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4・見舞いの夜(1 加枝と志多)

 大叔母の家の扉を開けたのは、黒髪を男のような断髪にした背の高い女だった。

 志多は、母とともに大叔母の見舞いにやってきたのだ。則の司の母親は、志多の母の叔母にあたる。


「わたしは、こちらの御病人のお世話をしに来ている者で、慧と申します」

 女は、落ち着いた物腰でそう言った。

「御病人に、どなたがいらしたとお伝えすればいいでしょうか」


 赤の他人に取り次いでもらう必要はない、と志多は言いたかったが、母親が先に口を開いた。

水尾みお村の加枝かえと、その息子の志多が来たと言っておくれ」

 慧と名乗った黒髪の女性は、志多の茶色の衣と、その袖口の白い縫い取りを興味深そうに見て、会釈をすると、奥へ入っていった。


「なんだか感じの悪い女だ」

 志多は、低い声で言った。

「血縁の者が見舞いに来るのに、あんなどこの誰とも知れんよそ者がいて、家の主みたいにふるまっているのは心外だな」


「そうお言いでないよ」

 母親がたしなめる。

「使用人が、主人に客を取り次ぐっていうのは、格のある家でなきゃできないことだからね。今までだって、下女のひとりやふたりは雇っておくのが当たり前なのにさ。これまで、ひとりで暮らすと言い張ってきた叔母さんの方が頑固なんだよ。息子が則の司をしているんなら、その母親たる者に相応の暮らしをしなきゃ。息子の評判を落とすことにだってなりかねないよ」

 そして、部屋の中をぐるっと見まわした。

「もっといいうちに引っ越すことだって、できるだろうにねえ」


 母親は俗っぽい女だ。司の縁者にふさわしいとは思えない。

 志多はそう思っていらだち、いらだつ自分にさらに腹が立つのを感じた。


 どんな人間であれ、自分の母なのだ。その血は自分にも流れている。母が司の縁者にふさわしくないなら、自分は司にふさわしくないということになってしまう。


 慧は、自分が下女だとは思っていなかったし、世話をしている病人を「主人」だとも思わなかった。

 自分は仕事をしているのだし、仕事をきちんとやるということは、病人のいいなりになることとはまるで違う。


 扉をそっと開けると、病人が頭を傾けて慧のほうを見た。

 世話のしやすい病人だった。昼間は目が覚めていて、清拭をしたり、食事の手助けをしたりするのが楽だし、夜は眠ってくれるので付き添う方も休める。


「水尾村の加枝さんという方が、息子の志多さんといらしてますよ。今、ここにお連れしていいですか?」

 病人の中には、やつれた姿を見られたくなくて見舞い客を断ったり、そこまででなくても、客に会う前に髪を整えたり、身なりをきれいにしたがる者もいた。

 この数日で何度か見舞い客を迎えて、この老女がそういうことにさほど頓着しないことはわかっていたが、それでも慧は必ず客の名前を告げ、通していいかどうかを尋ねることにしていた。


「姪の加枝がね」

 老女は、鼻の先で笑った。

「自慢の息子を連れて来たかね。こりゃまた」

 そして、寝たまま目だけを動かして、自分の寝台を見た。

「ここに起き上がってもいいかねえ。あれから、胸はちくりとも痛まないんだけど」


 慧は首を振る。

「回復を急いだあまり、予定の倍も寝てなきゃならなくなった人を知ってます。体の中の、大切な臓器が病気になってるんですよ。明日、薬の司様がみえますから、そのとき起き上がってもいいとおっしゃれば、次からそういたしましょう。ですが、今の間にはあいませんからね」


 病人は、大げさにため息をついた。

「今にも死にそうに見えやしないだろうね?」

 慧は、笑いながら首を振った。

「大丈夫ですよ。まるで仮病をつかってらっしゃるように見えます」

 病人は、咳き込むような笑い声をたてた。


「加枝って子は、つつましく見えるんだけど、ひかえめにうつむいたまぶたの下から人の足元を見るようなところがあってね。私が死ぬ前に、きっと自慢の息子のために、なにか言質をとりたがっていると思うのさ」

 慧は、いぶかしげに眉をひそめた。

「言質をとるって……あの、あなたからですか?」

「まあ、確かに私じゃ役に立たないね。私をくどいて、うちの息子に進言させようってことさ。その約束をとりつけたいんだろ」


 老女は、首を傾げて慧を見た。

「誰もあんたに言わなかったのかい? 私の息子が、この都の則の司だってことを」

 慧は目を見張った。

「いえ、なにも聞いていませんでした。そうですか……。それで、姪御さんの息子さんは、その方の弟子になられたんですね」

「いいや。あの子は風の司の弟子になったんだよ。もう、弟子の中ではいばっていられる身分になったということだがね。まあ、則の館に入りたかったってのが本当のところだろうねえ。空だの地面だの見ているだけの風の司じゃ、威厳もなにもありゃしないってなふうに考える子だから」


 風の司の弟子。


 慧は、ここへ来る前の晩に塔で出会った少年、梧桐のことを考えた。

 彼は、「空だの地面だの見る」ことが、たまらなく好きなようだった。夢中になって星の位置を紙に記していた梧桐の、熱心な表情を思い出す。

 弟子があんなに一生懸命学ぶなら、風の司は尊敬されるいい師なのだろうと思った。


 司というのは、なんの司であれ、専門の知識を持ち、それを人々の役に立つよう工夫して伝える立場だ。司の間に順列があってはならないはずだった。

 それでも、風の司と水の司は、人々からやや軽んじられる傾向があった。

 薬の館のある西の地区の子どもが、水の館の南の地区の子を馬鹿にしたため喧嘩になった、という話を聞いたこともある。


 愚かな話だ、と慧は思った。子どもは大人の態度をまねているにすぎない。


 あの鳥のひなには、名前がついたかしら。


「加枝は待ちくたびれているんじゃないかね。私も、あの子の見舞いはさっさとすましてしまいたいもんだね」

 慧は、はっと我にかえる。

「申し訳ございません。それじゃ、ご案内してきます」

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