1・空を見る少年(3 司の弟子)
「俺は、不思議な力を借りようとは思わないけど、それでもできるだけいろんなことを知りたいよ。不思議な力のことだって、知りたいと思うよ。汰門だって、知識を学ぶために風の司の弟子になったんだろ」
梧桐が言うと、汰門はうなずいた。
「ああ、そりゃそうさ。でも、俺が求める知識と人の心を読むってこととは全然別物だよ。司様から学ぶ知識は、なんていうか、ほら、安心じゃないか」
汰門は、不満のある子どものように、ちょっと唇をとがらせた。
「おまえ、きっと将来のことなんか考えたこともないんだろう。将来ったって、不思議な力に教えてもらわないでもわかる、自分のこれからのことだぜ」
ため息をつく。
「両親は、俺が人から尊ばれるような仕事につくことを望んでるんだ。まあ、司とかね。自分の息子がそんなたいした器かどうか、も少しわかっててもよさそうなもんだがな。なんてったって、親は自分たちだぜ。我が身を振り返ってみてほしいもんだよ」
梧桐は、汰門の両親は案外いい親なのではないかと思ったが、黙っていた。
「まあ、とにかくさ、俺は未知だの不思議だのはいらん。役に立つ、手応えのある知識があればいいんだ。安心、安全、安定が求めるところなんだ」
汰門は、自分の言葉にうなずく。
「で、本当を言や、司みたいな責任のある仕事は、俺には向いてないと思うんだ。郷里に帰るのはいいけど、子どもたちに勉強を教えたり、せいぜい司の補佐かなんかするだけでいいんだよ」
さっきより大きなため息をついた。
「でも、両親の思惑通り『司様』になっちゃいそうな、いやな予感がするんだ。都で修行して帰って来たなんていえば、郷里では箔だからなあ」
汰門は、都から歩いて十日ほどのところにある、小さい里の出身だった。
「で、つまり、俺の将来が郷里にあるってことはもう決まってるんだ。あそこは、不思議の入り込む余地なんかない、平和な里なんだよ」
でも、知識って、どんなものでも不思議なんだ。
梧桐はそう思ったが、今度も口には出さなかった。人のいい汰門を困惑させるような気がしたのだ。それに、自分でもどうしてそう感じるのかうまく説明できないような気がした。
確かに、汰門の言うとおり、梧桐は将来のことをきちんと考えたことはなかった。そして、汰門の両親と違って、梧桐の親は、息子がこの先どうしようと何も言わないだろうと思った。
それは、息子に関心がないからではなく、「子どもは自分で育っていく」という考えがどこかにあるからかもしれない。梧桐は七人の兄や姉のいる末っ子で、親は忙しくてたいして手もかけなかったのに、全員がそれぞれ曲がりもせず、ねじれもせずに元気で大きくなってきたという実績が、その考えの裏にあるからだろう。
梧桐の里は、都から少し南に下ったところにある。里人皆が親類のように、里がひとつの家族だと感じて大きくなった。先祖の土地は、今は父親と長兄、次兄がきりもりしている。
汰門とは違う意味で、梧桐は自分が司になりたいかどうかもわからなかった。
俺は、空や星を見るのが好きなんだ。好きなものの知識が増えていくのがうれしい。司になって弟子たちに指図したり、ときには自分の知識と関係ない政に関わらなくちゃならないとしたら、面倒だ。いつまでも学ぶ側にいるほうがいい。
風の司の館が見えてきた。
東の地区は、西や北の地区に比べると家が少なく、「先読」の砦のある丘の裾から石の多い荒れ地が続いていて、いかにもさびしく見える。司の館は、その荒れ地のはずれに建っていた。
翔斗のいる小屋は、館の中庭、壁に差掛けて造ってある。大人が三人入れるほどの大きさだが、汰門ならば二人だろう。その小屋の中の壁際に植えた木の枝に、翔斗のつがいが造った壺の形の巣がある。それが壁にくっついているおかげで、小屋の外から厚紙のらっぱを当てるとかろうじて中の音が聞こえるのだ。
「……もう少しはっきり聞こえるといいんだがなあ。まあ、この分だともう少し時間がかかると思うな」
梧桐が、らっぱから耳を話して、親鳥の邪魔にならない場所まで下がってから小声で言った。
「鳥の卵が孵るとこ、見たことあるのか?」
汰門が尋ねる。
「うん。水鳥ならね。翔斗は初めてだな」
「翔斗みたいに気難しくて、飼いならすことなんかできない鳥の卵、孵るところを見たことがあるやつなんかいないよ。水の司様だってないだろうよ。そういや、おまえ、そんなに鳥が好きなら、水の司様のところへ行ったほうがよかったんじゃないか」
水の司は、植物や動物の知者だ。動物の中には、獣も虫も魚も、もちろん鳥も含まれている。その仕事は風の司と重なる部分も多かったから、小さい集落では、風の司がこれを兼任することもよくあった。
そして、この二人の司の知識は、生薬をつくり、季節ごとの流行病に備える薬の司と通じるところがある。病人と接して心身両面から彼らの手当てをする薬の司は、人の心や思想、社会の在り方に関わる想の司を助けることもある。
このように、司同士はなんらかの形でつながりあい、補いあっていた。弟子の中には、修行の途中で自分の適性にあらたに気づき、ほかの司の弟子になる者もいた。
「実は、水の司の弟子になることも考えたんだ」
梧桐は、小屋から十分離れてから言った。
「でも、俺が鳥を好きなのは、空が好きだからだとわかったんだ。まあ、鳥だけじゃなく、飛んでも飛ばなくても生き物はみんな好きなんだけど。それでも、今のところ、ここへ来たのは正解だったと思ってる」
汰門は笑った。
「しかし、いくら高いところに登ったって、天にまでは届かないぞ。それより、おまえ、今日の課業は終えたのか」
梧桐は、ちょっと頭をかいて首をふる。
「まだだよ。でも、すぐにできるさ」
「その卵がまだ放っておけるなら、とりかかったほうがいいぞ」
汰門は梧桐の肩を小突く。ふたりは建物の角をまわって、館の入り口に向かった。