第21話 冥界の使者『忌まわしき狩人』
お待たせしました。
『ハァ……怠っるいお仕事の時間か――』
朧げに揺らぐ人型の闇は徐々に輪郭が定まっていき、この世界に実体化し始める。
たわわに実る胸。くびれた腰回り。艶めかしい曲線を描くお尻。声からもわかっていたことだが、この闇の人型はグラマラスな女性のようだ。
闇の輪郭が細部まで完全に固定化した直後、あれほど深かった純黒に鮮やかな色が宿る。そして闇の人型だったものは、エキゾチックな褐色肌の美女へと変化していた。
官能的な女体を纏うのは、羽衣のように透き通る薄いベール。豊満な胸を隠すのは、ほぼ包帯のサラシだけ。下半身はゆったりとしたハーレムパンツに腰回りにはヒップスカーフ。口元を覆うのは透けたフェイスベールである。
他にも宝石と黄金で緻密に作られた額飾りや首飾り、手足には腕輪や足輪など、官能的な体を洗練された装飾品で絢爛華麗に飾っていた。
全体的に、御伽噺に登場する砂漠の国の踊り子を連想させる妖艶な女性だ。
「気を付けてください、マスター。彼女は強いです」
私の隣に立つルルイエが、現れた女性に対して、いつ何があってもいいように油断せず警戒している。
惑星を単独で破壊することができる戦闘力を持つ彼女だ。彼女をどうにかできる相手は宇宙広しと言えどそう多くない。
だが、ここには私という足手まといがいる。私を護る場合、ルルイエの戦闘力は大幅に制限されてしまうだろう。
つまりこの踊り子風の美女は、ルルイエが私を護りながら戦うと苦戦を強いられるほどの強者だということだ。
「わかっている。彼女からは濃密な死の気配が漂っているからな」
一度死んで不死者になったからか、『死』に対して敏感になっている気がする。
踊り子風の美女から放たれる薄ら寒い濃厚な死の気配。敵対したら死ぬという絶望に近い圧倒的なまでの力の差を本能が確信していた。
警戒する私たちの前で、彼女は悠然と大きく伸びをし、
「ふぅー。久しぶりの現世か……やっぱり気分がいいね」
成熟した洒脱な声で独り言ちる彼女は、どこかやる気がなさそうに周囲を見渡して、倒れ伏した冒険者たちや転がる死体、半壊した建物に気づき、ハァ、とため息をつく。
「やれやれ。面倒くさいったらありゃしないよ。これだから使いっ走りは嫌だねぇ……おや?」
ふと彼女は何かに気づく。それは人ならざる者に変貌途中だったウィアードの変死体だ。
「おい。死んでいるのかい?」
恐れを知らず、褐色の美女は裸足で死体を突く。しかし、なにも反応がない。
軽く蹴飛ばして完全に死んでいることを確認し、次に彼女は警戒心を露わにする私たちの存在に気づいた。
「ふむ……」
彼女の紫水晶の瞳に見つめられた途端、骨の体にゾワリと悪寒が駆け抜けた。カタカタと震える骨の音。まるで飢えた猛獣の口の中に手を突っ込んでいるかのようだ……。
嫌でも理解せざるを得ない。彼女は、抗う気も起きないほど遥か格上の存在だ。
くっ! どうしたらいい? ルルイエに命じて逃げればいいのか!?
「――逃がさないよ」
私の心を見透かしたのか、美女は不敵に笑って姿を消す。私が認識できない速度で動いたのだ。
攻撃がくる! 衝撃に備えて防御を…………って、ん?
