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3・夜歩く娘(2 慧)

 こんなところに誰かいるなんて。


 梧桐は、不審や恐怖よりも、自分の部屋に無断で侵入されたような腹立たしさを感じて、声をあげた。

「誰だ?」


 人影が動いて、一歩近づいた。


「ごめん。誰もいないと思ったの」

 女の声だった。梧桐は、人影を見つけたときよりもっと驚いた。


 女が夜にひとり歩きをするなんて! それに、いったいなんの用があって、こんな塔に登って来るんだ?


「……そこに、誰か……なにか……いるの? 誰もいないと思って来たんだけど、あなたがしゃべっているのが聞こえたので。人がいるとわかったから、音をたてないように引き返そうと思ったんだけど、なんだか動けなくなっちゃって。なんにせよ、邪魔するつもりはなかったのよ」


 女は、頭から肩まで包んで巻きつけている布のかげから、小さい角灯を出した。

 梧桐の頰に血がのぼった。自分ひとりだと思ったから、あんなふうに翔斗のひなに話しかけていたのだ。故郷の里でも、行き合った鳥や小動物、ときには虫にまで声をかける少年ではあった。


 ああ、でも、今さらしかたない。


 梧桐は立ち上がった。立ってみると、女の背丈が自分と同じくらいなのがわかった。女にしては大きいほうだ。頭に巻いた布のはしから、黒い髪がひと房額に落ちかかっているのが見えた。


 黒い髪だ。……もしかしたら?


「司の館で修行してる人ね。みんな、そういう衣を着てる」

 梧桐は、最初のひと声以来、自分が何も言葉を発していないのに気づいた。

「で、そっちは誰なんだ? こんな時間にこんなところへ、なにしに来たんだ?」

 思いがけず、詰問するように言ってしまった。

「砦から来たのか?」


 女が首を振った。

「『先読』がいるところね。わたしは、あの人たちの仲間じゃない。同じなのは、髪と目の色だけよ。私の親は南部の生まれだったのかもしれないけど、私はただの都の住人。まあ、とにかく、お気にいらないようだから、わたしはもう帰るわ」


 梧桐は、なんだかあわてて一歩近づいた。

「いや、待てよ。ひとりなんだろ? 女ひとりでこんな夜に……」

 女は笑った。

「来るときだってひとりだったのよ。帰りだって同じことだわ」

 梧桐は、もう一度尋ねた。

「でも、いったいなにしに?」

「あなたこそ、なにしに来てたの? 私は、前からここにはよく来るの。住まいも近いし、昼間は仕事があるから夜しか来られない。高いところが好きだし、ここは星が近くに見えるような気がするし。明日から仕事で、泊まりで北の地区へ行かなきゃならないので、しばらくここに来られないから今夜来てみたの」


「星を見るのか」

 梧桐は、思わずそう言った。

 風の司の弟子の中でも、観測の当番でもなく、手伝いを命じられたわけでもないのに星を見る梧桐は「変なやつだ」と言われていたから、意外な気持の中に、少し嬉しい思いがあった。

「そりゃ、せっかく空にあるんだもの。それも、あんなにたくさん」

 女は当たり前の口調で言って、それから床に散らばった紙と、そこに描かれた点を見つめた。


「これは?」

 しゃがんで、じっと見る。

「星?」


 それから、顔を上げて梧桐を見た。

「そういえば、さっき星のことをなにか言ってたわね。寝られないから星を見るとかなんとか」

 梧桐は、翔斗に愚痴をこぼしていたことを思い出して、ちょっと視線をそらせた。

「星を見るなら、ここはうってつけよね。今までは、わたしたちすれ違ってたのね、きっと」

 梧桐は首を振る。

「夜ここへ来たのは初めてなんだ。これまでは、昼間来て雲を見ていた。司様のところで……」


 このとき、胸の袋の中で、ひながまたピーピーと鳴いた。女は目を輝かせた。

「なあに、それ? そこになにかいるのね? さっき話しかけてたのはそれ?」

 梧桐は、袋の口をそっと開く。ひなは首を突き出して、丸い目で女を見た。翔斗も女も、同じ黒い目だ。


「鳥ね。なんていう鳥?」

 女がそっと伸ばした指先を、ひなは小さいけれど鋭いくちばしでつついた。

「翔斗。気をつけて。気が荒いから」

「平気よ」

 女はかまわず、ひながつつくままにさせた。

「わたしは動物が好きだけど、飼うことができないの。そういうことが禁じられてるのよ、姥館うばやかたじゃ」


 姥館。


 姥館というのは、東地区の南よりに建つ、大きな石造りの陰気な建物のことだ。内部は、ひと部屋ずつひとり暮らしの女性に貸し出されているので、巷では「姥館」と言われている。

 一階は家主の住まいで、二階、三階が貸している部分だ。女性なら、部屋で酒を飲んで暴れたりしないだろう、と家主は考えたものらしい。


 夫と別れてひとりになったり、伴侶を持たないままだったりと、事情は様々だったが、そこに住む女性のほとんどが、仕事を持って自活していた。「姥館」は、住人の多くが、若い娘の年頃を過ぎていることからついたあだ名だが、夫や家族に恵まれず、女だてらに仕事をして自分の食い扶持を稼ぐ彼女たちを揶揄する意味もあったかもしれない。


「わたしが何者か、わかってきたでしょ。わたしは姥館に住んでる。仕事を持ってるひとり身の女で、名前はけいよ」

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