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オーバーラップ〜外伝〜  作者: 杏 烏龍
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夏の挑戦

 ~一~

 とある日曜日。西園寺かえでと東堂しのぶは、近所のフィットネスクラブに出かけていた。武道具店を営んでいるかえでの祖父から、招待券をもらったからである。

「おもしろかったですね。東堂先輩」

「そうね。筋力トレーニングのマシンが多くあって、結構いろいろ試させてもらったわ」

 ひとおりトレーニングコースを体験して、休憩室で休憩している二人。施設の内容に満足しているようだ。

「これからも、ここに来てもいいかもしれないわ。ほら私、腕力があまりないから」

 そう言ってしのぶは、Tシャツの左腕の袖をまくり、腕を折り曲げて力こぶを作ってかえでに見せてみる。するとしのぶの腕が少し盛り上がる。

「先輩そんなことないですよ~。練習のときあれだけ竹刀を振っても平気な顔してませんか」

「練習のときは、コツがわかっているから大丈夫なの。でも試合になると(ああっ、腕力ないなぁ)て痛感するの。だんだん竹刀が重く感じるから。西園寺さんは腕力はかなりありそうね?」

 しのぶの言葉を聞いて、少しふくれっ面になるかえで。

「え~先輩ひどい! 私そんなに腕力ないですよ~。なんか先輩って私を誤解していません?」

「ゴメンなさい。冗談だから――でもね、西園寺さんはいつも竹刀よりも重いなぎなたを振り回しているから、つい……」

 しのぶは、ふくれるかえでに向かって手を合わせてあやまる。ふくれるしぐさをしているかえでが、かわいらしくてわざと言っているようにも見える。

「でも、私も最近二の腕が、なんとなく気になるのですよ。もうすぐ水着の季節だから……」

 今度はかえでが自分の二の腕をさわりながら、しのぶに見せてみる。

「もうかなりヤバイだろうってくらい、ぷにぷにですから――そうだ、東堂先輩また来週ここに来ませんか? 私、また祖父から入場券をもらっておきますから」

「そうね。ここなら学校にも近いから、部活がない時に寄る事ができるかもね。でも西園寺さん、今度は私ちゃんと入場料を払うから。いつも西園寺さんのおじいさんに気を使っていただいて、その上、色々といただいてばかりで……」

 しのぶは肩をすくめて恐縮して話す。

「いいんですよ東堂先輩。先輩はいつも祖父のお店で剣道の道具を買っていただいているから、祖父は『サービスだからに気にしなくていいぞ』って言ってますよ。ここはその言葉に甘えてください」

「そう? いいのかしら。じゃあ、また一緒にいきましょうね。西園寺さんとなら私、三日坊主にはならないわ」

「やったー! また先輩と一緒に行ける! (ゴメンね竜太)」

 しのぶに一緒に行こうと言われて、かえではものすごくはしゃぎだした。本当にうれしいみたいだ。


 ~二~

 二人は汗も引いたので、着替えて帰ろうと更衣室に向かおうとしたとき、かえでが廊下の掲示板に張ってある張り紙に気がついた。そこには、

『本日、屋内プール特別無料開放中。フィットネスご利用の方には特典として水着を進呈!』

 と、書かれていた。かえではそれを読み、嬉々としてしのぶに話し出した。

「東堂先輩! 今日ここのプール開いているみたいですよ! 水着の心配ないみたいなんで行ってみませんか?」

 満面の笑みでしのぶを誘うかえで、ところがしのぶは、

「えっ? まあ西園寺さんが行くなら――私も行こうかな。入るだけなら……」

 あまり気乗りしないような表情をしている。

「先輩! プールだと、さっきのフィットネスジムよりも楽に身体を引き締められますよ。二の腕もウエスト周りも。いきませんか?」

「ま、まあ、少しだけなら――それに、私、身体を引き締めたいわけじゃないけど……」

 しのぶはそう誘われても、表情は曇ったままだ。

「東堂先輩どうしたのですか? なんか私、変なこと言いました?」

 かえでは、しのぶが急に表情が暗くなったことが気にかかる。

「いいえ、西園寺さん気にしないで。何も変な事言ってないわ。でも――」

「でも?」

「私……少しプールに入るのが苦手なの……」

 普段のしのぶからは考えられないほど小さな声で、節目がちに言った。

「苦手? えっ? 東堂先輩もしかして……」

 かえではしのぶの態度で全てが解ったような表情をした。そしてしのぶを傷つけないように小声で尋ねた。

「水着になるのが嫌なんですか?」

 いきなり水着の事を言われ、しのぶは驚く。

「へっ? いや――まあ、それもあるけど……」

 するとかえではニコッと微笑んで。

「東堂先輩、大丈夫ですよ。自信を持ってください。先輩はかなりいいスタイルしてるんですから」

 かえでは、しのぶの手を引いてプールに入ろうとする。

「いや、西園寺さん。私そんなスタイルの事なんて気にしていないから」

「先輩、ここは私に任せてください! 先輩にピッタリの水着を選んであげますからね。先輩なら何が似合うかな?」

「えっと、西園寺さん。私、本当にいいから。西園寺さんがプールに入るなら、私そこで待っているから――ね」

「駄目です。先輩。そんな弱気じゃ。いつものかっこいい先輩じゃないですよ」

 しのぶの言葉をさえぎるようにしてかえでは、そのままプールの受付までしのぶを引っ張っていく。しのぶも少し抵抗しようと試みるが、かえでの腕力のほうが強くて結局引きずられていく格好になった。