「捕まえた。ったく、コソコソ逃げやがって。アタシに手間をかけさせるんじゃないよ。面倒くさい……」
美女が伸ばした手の先、しなやかな指が掴んでいるのは、ヘドロに覆われたマリモのような球体だった。球体は意思を持っているのか必死に逃げ出そうと抵抗するものの、彼女はしっかりつかんで離さない。
どうやら狙いは私たちではなく球体のほうだったらしい。
「いい加減にしな。もう逃がしはしない。観念するんだよ」
なおも暴れる球体をむずと掴むと、魔力とは少し違う異質な力が迸って、髪がなびく彼女の手の中で球体が小さくなっていく。
最終的にはビー玉サイズの黒い球体となって、動きを止めたそれを美女は握りしめた。そして、
「やあ兄弟。お前さんがコイツの宿主を殺してくれたのかい? おかげでアタシは楽できて助かったよ。戦うのは怠いからねぇ」
気さくに片手をあげた妖艶な美女が話しかけてきた。
「お主は何者だ? 兄弟とは私のことか?」
「おっと。すまないね。アタシはこういう者さ」
そう言って、彼女は己の左鎖骨下に刻まれた飛龍の刺青を指差す。しかし、私には全く見覚えがない。ルルイエも知らないようだ。
「すまないが心当たりがない」
「ふむ。同業ってわけじゃなさそうだね。まあいい。アタシは『忌まわしき狩人』っていう、言ってしまえば冥界の使いっ走りさ。こう見えてリビングアーマー系統の不死者でね。スケルトンのお前さんとは兄弟姉妹って言っても過言ではないだろう?」
「ふむ。同じ不死者ならばそう言えるかもしれんな」
しかし、本当に不死者なのか? 生きているようにしか見えないが……。きっと高位の不死者なのだろう。そうとしか説明がつかない。
高位の不死者であり冥界の使い走りというのならば、濃密な死の気配を漂わせているのも納得だ。
「冥界の使者である『忌まわしき狩人』がなぜ現世に顕現したのだ?」
私の疑問に彼女は空いているほうの手をだらしなくヒラヒラと振りながら、
「仕事だよ、仕事。面倒なことにね」
「仕事とは?」
「『忌まわしき狩人』の仕事は、冥界から逃げ出した死者の魂を取っ捕まえるっていう、ひたすら面倒で怠いもんなんだよ。逃げた死者の魂の存在を検知したから、アタシに命令が下ってこうして仕方なくやって来たってわけさ。サボリたいけど怒られるのは勘弁だからね」
「するとつまり、お主が握っていたヘドロのような塊が、冥界から逃げ出したという死者の魂だったのか」
おや、と美女は長い睫毛に縁取られた目を軽く見張る。
「お前さんにも見えていたのかい? 一度も進化していないように見えるけど、なかなか将来有望そうじゃないか。そうだ。これが死者の魂だ。冥界から脱獄するような極悪人だからこんなに汚い色をしているがね」
ビー玉サイズになった汚らしい色の球体。一度死に、存在が最も死に近い不死者だからこそ私は魂を視認することができて、そうじゃないルルイエには見ることができないのだろう。
「人はみな死にたくない。それは死者になっても同じことだ。だから冥界逃げだして生き返ろうとするやつがいる。世界の理も完璧じゃあないから、たまにこうして脱獄されるんだ。面倒なことに、世界の理に反して冥界から逃げ出す者は、みんな生前に強大な力を持った者たちだけでねぇ」
心底面倒くさそうに踊り子風の美女がここぞとばかりに愚痴を述べる。
「現世でコソコソ隠れるコイツらは、生きている人間を乗っ取って復活しようとするのさ。ま、一度冥界に落ちた身だ。化け物にしかならないけどね」
「なるほど。それが『名状し難い憑依者』の正体か」
「そうそう。現世ではそう言う名前で呼ばれるそうだね。他にもいくつかあったが……忘れちまったよ」
宇宙は広いし歴史は長い。今まで様々な名前で呼ばれていただろう。忘れてしまっても無理はないと思う。
「死者の魂を取っ捕まえるには宿主を殺すしかない。でも、生前に強かったせいで面倒で面倒で……今回はお前さんたちが殺しててくれてアタシはだいぶ楽できたよ。どうだい? お前さんも『忌まわしき狩人』にならないか? アタシが上に口利きしてやるよ」
「すまないが辞退しよう。私には野望があるのでな」
「そうかい。なら仕方がないね。もし気が変わったらいつでも言っておくれ。歓迎するよ」
自分の仕事の量が減って楽できるから勧誘しているのでは……と思ったが口には出さない。
格上の相手のご機嫌を損ねたらマズい。ここは黙っておくのが懸命だ。
