5・要の星(1 テン)
「テン!」
梧桐が呼ぶと、翔斗のひなは、体をかしげながら跳ねてきた。館の中庭はいつも掃除が行き届いているので、邪魔になる石や落ち葉がなく、このひなを遊ばせるにはいいところだった。
ひなのぼやぼやした羽毛が、はっきりした黒と灰色にかわりつつある。脚は治ったが、慧の言ったとおり、少し短くなってしまった。
これも慧の言ったとおり、飼い鳥だから生きてはいける。けれど、空高く飛ぶことが命のこの鳥は、飛べるようになるだろうか。この脚で大地を蹴ることができるだろうか。
自由に天をはばたけるようにと、梧桐はこのひなに「テン」と名付けた。
テンは、自分で皿から餌を食べることができるようになった。もうふところに入れて持ち歩かなくてもいいのだが、親鳥が出入りする小屋には住めないので、梧桐の部屋で暮らしている。親鳥は、このひなを侵入者とみなして攻撃してくるのだ。
テンは、梧桐の差し出した手のひらに乗った。未熟な翼を広げて体の釣り合いをとる。そのうち、爪が鋭くなって、手のひらに止まらせることなどできなくなるだろう。
「おまえ、きれいな鳥になるぞ」
翔斗は、頭から背中にかけて黒く、日の光を受けるとそこに虹の七色が浮かぶ。灰色の翼には黒い縞が入り、すっかり翼を広げると、脇にある煉瓦色の羽根がちらりと見える。雄も雌も同じ色合いをしているので、梧桐はまだテンの性別を知らない。
「おーい、梧桐」
汰門が、声をあげながら中庭に入ってきた。
「ああ、いたいた。やっぱりここにいた」
ずいぶん涼しくなったというのに、汰門は鼻の頭に汗を浮かべている。
「司様が、今なら時間があるからってさ。おまえ、なにか話があるって言ったんだって?」
梧桐は、テンを肩に止まらせた。怪我をしたのが右脚なので、のせるのはいつも左肩だ。そうすれば、テンは右脚を少し高い位置に置くことができる。
「うん」
「なんだよ、一体? おい、まさか、ここをやめたいとか、ほかの司のところへ移りたいとか言うんじゃないだろうな?」
梧桐はびっくりして、汰門を見つめた。
「そんなんじゃないよ」
汰門は、ほっとしたようにため息をついた。
「そうだよな。おまえが、ここで習う学問を好きなのは知ってる。でも、ここのやり方は好きじゃないんじゃないか、と思うことはあってさ。先輩に注意を受けたこともあったろ」
梧桐は、ちょっと笑った。先輩といっても、それは志多のことだ。
「まあね。でも、ここのやり方が嫌いとか、そういうことじゃないんだ。それに、俺はもうほかの司様のところへなんか行けないよ。風の司様は、ほかの誰よりも弟子を自由にさせてくださってるという話だもの」
汰門は梧桐と並んで歩きながら、心配そうなまなざしを向けた。
「ここにいるなら、ここのやり方と折り合いをつけなきゃならないことだってあるぞ。おまえはときどき……なんていうか、ひとりだけほかのみんなと違うから」
「うーん……」
梧桐は、ちょっと唇をとがらせた。
わざわざ皆と違うことをしたいと思ったことは一度もない。これが一番いい、自分はこうしたい、と思ってやってみると、たまたま皆と違っていることがある、というだけなのだ。
「誰かの迷惑になるなら、そりゃ俺だって、考えなけりゃならないけど……」
梧桐はふと立ち止まる。肩の上のテンが、ちょっとバランスを崩してとがめるような黒い目を梧桐に向けた。
「それとも、俺のせいで誰か困ってるって?」
その問いかけが、いかにも梧桐らしく真面目だったので、汰門はあわてて首を振った。
「いやいやいや。でも、先輩ににらまれて、おまえがここを出て行くようなことにでもなれば、俺が困るよ。おまえがいたほうが、ここの暮らしは楽しいものな」
梧桐はちょっと返す言葉に困って、ただ笑顔になった。
「俺は一度部屋に戻るよ。テンを置いて、とって来なくちゃならないものもあるし」
汰門と別れて階段を上がる。階段は、一階、二階は石造りだが、五人の弟子たちの居室がある最上階へ続くのは、階段というより梯子と呼ぶべき木の段だ。最上階の屋根裏が、いくつかに仕切られて部屋になっているのだが、汰門はいつもこの梯子に文句を言っていた。補佐役になれば二階に一部屋もらえるのだが、汰門にとって、それはまだまだ先のことだろう。




