馬鹿め! お前たちが相手にしているノーコンは、コントロールの良いノーコンだ! 送りバントなど、ムダムダムダァッ!?
浜風が心地よく感じる、港ノ裏スタジアム。夕方という事もあり日は傾き、スタンドを赤く染める。
「悪夢のようなサヨナラ負けから一夜明け、今日はホームに山形ホワイトフォックス迎えてのゲームです。実況は昨日に引き続き、わたくし坂田燈子でお送りします」
実況の女性、坂田がマウンドに目を向けると、一人の選手が投球練習をしていた。
「えい」
マウンドの上で、投球練習を行う銀髪の女性。銀髪をたなびかせ投げる様子は、見る者を魅了する。ブラックキャッツのエース、嶋村莉華子だ。
「さあ芦屋の暴れ馬こと、嶋村莉華子選手が投球練習を終え、いよいよプレイボールです」
「プレイボール!」
球審のコールと同時に、キャッチャーのサインを覗き込む莉華子。休養日の真緒に変わる、小山田の出すサインに、彼女はうんと頷く。
莉華子は左足を一塁側に向け、右足をキャッチャー側に向ける。セットポジションの様に体を一塁に向けるでもなく、ワインドアップやノーワインドアップの様に正面に向けるわけでもない。
しいて言えば、半身の体勢とでも、言うべきだろうか。
「さあー今日も頑張って、抑えますねー」
サインに頷き、ボールを握った左手をグラブの中に納め、投球動作に入る。
上半身をホーム側にねじり、今度は一塁側に体をねじる。グリングリンとラジオ体操を思わせる、左右に体をねじる動作を3回ほど繰り返し、右足をクンと上げる。ねじり動作で貯めたエネルギーを逃さぬよう、体が開かぬよう注意しつつ、右足をホーム方向へ踏み出す。
「えいっ!」
テニスのサーブと勘違いする程に、腕を高々と上げる。極端に上げられた腕は、2階から投げ下ろされたと錯覚するくらいに、高い位置からボールをリリースする。
しなやかかつ、豪快なフォームからから放たれた豪速球はうなりを上る。パーン! と、ピストルの発射音を思わせる捕球音をたてる。
「初球は何と155キロ! 惜しくもストライクとはなりませんでしたが、自身の最速を1キロ更新する155キロ。嶋村莉華子選手、いつにもまして勢いがありますね」
続くボールも、153。154と、凄まじいボールを投げ込んでいるのだが、ストライクが全く入らない。8球連続のボールで、1番と2番打者をフォアボールで歩かせてしまう。
これにはたまらんと、キャッチャーの小山田はタイムをかけ、莉華子の元に駆け寄る。
「おいおい莉華子、気合が入っているのは良いが、ストライクに入れる位はしてくれよ。
愛しの王子様が見ていて舞い上がっているのは良いが、それで失点するようじゃ好感度が駄々下がりだぜ」
「はーい」
ベテランの小山田に色々と言われたようだが、莉華子はどこ吹く風と言った様子だ。初回からピンチだと言うのに、慌てている様子はみじんも感じさせない。
「さてさて、この状況になればやることはあれですよねー。それなら」
ランナー1、2塁と、初回から失点のピンチ。莉華子は初球を、打者のインコースに投げ込む。
その時バッターは突如、バットを寝かせる。送りバントだ!