「さてと。死者の魂は回収したし、アタシはそろそろ冥界に戻るとするよ。あんまり長居すると、それはそれで怒られるからね」
「……私のことは捕まえなくていいのか?」
「マスター!」
なぜ余計なことを言うのか、というルルイエの非難の眼差しが私を貫き、彼女は庇うように私の前に躍り出る。
すまない。つい疑問に思ってしまったのだ。
警戒する私たちの前で、踊り子風の美女はキョトンと目を瞬き、なにやらおかしそうにさっぱりとした大声で笑い始める。
「アッハッハ! アタシは兄弟のことを冥界に連れて行ったりしないよ。安心しな、人形のお嬢ちゃん。そんな面倒くさくて怠いこと、お願いされてもお断りさ」
「なぜだ? 私はてっきり連れて行かれると思っていたのだが」
「いやいや。お前さんはまだ生きているじゃないか。生きているお前さんを冥界に連れて行ったら怒られ……はしないけど、上に報告をしないといけなくなる。そんな面倒なことは勘弁しておくれ」
まだ生きている……だと? この私がか? 私は宙賊に殺されて一度死んだはずでは……。
「アッハッハ! 困惑しているねぇ。兄弟、確かにお前さんの肉体は死んでいる。だけどね、冥界の使者の『死者』の定義は、世界の理に則ったものだ。世界の強制力によって魂が冥界に送られた者――それが『死者』なんだよ。だから、たとえ心臓が止まろうが、脳が機能を停止しようが、骨だけになろうが、魂が現世に残り続けている限り、冥界の使者も世界も『生者』とみなす。理解したかい?」
「まあ、なんとなくは」
「お前さんが一度冥界に落ちた死者ならば、アタシは『忌まわしき狩人』として連れ戻さないといけなくなるけど、そうじゃないだろう? だから好きにしな。お前さんも、そして――そこのお嬢ちゃんも」
踊り子風の美女が妖艶な紫水晶の瞳を私の横に向ける。
お嬢ちゃん? それってルルイエのことか?
不思議に思っていると、彼女も困惑げに首をかしげており、
「ワタシ、ですか……?」
「いいや、人形のお嬢ちゃんじゃない」
首を振った冥界の使者が指差したのはルルイエ、より正確に言えば、彼女の手の中だ。
「アタシが言いたいのは、そこにいるお嬢ちゃんさ」
「ま、まさか――」
「ツバキか!?」
ルルイエの手に優しく握られている小さな小さな核。それは死んだゴブリナのツバキのものである。
まさか核に魂が残っていたのかっ!?
「ツバキ。良い名前だね。力は弱いが、そのお嬢ちゃんはまだ現世に留まり続けているよ」
「そうか……ツバキが……!」
「大切な子だったんだね。蘇らせるのならまだ間に合うよ。と言っても、完全なる蘇生は不可能に近いがね。でも、アタシや兄弟のような不死者なら容易さ」
「どうすればいい!? 頼む! 教えてくれ!」
「お願いします!」
ツバキを蘇らせる可能性があるのなら、私もルルイエもなんだってする覚悟だ!
私たちの覚悟と熱意が伝わったのか、踊り子風の美女は艶やかに笑う。
「いいよ。教えてやる」
「本当か! 感謝する!」
「まずは死霊術と魔力は絶対だね。死霊術で微睡んでいるお嬢ちゃんの魂に語りかけ、魔力で賦活させるのさ。次に生贄。お嬢ちゃんと同等以上の生物を殺す必要がある。世界の法則は等価交換。お嬢ちゃんの代わりに生贄が死に、生贄の代わりにお嬢ちゃんが生き返るってわけだ」
なるほどなるほど。
レベルは低いが死霊術は私が覚えている。魔力もある。足りない場合はルルイエや”混沌の玉座号”からも補うことも可能だ。生贄は、今、ちょうどいいニンゲンが船にいるじゃないか。仇敵のヴァーリン。彼女にはツバキを生き返らせるために役立ってもらおう。
「あとはお嬢ちゃんの魂を現世に留めておく依り代が必要だね。霊体系の不死者にするには魂の格がちょっと弱すぎる」
「問題ない。ツバキの遺体は保管してある」
「それなら問題なさそうだね。あとは死霊術でその依り代に賦活したお嬢ちゃんの魂を降ろせば終わりさ。あとはお嬢ちゃん次第かね。お嬢ちゃんに何が何でも現世に留まりたいという強い想いがあれば上手くいくはずだよ」
「それも問題ないでしょう。ツバキは強い子です。上手くいくに決まっています!」
「ああ。そうだな。ルルイエの言う通り、ツバキは強い子だ」
冷たく空虚な心に熱い炎が燃え上がる。これは負の昏い炎ではなく、正の明るい炎だ。
あぁ……! 心にぽっかりと空いた穴が埋まっていくようだ……!