(あ~ん。西園寺さん。違うんだって……)

 もう泣きそうな表情になっているしのぶ。かえでの性格をしのぶはすっかり忘れていた。思い込んで突っ走りだしたら誰も止めることができないことを。


 ~三~

 プールの受付カウンターは、女性スタッフが一人だけ立っていた。

 かえでは、しぶしぶついて来ているしのぶを横に立たせて、受付手続きを始めた。

「すみません。掲示板に書いてある特典付でプールに入りたいのですが、いけますか?」

 女性スタッフは、ニッコリ微笑んで、

「はい。大丈夫ですよ。今日は空いていますから、ゆっくりご利用いただけます。ここにお名前とお所と職業を、あっ学生の方は学校名をお書き下さい」

「それと、水着は選ばせてもらえるのですか?」

 かえでの瞳は輝いていて、喜びがあふれ出ている。自分がしのぶの為に水着を選べるなんて思ってもみなかったからだ。

「はい。それなら別室に見本が置いてありますから、その中から選んでください。試着もできますので、その際はサイズをこちらにおっしゃってください」

 そう言われてかえではしのぶの方を向き、

「先輩、私、水着選んできますね。絶対に似合うのを選んできますから、待っててください! それと、先輩ならサイズは――うん、大体わかります」

 そんな嬉々としているかえでを見て、もう、しのぶはすっかり観念してしまっている。

「それじゃあ、西園寺さんにお任せするわ、お願いね」

「はい、じゃあ、待っててください!」

 かえでは、水着の置いてある別室へ小走りで行ってしまった。しのぶはその後姿を見届けてから、プール受付ロビーのソファーに深々と腰をかけ、ため息を一つついた。

「はぁ~。どうしよう。西園寺さんになんて説明したら解ってもらえるのかな――私、泳げないんだけど……」

 そう、しのぶは、泳げない。それも自他共に認めるほどのカナヅチである。文武両道で何でもできそうなイメージがあるしのぶ(事実、学業も部活もしっかりできる)だが、唯一できないのが水泳だった。

 泳げないので、皆と海などへ泳ぎに行くことはなく、泳ぎに行かないので水着になる機会もない。そのため、しのぶは水着になることに対してかなり抵抗があった。水着姿になるのは中学校の体育の授業以来である。

「西園寺さん、とってもいい子なんだけど――こんな時は、少し困るな……」

 しのぶは、以前に前髪を自分で切りすぎておでこが見えるくらいの『ぱっつん』になってしまったとき、かえでのすすめで鉢巻を一日締めていたことを思い出した。

 その時は、まさかかえでが鉢巻を持ってくるとは思わなくて、少し恥ずかしかったのだが、せっかくかえでが自分の為を思って見つけてくれたものだったのと、部活でも鉢巻を巻いたことがあったので、それほど抵抗が無かったのに加えて、同級生からは『かなり似合う』と受けが良かったので、結局そのまま締め続けた。

