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断末魔の残り香 氷  作者: 焼魚圭
断末魔の残り香 氷
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退魔師『雨空天音』の魔祓い

 それは埃被った一つの部屋でいきなり変わり果てた雰囲気。日本酒の酒瓶が大量に建てられてガラスのビル群のよう、架空の都会のミニチュアとなっているような様の住み心地はあまり心地よいと思えるものではなかった。

 ソファにて、ネコの霊と共に眠っていた粗末な白い着物を纏った薄い茶髪の女を叩き起こした電話のベル、出た直後に聞き覚えのある愛しい声が呼んでいた。

 昨日の酒の悪戯だろうか、痛む頭を押さえつつ着替えを取り出した。同じ装い、幾つあっても特に変わりないそれは確実にファッションになど興味のない者のそれ。白い粗末な着物の袖に腕を通して黒くて薄っぺらな帯を巻く。仕事、無賃労働の始まりだと告げる女、雨空天音の周りをお化けのネコはぐるぐると漂い回り続けていた。

「ごめんよ、アンタは置いてく」

 天音の一言に軽く頷いてソファにて丸くなるものの表情は不満そのもののように見受けられる。

 孤独の寂しさ、それを打破する者が突如現れた。先程までいなかったはずの艶のかかった濃い茶髪の前髪を葉っぱのヘアピンで留めているその姿は人にしか見えなかったが、ドアも開けずに侵入してきたという一点の事実で異形だと語っていた。

「私に任せて」

 突然の無断の来訪からネコの前足を緩く握る女は留守番をすると告げていた。

「酒瓶半分になってりゃしないだろうね」

「大丈夫、天音が帰って来てから半分に」

「やめな」

 鋭い視線が本日最後のやり取りとなってしまった事を悟り、女は寂しそうな様子を顔に出すも天音は構うことなくドアの向こうへと飛び出して行った。

 続いて携帯電話を片手に運転手を呼び出して車に乗り込む。ふっくらと幼さを残した女の顔はいつの間に過去のものとなってしまったのだろうか。数年前と比べてすっきりとしていて大人びた顔に紫色のリボンで後ろ髪を一房に纏め上げたその姿。例え年月の果てに変わったとしても変わらない愛しさを持った天音の相棒。仕事どころかプライベートでも共に寄り添い、時には抱き合うような仲だった。

「従妹が、晴香と同い年の女がお困りなのさ」

「冬子さんだよね」

 その質問に対して首を縦に振る姿を確認すると共にアクセルを踏む。退魔師という仕事を相変わらず全うする天音のサポート役。大学を出た晴香の仕事とは思えないなどと親は嘆いていたものの、好きな人物と共に少しでも長く生きるための道筋でもあった。

 それから一時間以上はかかっただろうか。高速道路と呼ばれる人工的な感じが一般道よりも強いそこを素早く進む中で天音は一つの気配を嗅ぎ取った。

「そこのパーキングに入って」

 恐らく高速道路から降りるまでの道のりの中で最後のパーキングエリア。お土産でも買うつもりなのだろうか。

「休憩に入るから晴香はお茶でも買いに行きな」

 何かを悟ったような表情を張り付けながら言われるままに中へと入っていく晴香の姿を見届けて天音は扇子を取り出し木の柵へと歩み寄る。下駄は地面を踏むたびに空に響き乾いた音で空気の中で弾ける。

「こんなとこで恨み売る商売なんかなさって。店仕舞いの準備はお済みかい」

 訊ねる先にあるのは虚空。田畑と空に塗られた景色が心を打つちょっとした名所だった。

「さて、短い人生の延長戦もお仕舞さ」

 木の柵に絡みつく紐は返事をするように姿を変える。年端も行かない子どもの姿、いつからその姿のまま時を止めてしまったものだろうか。いつまでも木の柵にしがみついているつもりだろうか。

「いざ」

 天音は黒い棒状の何かを取り出した。広げると薄い絹の姿が展開される。外側の端は黒に近しい紺色、そこから手元へと向かって深い青から誰もが思い浮かべる青へと続いて比較的広い範囲を取る淡い雪を思わせる薄い青から六割以上を占める白。その扇子は様々な時間の青空を示しているようにすら思えてしまう。

 万物の青空の色をした扇子を構え、舞う蝶を思わせる雅な動きで振る姿、動きについて行くように白くて広い着物の袖が流れ、踏み出す一歩が奏でる下駄の逞しい音は意図して鳴らしているのだろう。様々な音や動きが輝きに混ざり、目の前の霊は靄のように不安定な体を揺らめかせながら表情を薄めていく。今にも消えてしまいそうなそれは空気に溶け、風に靡いていた。

 そうして散り行く体の中に秘められた記憶、死の破片の姿を天音の目に映す。



 それは田舎での出来事。父と共に祖母の家に泊まった次の朝の事である。突然父は何もない所を見つめ、何かがいると叫び始めた。

 初めはただ怯えていただけの子どもだったが、恐怖はさらに大きく成っていく。

 父は帰ると言い始めたのだ。

 何もない所に向かって何かを叫ぶような状態で車を運転しようと試みる彼に不安を抱くも子どもの意見など聞いてはくれない。

 そうして進み始めた車が高速道路へと進み、初めのパーキングエリアを横目に進め続けていた。ふと前を向いたその瞬間、パーキングエリアから出てきた車が姿を変えると共に襲って来た衝撃に意識を奪われた。



 天音は扇子を閉じ、巾着袋に仕舞う。無念の気配が散り散りとなり風に流れて行く様を見つめながら一息ついた。

「霊の過去なんて苦しみの終わりが大半だね」

 お祓いの余韻に浸り空を見つめる天音の方へと歩み寄る女の姿があった。声を掛けられて振り向いたそこに立つ晴香。柔らかな手に握られた緑茶を差し出されてさわやかな笑顔を浮かべながら天音は一口喉へと流し込んで安らぎのひと時を得た。

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