待っていてくれよ、ツバキ。必ず蘇らせてやるからな!
「ったく、羨ましいよ。そんなお前さんたちだからこそ、お嬢ちゃんも頑張って現世に留まり続けているのかもしれないね」
小さな核に踊り子風の美女は羨望の眼差しを向けて薄く微笑む。
「蘇生するならなるべく早いほうがいい。もって死後72時間だね。ただでさえ弱くて不安定な状態なんだ。世界の強制力を甘くみないほうがいいよ」
「72時間か……わかった。忠告感謝する」
言いたいことはすべて伝え終わったらしく、踊り子風の美女はヒラヒラと手を振る。
「これでアタシを楽させてくれた分はチャラってことで頼むよ」
「むしろ充分すぎるほどだ」
「そうかい? んじゃ、もしまた冥界から逃げ出した死者の魂を見つけたら、回収するのを手伝ってくれると助かるよ、って追加でお願いしておこうかね。その時に呼び出されるのはアタシじゃないかもしれないけど」
「ああ。承ろう。それくらいお安い御用だ」
蘇生の方法を教えてくれなかったら、72時間が経過して手遅れになっていたところだ。恩返しに『名状し難い憑依者』と戦うことくらい何ら苦ではない。
無防備な変身中に倒せることは証明済みだし、こっちにはルルイエがいる。
最悪、倒さずとも時間稼ぎをして彼女のような冥界の使者『忌まわしき狩人』を待てばいい。
「それじゃあね。お前さんたちに死神の祝福を――」
そう言って、踊り子風のエキゾチックな美女はトロリと闇に溶け、床板の継ぎ目に吸い込まれるように消えていった。
周囲に色が戻り、ねっとりと重苦しかった大気が爽やかな風に流されていく。
半壊した冒険者ギルド内に人間社会の喧騒が戻ってきた。
「ルルイエ」
「はい、わかっています」
「早く船に戻るぞ」
「はい!」
ツバキの核と刀は無事に取り戻した。仇のウィアードとファンシフルも殺した。ならばもうここに留まる理由はない。
逸る気持ちを心に抱きつつ、私たちは瓦礫を乗り越え冒険者ギルドの建物から出ると、
「はぁ……またこれか。鬱陶しいぞ、ニンゲンども」
騒ぎを聞きつけて、生き残りの冒険者や円形都市アイレムの住人、警備兵がワラワラと集結し、各々が武器を構えて私たちが出てくるのを今か今かと待っていたのだ。
「見ろ! 片腕を失っている!」
「弱っている証拠だ!」
「スケルトン!? 誰か! 教会から司祭を呼んで、ありったけの聖水を持ってこい!」
ニンゲンどもの声が実に耳障りだ。
なぜこやつらは邪魔をする? 私たちにはやらなければならないことがあるというのに……。
「ニンゲンどもよ。やらねばならぬことがあるゆえ、我らに構うな。今の私は実に気分がいい! 手を出さぬのならば見逃してやろう」
しかし、私の忠告に従う者はいない。逆に挑発されたと受け取って戦意を漲らせるだけだ。
はぁ……面倒だな。これだからニンゲンは。
「お、おい! なんだあれはっ!」
その時、一人のニンゲンが上空を見上げて戦慄の声を上げた。それにつられて一人、また一人と上を見上げ、誰もが絶句する。
ルルイエがステルス機能を解除したのだろう。円形都市アイレムの上空に停泊していたのは、全長500メートルを超えるボロボロのガレー船、”混沌の玉座号”だ。
下から見上げる船体の威容は凄まじいものがあった。見知っている私でさえも圧し潰されそうな恐怖と圧迫感に襲われる。
この惑星の人間は、空に浮かぶ未知の巨大な物体に恐れおののくしかない。
町のあちらこちらからパニックに陥る悲鳴が飛び交う。
”混沌の玉座号”は良い注目の的となった。おかげで取り囲んでいたニンゲンたちは、すっかり私たちのことを忘れてしまっている。
この致命的な隙を見逃す私ではないぞ。忠告してやったのに武器を構えていた貴様らが悪い。
「我に生命を捧げよ。死してなお、汝らの魂に混沌在れ――」
私は魔導銃アル=アジフの引き金を無造作に引き、そして銃声が轟いた。
お読みいただきありがとうございました。
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