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断末魔の残り香 氷  作者: 焼魚圭
断末魔の残り香 氷
12/14

お祓い

 天音は熱と湿気にまみれた空間から爽やかな青空を見上げて届くことのない想いを飲み込み何かをする事もなくただぽつりと呟いた。

「ああ、その神は、水害除けのために血を捧げられたモノだった」

 人々の信仰を手繰り寄せて昭和と呼ばれる世間の中で産み落とされた若々しい神は禍々しい風習を与えられて狂信の凶行の強行によって凶神という姿を与えられてしまったのだという事。やりきれない事実、人の勝手によって生み出されて人の勝手によってひっそりと消えてしまいそうな神。

祠に祀られた神の像は埃被って壁は隅々にカビがこびりつき、供えられているガラスのコップは空っぽで汚れに塗れている。注がれていただろう日本酒の揮発さえ見られなかった。

「あの怪異はもう打ち壊すなんて出来やしないね」

 人々が放っておくことにより信仰の力で大きくなる神の面影など既になく、誰もが目を背けたくなる姿へと変貌してしまっていた。

「しかし、春斗は救わなきゃいけないね」

「よろしく頼む」

 冬子の頼みを断るなど天音にはとてもではないが出来そうもなかった。あの優しく真面目を取り繕って生きている彼女、その夫を救わなければ彼女は、冬子は納得してくれない事だろう。

「ホントは見殺しにしても仕方ないかも分からないけど」

 後ろ向きになってしまう程に気が引ける。不自然に暗い心情が蔓延っている。祠からは何も感じ取ることが出来ず、過去からは、三滝が読み上げた言葉の中からは不吉一色のおぞましい気配を見て取ることが出来た。この時点で在り方が歪なのかもしれない。

 家に戻り、天音は車のトランクから必要なものを用意する。晴香が麦茶を注いで冬子と三滝に渡している間にも何処かで見た覚えのある、しかし日頃は意識して見つめる事もない金属の高炉や独鈷杵といった仏具を用意する。

「仏様のいらっしゃる部屋だからねえ」

 今回は念仏を用いて祓うつもりのようだ。天音が道具の設置を進める中で晴香は即興で張られた結界のお札を見つめていた。

「ああ、それはアタシの合図と共にはがして」

 曰く、祓うための悪霊たちをいつまでも隔絶しておくことはできない。つまり、危険を乗り越えるために避けていた危険を招き入れるという事。

 冬子はいつになく背筋を伸ばして震えているように感じられた。きっと悪寒が襲って来るのだろう。天音が来るまでは外に追い出していた悪霊たち、天音がお香を焚くことによって遠ざけたあの存在、それらは今、春斗を囲む結界を囲んでいる。今か今か、早く連れ去る機会はと待ち続けているようで悪霊以外の言葉を当てはめることが出来ないでいた。

 このままではいられないのだろう。

「いつになったら諦めるんだ」

 冬子が声を震わせながら投げかけた問い。対してしっかりと受け止め冷静な口調で答える天音の目には感情が宿っていないようにすら感じられえる。

「諦めやしないさ」

 それは我慢強さや忘れないでいてくれる心などと言って褒められるような事ではなかった。

「あいつら、アタシの方にも目をつけるかも分からないね」

 表向きの感情を殺しつくし、気配を出来る限り抑える。退魔師などという死霊に触れ続けてきた職の者はきっと霊的な存在からも認識されやすいのだろう。天音の波長は確実に一般人と比べて霊に認識されやすいものへと変化していた。

 天音の合図と共に晴香は四隅の壁に張られていたお札をはがし、外へと持ち出し布に包んで車のトランクを開き鞄へと優しく入れて。

 天音は先が毛筆となっている万年筆を取り出して紙を墨で汚す。人の知能の宿った汚れ、意味があるのだろう、しかしながら現在に生きる大半の民には文字だと認識することすら叶わない曲線の連なりを書き連ねていく。

 それが終わる頃には春斗の身体を霊が取り囲んでいた。和服を着た者、今どきの服装をした者、作業着の男など、様々な人々が春斗を連れ去ろうと腕を引っ張り始める。

 そんな姿をただ見つめている春斗の祖父の姿を見て天音はお経を唱え始める。

 発音の分かるところ、言葉として聞き取ることの出来ないものに平坦ながらに軽くつけられた抑揚といったものが聞いている者はもちろんの事、空間までをも異界のように歪めていく。

 やがて春斗の祖父は座り込む春斗を見下ろして言葉をひねり出す。

「おいで」

 しかしながら春斗の口からは言葉が一切出てこない。

「こっちにおいで」

 天音が唱える独特な音色に心を揺らされ動くことすら出来ない。惑いうつろう心と恐怖の混ざり合うこの場所で祖父は春斗に顔を合わせた。

 いつ変わり果ててしまったのだろう。目に映るそれは紛れもない骸骨そのものだった。

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