バッターは上手く三塁線に転がし、思わずほくそ笑む。バント成功でワンアウト2塁3塁。誰もがそう思っていた。
「やっぱりこっちに転がしますよねー」
なんと転がす先を読んでいたのか、彼女は三塁線に先回りをしていたのだ。無駄のない動きでボールを捕球し、すぐさま三塁に投げ込む。
「アウト!」
そしてアウトのコールと同時に、三塁手が一塁に投げる。
「アウトォォォォ」
一塁塁審のアウトコール、ダブルプレーの完成だ。ランナーは2塁に残すのみとなり、バントを失敗したバッターはベンチで頭を抱え項垂れる。
「ふっっはっははははは、馬鹿め! お前たちが相手にしているノーコンは、コントロールの良いノーコンだ! 送りバントなど、ムダムダムダァッ!?」
送りバント失敗の光景を見ていた、黒髪美少女の幸子は上機嫌。
「なんですか? コントロール良いノーコンて」
「分かんないのか? 莉華姉ぇは、コントロールのいいノーコンなんだ。具体的に言うと、3球に1球は狙った所にキレッキレのボールを投げられる。しかも寸分の狂いも無くだ」
「そう言う事か!? さっき特訓の目的はこれなんだ」
「わかったか? 莉華姉ぇはノーコンでも、3球に1球は狙った所に投げられる。相手がバントをしやすい所にわざと投げて、守備でランナーを殺しにいったんだ。
まあ、荒れ球で守備の上手い相手に、送りバントをしようってのが無謀なんだ。実際、莉華姉ぇの術中にはまってるわけだし」
幸子の言葉に、仁はゴクリと喉を鳴らす。
「この後も目を離さず見ていろ、莉華姉ぇがどうやって打者を打ち取るか」
続く4番の最上秋子はフォアボールで歩かせるも、次の五番打者を2球連続のストライクで追い込み、最後は高めのボール球で三振に取り初回のピンチを乗り切った。
「ふー、危なかったですねー」
「ある程度ストライクが入るから、待球も通用しない。で、最後は打者がボール球に手を出す」
「確かにあの投球をされたら、待球は効きませんね。2球で追い込み、最後は高め真っすぐのボール球を振らせる。これが3球に1球の極意」
「分かってきたようだな。お前が目指すスタイルは、今の莉華姉ぇの投球だ。一挙手一投足、見逃すんじゃないぞ」
「分かりました、幸子さん」
「幸子と呼べと言っておろうが」
チョップん!
◇
「試合はブラックキャッツ嶋村莉華子、ホワイトフォックス生駒聖一両エースの好投により、スコアレスの0対0。4回裏ツーアウトで、ブラックキャッツの攻撃。ここで打席に立つは忘れた頃の一発がコワイ、恐怖の一番バッター、今日は指名打者で出場の猫光真緒です」
「何とか4回まツーアウトまで来た、猫光を抑えれば、完封も見えて……ん?」
ブォン! ブォン! ブォン!
打者が準備をするネクストバッターズサークルで、凄まじいスイング音をたてる赤髪でポニーテールの女性が居た。
嶋村三姉妹の長女であり月島登志の妻、月島裕子その人だ。
「うわー、相変わらず恐ろしいスイングをしてるよ。4月だけで13本のホームランを打つのも納得だ。とっとと目の前の猫光を仕留めて、ランナー無しの状態で迎えたいぜ」
おんやぁ? 生駒さんが、裕子さんを気にしている。これは付けこむチャンスだにゃ。
生駒は裕子と勝負したくない、真緒は彼の表情と目線から、それを読み切った。歩かせたくない以上、私で勝負してくると。
グワッキーン!
金属バットで打っているんじゃないかと思うほどの凄まじい音をたて、打球は放物線を描く。
「ここで恐怖の一番、猫光真緒のバットが火を噴いた。ここで値千金の第6号ソロホームランだぁぁぁ!?」
「後ろが強打者だと、私と勝負をしてくれて楽だにゃ。裕子さん、様々だにゃー」
1対0、均衡を破る真緒の一発でリードを広げたブラックキャッツ。後はエースの莉嘉子が抑えるだけと、誰もが確信をしていた。一部の人間を除いて。
「莉嘉ねぇ大丈夫かなー。この試合はノルマ未達成だし、最終回は荒れそうだよ」
「ノルマ未達成?」
「まあ、見てればわかるよ」
◇
