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断末魔の残り香 氷  作者: 焼魚圭
断末魔の残り香 氷
9/14

集合

 のどかな雰囲気は今の状況に合わせてくれそうになく、何もかもが噛み合わない。かつてこの地に命を捧げて彷徨していた人々の魂に取り囲まれている家、抜け出すことの出来ない現状。天音が到着するまで待つ他ないのだと悟った冬子はしゃがみ込んで震える春斗の肩に手を添えただそのまま時間だけを消化し続けていた。

 そんな様子を見つめながら春夜はドアの方へと向かい行く。軽い足取りは事態を重く受け止めている様子もなく、分かり合える人物などではないのだと思い知らされた。

「お父さんは悪い人じゃないんだから入れていいんじゃない」

 ドアの取っ手に手を伸ばす春夜を止めるべく祖母は表情から柔らかさを消し去り駆け出した。

「やめなさい」

「いやさすがに話せばわかるでしょ」

 話が通じる様子が見えないのは風習への理解の度合いがもたらした悲劇だろう。春斗と冬子のように理解の差を埋めることの出来る霊感を持っているわけでもない。きっと祖父の存在も半信半疑で開けても何も起こらない事を示したいだけ。

「私には見える」

 そう告げたのは祖母、春斗の霊感はきっと先祖から代々受け継がれている贈り物なのだろう。

「家は結界のようなものだから開けないで」

 春夜は不満を露わにしながらぼそぼそと硬い声で何かを呟きながらリビングに向けてわざとらしい足音を響かせながら戻って行った。

「おじいちゃんに会いたくてたまらないんだろうな」

 冬子がぽつりと呟いた途端、祖母は手を震わせ顔にしわを寄せて力なく壁に寄りかかる。既に他界した人物を迎え入れるための精霊馬を飾っておきながら訪れた際には拒絶するという自分勝手な行ないに祖父は激怒してしまうだろうか。

「私だって会いたい」

 声には力がなく、音にすらならないように聞こえる部分までもが在るという様。死した大切な人がすぐそこにいるのに手を差し伸べることが出来ないという悔しさを抱いたのは果たしていつ以来の事なのだろう。

「会いたい、でも」

「春斗は渡せない、私としては絶対に」

 冬子が引き継いだ言葉、そこに提げられた追加の言葉はきっと春斗の祖父を知らないから出てきてしまったもので、目の前の感情との温度差はあまりにも大きく深いものだった。


 静寂に包まれた中で風に吹かれて葉が擦れあう音を奏でている。鳥の鳴き声が優しく響き続けて、そんな光景から切り離された空間の中で時計が針を動かす音だけが刻まれている。あれから一時間ほどが経過しただろうか。春夜の苛立ちが収まる気配などどこにも転がっていなかった。

「昼の内は大丈夫だけど、夜にはガラスの隔たりが消えるそう」

 祖母がぽつりと呟いたそれは今夜が危機だという事を示していた。

「昨夜は気配だけだったみたいだが」

 冬子は外をガラス玉のような黒い瞳で覗き込む。霊たちは今もなお壁に張り付くように立っており、諦める気配は何処にもない。いなくなる流れは作られない。

「今夜は来る」

 既に狙いを定めてしまっている。認識されてしまったからには連れ去りにかかる事間違いなし。狩りの時を虚無の情を携えて待つ彼らの肌には血の流れすら見当たらない。

 静寂に身を包む家の中、呼び鈴が響き渡った。静かな危機に瀕しているこの時、最も都合の悪いことが起きてしまった。相手を確かめようにも画面もなく、窓のドアから覗き込もうにも視界は入り口という壁に阻まれて届かない。訪問者を確認する画面もなければその場で会話を執り行うためのスピーカーが備えられているわけでもない。田舎の古ぼけた家という環境がこのような形で牙をむく事など想定していなかった。

「こんな時に」

 少なくとも天音ではないだろう。彼女なら間違いなく霊を除けるための仏具だか神具を持って縁側のガラス戸から顔を覗かせる事だろう。

 しかしながら現状を見つめれば分かってしまう。霊の姿は未だ健在だった。

「お客様よ」

 春夜が向かおうとするも祖母は腕をつかむ。

「今がどのような時か、考えなさい」

 霊感のない人物からすれば当然の反応だろう。昨夜春斗が悪夢を見て今も震えているだけ、その程度で今の状況。周りの方がおかしいと思うのは当然の事だった。

 少なくともドアの向こうに立つ存在が人間である事は確かだろう。霊的な存在感の無い訪問者は春夜と同じく何も感じていないのかもしれない。

 ドアの向こうから声が届いてくる。若い男の力のない声が流れてくる。それは出版社の名とこの場にいる誰もが存じない雑誌の名を告げていた。

「この土地に伝わる風習についてアガルタに載せたいので取材をお願いしたいのですが」

 伝説や神話という形で伝わる架空の地名を名乗る雑誌は一つしか知らなかった。後追いで創刊した雑誌の生き残りなのだろう。

 きっと今家にいる事など気付かれているだろう。ドアの前からは見えないとしても近付く時に確認済みなことは間違いなかった。ふすまを閉めていれば不在を装うことも出来たはずだったが筒抜けの現状では嘘は許されない。

 冬子は時計に目を向ける。針が一定の動きを心無く刻み続けるのみ。天音が到着するまであとどれ程だろう。

 冬子は新聞に挟まれていた広告紙の裏側に太いマジックペンを用いてメッセージを書き込み、窓の出来る限り遠い位置に立つ。冬子の目には心霊の集団がはっきりと映っていて鬱陶しい。邪魔者の役を果たしている彼らの姿はあの男には見えていないはずだった。

 男がふと窓の方を向いたその時、書き留めたメッセージを見せつけるように広告紙を胸の位置で広げた。

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