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5・要の星(3 事実と真実)

 もとになった書物は、どれほど長い間、この館で課業のために使われてきたことか。長い間にぼろぼろになると、内容はそっくりきれいに書き移されて、新しい書物に生まれ変わってきた。中身は変わらないまま、新品になったのだ。


「天は不変だと言われています。でも、ずっと変わらないものって本当にあるんでしょうか。わたしには、それがわからない……」

 司は片手を上げた。

「しかし、観測したのはほかならぬおまえじゃ。この館では一番の新参者じゃ。そのおまえがつくった木枠の象限が正確かどうかもわからん。おまえ自身にも、自分が完璧に正確な観測をしたとは言い切れまい。このくらいなら、誤差とも思える。誤差を伴う観測結果が五枚。違うか?」


 梧桐は唇を引き結んでしばらく黙った。こう言われるのは予想できた。自分でも、このことで一番あやういのが、自分自身の知識と技術だった。


「わたしは、できるだけのことをしたつもりだ、と申し上げるだけです」


 司は梧桐を気に入っていた。この若者は、自分の目と頭を本当に使おうとする。与えられる知識だけでは満足せず、自分でものごとを測り直して納得する梧桐の姿勢は、ほかの弟子にはないものだった。


 司は笑った。

「わしも、おまえはできるだけのことをしたろうと思う。不変というのはどえらいことじゃ。全く変わらないものなど、何一つないのかもしれん。おまえの観察が正しければ、おまえは書物を書き換えることができるぞ。そもそも、はるか昔に今の星図がつくられたころだって、星の学者はおまえみたいな手作りの、紐だのおもりだのを使っておったに違いないさ。おまえが『要の星は動く』と思ったように、そのころの学者は『要の星は動かない』と思っただけってこともある」


 梧桐は、ちょっと驚いたように司を見た。


「真実と事実は、同じものではないのじゃ。もし書物にあやまりがあったとしても、それだって、書物が書かれた当時はまぎれもない真実だったに違いなかろう。星がなんなのか、わしらは知らない。自分が踏んでいる大地のことさえ知り尽くしてはいない。天がそのことわりにのっとって粛々と動いておるだけであっても、それを知ろうとするわしら人間のほうは変わる。事実を見た人間の数だけ、真実ができる」


 司様は、俺を否定してはいない。


「もし要の星が動いているとしたら、それをどうやって裏付けたらいいんでしょうか」

 司は眉をひねった。

「何人かの者が別々に観測して同じ結果を出せば、それはずっと信頼できるものになるな。ここでの観測に、それを加えてもいいが……」

 梧桐の脳裏に、志多の顔が浮かんだ。


 あの人は、そういう作業が増えることを喜ばない気がする。


「それなら、わたしをその観測の一員にしてください。あ……いや、手伝うだけでも」

 先輩を差し置いて出しゃばるようなことを言ってしまって、梧桐はちょっとあわてた。


 汰門が心配するのは、こういうことか。


「いや、おまえはいないほうがいい。やるなら、全く新しい目で見ることじゃ」

 司が言った。ああ、そうかもしれない、と梧桐は思う。


 俺の考えは、まだまだ浅いなあ。


 一階から、子どもたちの声がにぎやかに聞こえてきた。下の階で、補佐が学問を教えていた東の地区の子どもたちが帰るところなのだ。

 あの子たちが大きくなるころには、新しいなにかが書物を書き換えるかもしれない。


 要の星だけじゃない。この先見つかる新しい知識。

 この先。


 梧桐は、ふと顔を上げて司を見た。

「司様」

「なんじゃ、また何か思いついたか」

 そう問われて、梧桐は言葉の先を続けていいものか、少しためらった。


「あの……砦の人々のことです……」

「砦の。『先読』のことか」

「そうです。不思議な力があると言われている人たちです。もしそうなら、天の動きの理もわかるのではないでしょうか。……わたしは、本当のことが知りたい。自分が間違っていてもいいんです。それが本当のことなら」


 司は首を振った。

「『先読』に聞きたいというか。しかし、彼らが何を言おうと、司会議では認められんぞ。彼らの言葉の根拠を、どこに求めたらいいんじゃ? わしらに必要なのは、占いではなく学問じゃ」

 それから、ちょっと声を低くしてつけ加える。

「不思議な力によって何もかもわかる、なんてことを司会議が認めたら、司なんぞいらなくなってしまう。まあ、司会議の本音はそんなとこじゃな」


 ああ、またまずいことを言った。司会議より「先読」のほうを信頼してると言うようじゃないか。志多補佐に疑われたことそのままだ。


 司は、肩を縮めた梧桐に優しいと言えなくもない笑顔を見せた。

「おまえもせっかちなやつじゃ。若い証拠じゃな。こつこつと星の観測をするかと思えば、一足飛びに不思議な力で解決したがるのか。まあ、若者に限らず、年をとっても、人間矛盾だらけかもしれん」


 妙なやつだ、梧桐というのは。思いがけないことを言うのに、この熱心な目を見ていると、それを「馬鹿なこと」と一蹴できん。こいつにも、不思議な力があるのかもしれんな。


「いいか、まず観測じゃ。公平な目で結果を出し、それを積み上げるんじゃ。おまえのしたことを無駄にはせんよ。わしには、今はそれしか言えん」

 梧桐は、ぱっと笑顔になった。

「ありがとうございます!」


 司の部屋を出て、梧桐は廊下を走り、梯子を駆け上がった。自室の扉を開けると、テンがピルピルピル、と甘えた声を出した。

「テン、司様は話を聞いてくれたよ! 俺の言うことを馬鹿にしたりもなさらなかった!」

 そう口に出してみて、梧桐はやっと風の司のふところの深さを実感したのだった。

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