ノルマ未達成で最終回は荒れると言う、意味不明の言葉をつぶやいた幸子。それが現実のものになろうとしていた。
「ああっといけません! ゲームセットまで後3人と言う所で、3者連続フォアボール。これでノーアウト満塁」
「はっはっはっはー! 一試合6四球のノルマを達成!? これをやらなきゃ、莉嘉姉ぇじゃないよね」
自身の予想が当たり大喜びの幸子とは反対に、ベンチは大慌て。莉華子が完封ペースの為、連投続きだったリリーフ投手たちは、投球練習もさせず休ませていた。
だがそれが仇となる。
大慌てでピッチングコーチはブルペンへ電話をかけ、早めに肩は出来ないかとブルペンのコーチをせかす。
ベンチ内はてんやわんやの大騒ぎだったが、歴戦の名将、勝英は冷静だった
「何慌ててるんや、莉華子はこのまま続投や。リリーフの準備は必要ない。すぐに準備を中止させい」
「ですが、このまま投げさせては大変なことになりますよ!? 早く後退させないと」
「じゃあ聞くが、莉華子以外にノーアウト満塁のピンチを、0点で乗り切れるリリーフが居るんか? 居らんやろ」
勝英の言葉に、新米コーチははっとした表情を見せる。
「とりあえず落ち着け、そしてうろたえるな。
ワシらが慌てとる姿を選手が見よったら、どうなるかわかるやろ? ワシらはどっしりと構えて、選手たちを見てればええんや。
莉華子の事だ、このまま無失点に抑えて、けろっとした顔して帰って来よるわ」
勝英の予想通り、莉嘉子は踏ん張りを見せる。2番3番をフルカウントにしながらも、連続三振に仕留め、ツーアウトまでこぎつける。
このあまりにも心臓の悪い光景に、キャッツファンは酒をがぶ飲みし、痛んだ胃を整えるべく胃薬を服用するものまで居た。
「何とかツーアウトまでこぎつけましたが、満塁の大ピンチ。ここで打席に立つは北の三冠王、最上秋子。四月はホームラン16本と、今ノリに乗っているバッターです」
ネクストバッターズサークルでは、巨大な胸部にふわふわ金髪で小麦色の肌の女性が、これでもかと言わんばかりにフルスイングをしていた。
身長は170cm半ばと言った所だが、強烈なフルスイングは当たれば横浜の港まで飛ぶのでは無いかと思わせる位ものがあった。
莉華子は左打席に入る、秋子の一挙手一投足に目を配り。彼女の狙い球は何かと必死に探る。
「この場面でボールから入るのは、押し出しのリスクがありますねー。初球は外角低めのストレートで、様子見でしょうかー」
ツーアウト満塁。莉華子から投じられた初球は、ゴーっとうなりを上げたボールが、左打者の外角低めに。高さコース球威、文句のつけようのない最高のボールであった。
「打てば逆転のシチュエーション。ここで決めなきゃ、北の三冠王の名が廃るっしょ!」
だが、秋子はそれを狙っていた。
ばっちいいいんんん!
夜空を高々と舞い、レフトのポールはるか上を通過する。ファールか、ホームランか。審判はファールを宣言する。
「最初から全力で投げておいて、正解でしたねー。もしコントロール重視の140キロ後半のストレートでしたら、ホームランだったでしょう」
莉華子はパームボールのサインに頷き、投球動作に入る。遅いボールを速いボールと錯覚させるべく、これでもかと言う位に、全力で腕を振る。ぱっと見は150キロオーバーのストレート。
だが、その見た目に騙されスイングをすれば、30キロ以上の緩急のせいでボールはバットの遥か先。
ボールは来ないうえに、急激な落下をする魔球。この二重のトラップを詰め込んだパームボール、スイングをすれば、空振りをするのは当然! のはずだった。
なんとバッターの秋子が、踏み出した右足をもう一度ステップし、狂わされたタイミングを調整したのだ。
「タイミングはこれでバッチシッ。後は、落ちるボールへの対処」
すると秋子は、キャッチャー側の左膝を地面に付け、上体を30センチ以上も落した。タイミングが合っているうえに、バットとボールの高さもジャストフィット。
「魔球パームの2重防衛網、これで突破だああぁぁぁぁ!?」
ゴワッシャアアアアン!
