第32話 屍使いの魔導犯罪者
お待たせしました。
全身の鈍い痛みで商人アッハンは意識を取り戻した。
「わたくしは……」
まずは冷静に自分の状況を確認する。
全身を酷く打ち付けたことによる打撲は広範囲に渡っている。幸運なことに骨折した箇所はないようだ。額から頬にかけて固まりかけた液体がべっとりと付着しているが、これはおそらく血だ。傷口の血は固まっており、出血多量で死ぬことはないだろう。
若干破れているものの衣服は無事。胸の間などに隠しているモノも取られていないのが肌の感触でわかる。
手足は金属の枷を嵌められており、動かせない。その枷の先に繋がるのは太い鎖だ。凶悪な犯罪者を封じる枷にそっくりなソレは魔力を阻害する効果もあるらしく、魔法発動はおろか魔力を練ることさえできない。
「ここは……」
次に周囲を見回す。
アッハンが捕らえられているのは、地下墳墓を連想させる緑色の炎の篝火が照らす不気味な空間だった。遺体の安置台が並び、人間のものと思われる骨や腐った肉片が散乱している。むせ返るほど濃密な血臭と腐敗臭に鼻が曲がりそうだ。
周囲にはアッハンのほかにも大勢の人間が鎖に繋がれている。『黒鯨』に誘拐されて貨物室で人質になっていた者たちだ。彼らも捕らえられてしまったのだろう。
地下墳墓の中央にそびえ立つのは、まるで地獄の門というべき本能が忌避する薄ら寒い死の気配を漂わせている黒い円柱だ。その周りに配置されているのは豪勢な供物で、ここに人が訪れている証拠である。
いや違う、と彼女の商人の勘が告げる。
これは死者を悼みに来ているのではなく、まるで邪神崇拝の教団が設置した祭壇――
「今回も活きがいい供物が手に入った。『黒鯨』もなかなかいい仕事をする」
階段を下りてやって来た紫の神官ローブを着た白髪の老人が、アッハンたちを見回して満足げに頷く。
彼の背後に付き従うのは、人形のような無表情の赤髪の女性。アッハンの記憶が正しいのならば、彼女の名はクティラ・ラムレイ――有名コズミックモデルであり、ラムレイ帝星国の皇女殿下である。
なぜ彼女のような高貴なお方が神官風の老人に従っているのかわからない。
「クティーラ」
「…………」
老人の言葉に従って赤髪の女性が無言で頷く。
彼女の背後から入ってきたのは、宙賊『黒鯨』の構成員だったアンデッドたちだ。
アンデッドたちはおぼつかない足取りで歩いて中央まで進んだかと思うと、黒い円柱の表面に触れ、そして溶けるように呑み込まれていく。
この世界ではないどこかへと送られたのだとアッハンは本能で理解した。
「一人くらい新鮮な供物を捧げておくとあのお方もご満足いただけるだろう。さて、どれにしようか」
老人は落ち窪んだ目で捕らえられた人間たちを品定める。
意識を取り戻していた数名が身を竦める気配があった。
「――少々お待ちくださいな」
その時、アッハンが物怖じせず神官風の老人に話しかける。そうしなければならないと商人の勘が囁いたのだ。
彼女は勘が鋭い。そしてその勘が外れたことは一度もない。
今回の星間移動を行なおうと思ったのも勘が囁いたから。月刊エプロン様という雑誌を手に入れたのも勘。子供向け英雄戦隊番組を予習したのも勘。衣装カタログデータやナノマシンフィギュアデータを取り寄せたのも勘。ハリセンを用意したのも勘。そして、骸骨船長ランドルフに『黒鯨』から荷物を取り戻すよう取引をしたのも勘によるもの。
まさか一国の皇女が登場して囚われの身になるとは思っていなかったが、この状況でも彼女は全く悲観も絶望もしていなかった。
上手くいけば絶対に助かるという勘が囁いているから。
「……なにかね? お嬢さん」
神官風の老人は、狂気が淀む濁った眼でアッハンを捉える。
