若さで、乾いた風が持ってくる流行病くらいで死ぬことはなかっただろう。
毎年冬になって、空っ風が草原を吹き抜けるころ、咳と高熱に苦しめられる者が何人かはいたのだ。
叔父は、咳に胸を波打たせながら死んだ。
叔父を草原で荼毘にふしたときの、あの夕暮れの寒さと火の色、天空をちぎれて駆けていった灰色の雲を思い出すと、梧桐は今でも泣きたい気持になる。あれから、季節は三回めぐった。
「おまえ、いつか俺の家に連れて行ってやろう。見渡すかぎりの草の海だ。木が少ないからかな、翔斗はいないけど、まだら毛や、ワタユキや、うまい卵を生んでくれる水鳥がいるぞ」
テンは、そんな動物なんかと知り合いになりたくない、というように、もう一度梧桐の肩にぎゅっと爪をたてた。ボロ布を縫い付けてあってさえ、その爪はやはり痛かった。