バットとボールの衝突した音ともに、今度はライト方向に放物線を描く(えが)。ホームランかファールかきわどい所だが、ライトからセンターへ抜ける浜風で、ボールが押し出される事を考えれば、ホームランになってもおかしくない打球だった。
「ファール」
塁審のファールの判定に、ホームのファン達はほっと息をつく。
「浜風がウイング席に遮られた? 助かりましたねー。去年まででしたら、打球が風に乗ってスタンドインでした」
一方、アウェイのホワイトフォックスのファンはと言うと、2球連続のホームラン未遂に活気づいていた。打席の秋子を鼓舞すべく、ファン達はフォックスダンスを踊る。
「右にこんこん、左にコンコン! おいでませ、おいでまっせホームラン」
レフトスタンド最前列の、お狐様コスをした女性に合わせ、両手でお狐ポーズをし、コンコンとダンスをしていた。
それを見ていた秋子は、ファンが盛り上がっている事に嬉しさを感じ、ニヤリと笑う。
「こんこん、コンコンっと。次こそは、スタンドにぶち込むっし」
対照的に莉華子は、口をへの字に曲げ、困ったと言う表情を見せる。基本的には飄々(ひょうひょう)とした表情しか見せないだけに、僅かながらに追い詰められているのは明白であろう。
「困りましたー、本当に困りました。これはもう投げる球がないですねー。どうしたものか……あっ!?」
小山田から出されたサインに、莉華子は何度も首を振る。ストレート、スライダー、カーブ、バーム、全てのサインに首を振り、キャッチャーは困り果てていた。小山田はやけくそに、テキトーなサインを出すが、それに莉華子はウンと頷く。
ノーボールツーストライク、セットポジションの莉華子は右足をほとんど上げずに、ホーム側に踏み出す。
大胸筋をしならせ体を思いっきり3塁側に傾け、左手を2メートルの高さまで上げ、リリースする。ボールが手元を離れる瞬間、粉雪を思わせるロジンの粉が大量が舞、莉嘉子の美しい銀髪がふわりと空を泳ぐ。
渾身の力を込めた投げた、149キロのボールだったが、スーッとど真ん中に吸い込まれる。失投か!? 威力の無いボールがど真ん中に来れば、捕らえられない4番打者は一軍にいない。
ましてや、それを捉えようとしているのは北の三冠王こと最上秋子、ボールが来るであろう高さに軌道を合わせフルスイングをする
「さぁここでホームランを打って、ファンのみんなを笑顔にするしっ!」
バットがボールに衝突する次の瞬間、149キロの速度を維持しながら沈んだのだ。
ブォン! ずてんっ!?
「ストライク! ゲームセット」
秋子は149キロの沈むボールを、捉えきれずに空振り三振を喫する。勢い余った彼女は、打席内でずてんと転んでしまったのだった。
ブラックキャッツファンは、ゲームセットのコールに歓声を上げ、ブラックキャッツファンからはため息と悲鳴が漏れる。
「うわー……僅かにボールが沈んで(お辞儀)してたけど、ど真ん中の絶好球を空ぶったよ。あーあ、あたしカッコ悪すぎっしょ」
悔しさのあまりに、唇を噛みしめる秋子。そんな彼女はふと、電光掲示板の球速表示に目をやる。
「149キロ? フォークにしては速すぎだし、何だったんだろう今のお辞儀球。そもそも、莉華子はフォーク投げられないし」
「危試したボールが、ちゃんと落ちてくれて助かりましたー」
「あのスピードで落ちる球? あー」
莉華子の言葉を聞いた秋子は、右手で顔を覆い天を仰ぐ。
「あたしはツーシームの餌食になったのか。ていうか、普通。こんなピンチで、新球を試さないっしょ。流石は嶋村莉華子って所か。でもね、次は負けないかんね」
◇
試合も終わり、スタジアム前のホテルに帰る為に準備をする仁。
「おい、お前。この後暇か?」
唐突に、幸子が声をかけて来た。
「いや暇って、寮に帰りますよ。あっ、もしかして特訓ですか?」
「違う、とりあえずこれを開けてみろ」
幸子から渡されたものの封をけると、中身はスタジアム近くの高級料理店のチケットだった。
「これなんですか? 僕こういうのもらうような事をしていましたっけ?」
「まあいいから、これでおいしいもの食べてこい。マネージャーや監督にも説明してあるから、門限の心配をする必要はない。ゆっくり食べてこい」
「これテレビで見た、カップルに好評の高級料理店のチケットですけど、僕なんかに渡していいんですか?」
仁は疑問を投げかけるも、幸子はニヤニヤするだけで何も言葉を返さない。
「分かりました、幸子の好意受け取りますよ」
「おっ! ボクの事呼び捨てできるようになったじゃないか。感心感心」
こうして仁は、幸子に言われるまま、チケットを握りしめ料理店へと向かうのであった。この後起きるサプライズを知らずに。