「そちらの女性について質問がありますの。そのお方はラムレイ帝星国のクティラ・ラムレイ皇女殿下であらせられませんか?」
「その問いには肯定でもあり否定でもあると答えよう。ただこの個体は儂の忠実な屍隷人形だよ」
「個体……? 屍隷人形……? 『クティラ』ではなく『クティーラ』……まさかっ!?」
「おやおや。聡明なお嬢さんだ。たったこれだけで答えに行きつくとは。相当裏の情報にも詳しいのかな?」
「わたくしは商人ですの。これくらいの情報は知っていて当然ですわ」
「そうかそうか。お嬢さんをあのお方に捧げるのは実に勿体ない。見目もいい。儂の新たな僕にするのがよさそうだ……」
己の豊満な体をジロジロと眺めてご機嫌に頷く神官風の老人を、アッハンは真っ直ぐに見据える。
「貴方は、数々の町やスペースコロニーの住民をアンデッド化させて国際指名手配されている第一級魔導犯罪者『屍使い』ナグーブ・ホーでございますね?」
「儂は妻と息子を蘇らせたいだけのただの死霊術師だよ」
誇ることも無く暗に『そうだ』と静かに告げる死霊術師の老人ナグーブの瞳は、狂気に達したただならぬ執念で力強く爛々と輝いている。
己の野望を成し遂げるために人を殺すことや禁忌に手を染めることを全く厭わない目だ。実際、彼は実験と称して過去にいくつものスペースコロニーを壊滅させている。
相手は未だ捕まることなく星間国家から逃げ延びている凶悪な魔導犯罪者だ。一介の商人でしかないアッハンがどうにかできる存在ではない。彼女はただ助けを待つしかないのだ。
「お嬢さんのことは後にしよう。今はあのお方をご満足させることが重要だ。あと少し……あと少しなのだっ! あのお方のご機嫌を損ねるのはあってはならないっ! 断じてな!」
唐突に感情を昂らせたナグーブは軽く咳き込み、アッハンではない捕虜を見定め、
「よし。供物はお前にしよう」
「い、嫌だ! ボ、ボクは死にたくない! 死にたくないよぉ!」
指名された大企業モブキャーラの御曹司が子供のように泣き喚き、その隣の乗務員の男が勇敢にも名乗りを上げる。骸骨船長のランドルフ相手にも土下座して乗客を庇おうとした男だ。
「私だ! 殺すなら私を先に殺してくれ!」
「ふむ……まあどちらでもいい。クティーラ」
「…………」
ナグーブの命令に従って物言わぬ屍隷人形が無造作に腕を突き出す。その手には鋭利な剣が握られていた。
「ゴフッ……!」
心臓を突き刺され、首も切られた乗務員の男は、最期に口から大量の血を吐き出して、その命を終えた。
隣で失神した御曹司を一瞥すらせずに、死霊術師ナグーブはブツブツと呪文を唱える。すると乗務員の男の死体が光の球体と化し、中央の黒い円柱に吸い込まれて消えた。
ぼんやりと円柱が淡く輝く。
「これでよかろう」
ナグーブは円柱に恭しく一礼してアッハンたちに背中を向ける。
クティラ皇女と同じ顔をした屍隷人形が無言で付き従う中、彼は入ってきた階段を上る前に立ち止まり、
「そうそう。舌を噛み切って死にたいのなら好きにするといい。儂が求めているのは生きている人間ではなく死体なのだよ。特に苦痛や恐怖が染みついた死体を、な。だから苦しんで死んでくれると大いに助かる」
そして、捕虜たちを絶望の淵に叩き落した死霊術師ナグーブは、階段を上って見えなくなった。屍隷人形もいつの間にか消えている。
冷たい静寂が満ちる地下墳墓の空洞に、恐怖と絶望で震える捕虜たちのすすり泣きや助けを求める小さな懇願、そして神への祈りが異様に大きく響く。
「センチョーさん……」
唯一希望を失っていない女商人アッハンは、手の中に隠し持つ指の骨を、固く、強く、握りしめ続けている。
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