3・夜歩く娘(1 星を見る夜)
梧桐は塔の小部屋にいた。夜ここに来るのは初めてだ。
北の窓を見上げては、用意してきた紙に星の位置を書き記す。
昼間、風の司の許しを得て、この窓に木枠をはめこんでおいたのだ。木枠には白糸を張ってある。ひとますが正方形になるように、糸を張るのにはずいぶん苦労した。
手元に用意した紙にも、木枠と同じだけのます目が引いてある。小部屋の床に自分の座る位置を定めて、そこから窓の中に見える星を紙に記していくのだ。
塔の上から見える星は、要の星を中心に十個足らずしかない。本当はもっとたくさんの星の位置を観察したかったが、できるだけ正しくやろうと思うとその程度の数でもけっこう大変だった。
梧桐は、窓のほぼ真ん中の糸が交わるところに常に要の星がくる位置に座った。そうして、周囲の星の位置を時香が一本燃え尽きるごとに紙に記していけば、ひとつひとつの星が要の星を中心に円を描いていることが確かめられるはずだ。
細くて折れやすい時香をそっと床に置いて、最初の一本に火をつける。帰るときに、この火の始末をちゃんとしておかなくてはならない、と肝に命じた。
青房の汁が入った小さな壺をひっくり返さないように気をつけながら、梧桐はひとつずつ星を描き、わかるものには名前を入れた。
青房は、夏に丘のふもとにざらざらと生る野草の実で、それをつぶすと真っ青な汁が出る。そのままでは腐ったりかびたりするので、あつめた汁に薬草を入れて煮たてて漉し、さましたものを甕に入れて蓄える。それを小分けして、硬い黒鉄の木でつくった尖筆につけて書きものに使う。
煮たてると、真っ青な汁は夜空のように黒くなって、書いたものは乾くとなかなか消えなくなる。夏は、この汁を一年分つくるため、どの館の弟子たちも両手を青くして大わらわだった。
梧桐は舌打ちした。暗くても見やすいように白糸を使ったのに、それでもどうしてもます目が見にくい。
衣の内側でなにかが動いた。ピー、ピー、とさえずる声がする。
梧桐は尖筆を投げ出した。
「ああ、まったく! わかったよ、食いしん坊め!」
梧桐が胸元に下げている毛織の袋の中に、翔斗のひなが入っているのだった。
卵から出る勢いがよすぎたのか、それとも飼い鳥におちぶれて野生の勘が鈍った親鳥が、卵の置き方をあやまったのか、孵ったとたんに巣から落ちたひなは、片足を折ってしまったのだった。
あのとき、梧桐はあわてて小屋の中にはいり、両手にひなをすくいあげた。
汰門はじめほかの弟子たちは、それがいけなかったのだ、と言う。自分たちより先に人間の手が触れたひなを、あの気性の荒い、誇り高い翔斗が育てるはずがない、と。
ぬれたような、まばらな羽毛がはりついた醜いひなの脚に細い木をあてて縛ってやってから、梧桐が巣に戻そうとすると、親鳥たちは梧桐だけでなく、その手の中の自分たちの子にも容赦なく突きかかってきたのだった。
風の司は、どのみち親鳥は怪我したひなを育てなかっただろう、と言った。自然界にあれば、こういうひなの運命は決まっている。今ひと思いに命を絶ってやるのも慈悲かもしれん、と司は言った。
そのとき梧桐は、手の中のひなを見ていた。せいいっぱいに開けたくちばしと、梧桐にひたと据えられた黒い丸い目を見ていた。手の中の、ひなの形のあたたかさを感じていた。
だから、やむを得なかったのだ。梧桐がこのひなの親になったのは。
梧桐は物入れ袋から油紙の包みを出し、すりつぶすほどに細かく刻んだ肉を細い棒の先につけて、ひなののどの奥に押し込んでやる。それがすむと、毛織の袋から用心深くひなを取り出して、中に敷いた紙を取り替えた。食いしん坊のひなは、糞もたくさんする。いろいろ考えたすえ、書き損じの紙を柔らかくもんで、袋の中にしいては取り替えることにしたのだ。
「ほら、いい気分だろ。これでどのくらいおとなしくしててくれるものやら。いいかい、おまえは知らないだろうが、人間てものは、夜は寝るんだよ。なのに、俺はおまえのおかげで眠れない。どうせ眠れないなら星を見ようと思えば、おまえが腹を減らして鳴く。こうしてる間にも、時香は燃えて星は動くっていうのになあ。でも、おまえはそんなことにかまっちゃいられないんだろう。生きることに精一杯なんだから」
梧桐は窓を見上げた。思うようにいかない観測にもどかしい思いがした。
なにか、もっといい方法はないかなあ。
要の星を中心に見るなら、この塔の窓で十分なのだ。東側の丘は低いから、星を見る邪魔にはならないし……。
小部屋を見まわしたとき、人影に気づいた。
誰かいる!
ここで他の人間に会ったことはなかった。登ることを禁じる決まりは特になかったから、誰が来てもいいはずだが、ぐるぐるまわる階段や塔の高さのこともあって、子どもたちの多くは親から塔に登ってはいけない、と厳しく言われていたし、大人は大人で、用もないのにこんなところまで登って来ない。