 しかし、今回はそういう訳には行かない。本当に嫌なのだ。でもあの純粋な瞳に見つめられるとしのぶは本当に何も言えなかった。

「水着だけなら、何とかなるかな……」

 しのぶがあまりにどんよりとした表情で腰掛けていたので、女性スタッフが見るに見兼ねて声をかけてくれた。

「あの――ご気分が悪いのですか? お連れの方をお呼びしましょうか」

「えっ、あっすみません。大丈夫です」

 そう言ってからしのぶは、ふと思ってスタッフに聞いてみた。

「すみません。あの~ここには浮き輪はありますか?」

「えっ?」

「すみません。無ければいいです」

「いえ、ある事はあるのですが――小さいお子さんが、両腕にまかれる『ヘルパー』というものなら」

「小さい子供用ですか――大人がするとおかしいですよね」

「はい、かなり……。それなら水泳補助板の『ビート板』の方が」

「『ビート板』では、私、沈んじゃうな。すみません、ならいいです」

 しのぶは少し期待して聞いてみたのだが、満足できるものは無かった。やっぱりプールに浸かるだけにしてもらうか、かえでにきちんと言って断るしかないようだ。

 すると、かえでがいそいそとしのぶの元に戻ってきた。

「東堂先輩! 見てください。いいのがありましたよ。これならきっと似合いますよ」

 かえでが持ってきた水着を広げてしのぶに見せた。それはローズピンクのビキニだった。

「……西園寺さん。ちょ、ちょっと派手じゃないかな?」

 かなり戸惑うしのぶの反応を見て、かえではたぶんその答えを予想していたみたいで、

「大丈夫ですよ、こうして見るのと着てから見るのとは違いますから。さあっ、先輩着替えに行きましょう!」

 いきなり背中を押されて焦るしのぶ。

「ちょっ! 西園寺さん、待って! まだ私、心の準備が……」

「なに言ってるんですか、大丈夫ですよ先輩、きっと似合いますから」

 もう完全に嫌がっているしのぶの背中を強引に押し、かえではしのぶを更衣室に連れて行き、自分も後から続いて入っていった。


 ~四~

 しばらくして、水着に着替えた二人はプールサイドにいた。

「ほら、先輩かわいいですって、そのローズピンクのビキニ似合ってますよ」

「でも、恥ずかしい。西園寺さん」

 かえでに褒められながらも、かなり戸惑っているしのぶ。

「先輩。もう自信を持ってくださいよ、先輩。肌なんか無茶苦茶綺麗なんだから、憧れますよ、私」

「そんな事無いから――やっぱりタオル巻いていてもいい? あなたみたいに」

「駄目です、先輩、私がタオルを巻いているのは、恥ずかしいからじゃありません。はい! じゃ~ん」

 そう言ってかえでは、ファッションモデル張りの動きで、身体を回転させながらタオルを外した。そこには、大人っぽい黒いビキニに身を包んだかえでの姿があった。

「うわ~。西園寺さん、ものすごく似合っているわ。大人っぽく黒のビキニか、スタイルいいからね西園寺さん」

 しのぶに褒められて、ものすごく上機嫌なかえで。

「先輩ありがとうございます! ちょっとセレブなかえででございます」

 セレブなかえでは、プールサイドをモデルみたいにしゃなりしゃなりと歩いて見せた。

「ところで、今気がつきましたけど、東堂先輩のアップな髪型は、はじめてみました」

「えっ? ああっ、髪の毛ぬれると後で大変だから」

 しのぶは、普段とは違ってポニーテールにした髪をそのままお団子みたいに頭の上でまとめていた。その姿を見てかえではしみじみと、

「竜太はにはこの姿は見せられませんね。アイツの事だから、こんな素敵な先輩を見たら『しのぶせんぱ~い』とか言って、鼻血吹きまくるんでしょうから」

「ぷっ」

 しのぶはつい吹き出してしまった。かえでのしぐさがあまりに竜太そっくりだったからだ。それを見てかえでは、少し安堵の表情を浮かべ、

「あっ、先輩。やっと笑ってくれましたね」

「えっ?」

 しのぶは急にテンションがおさまったかえでを見て驚いた。

「東堂先輩、今日はごめんなさい。なんか強引にプールにつれてきたみたいになって」

「大丈夫よ、プールは少し苦手だったけど、こうして話すぐらいなら大丈夫」

 しのぶは、かえでに微笑みかける。しかしかえでは、少し淋しそうな表情になって、

「先輩。いつも私は先輩から教えてもらうことばかり。少しは先輩のお役に立つことが無いのかなとずっと思っていたんです」

「そんなに気を使わなくてもいいわよ。いつもあなたには元気を頂いているわよ。それに今日はこの水着選んでくれたじゃない。西園寺さん」

 かえでの肩をぽんと叩くしのぶ。かえではそんなしのぶの心遣いに笑顔になる。

「だから、さっき先輩が『プールが苦手』とお聞きした時、『これだ!』って思ったのですよ」

「どういう事」

 しのぶがそう尋ねると、かえではプールサイドに腰掛けて、足をプールにつけながら、

「私、やっと先輩のお役に立てるんじゃないかって」

「??」

 しのぶはかえでの意図が解らない。

「先輩は――たぶん泳げないんですよね。そりゃ、いくら私でも解りますよ。あれだけプールに来るのを嫌がれば。でも、私としばらくここに通いませんか。絶対に先輩を泳げるようにしますから」

「えっ? 泳げるように?」

「そうです。私、こう見えても泳ぎには自信があるんです。昔、ボランティアで小さい子に教えていた事だってあるんです。だから、必ず先輩を泳げるようにしてみせます。そして、今年の夏は一緒に泳ぎに行きませんか?」

「西園寺さん……」

 しのぶはかえでの心遣いに言葉が続かなかった。

「私、祖父から、ここのチケットを一杯もらっていますから、心配ご無用ですよ。東堂先輩。頑張りませんか?」

 そこまでかえでに言われて、断る理由は無いとしのぶは思った。かえでの思いがしのぶの心を揺さぶり動かした。

「じゃあ、西園寺さん。私、あなたが思っている以上に手ごわいカナヅチよ。でも頑張るからよろしくね」

 しのぶはペコッとかえでに頭を下げた。かえではそんなしのぶを見て小躍りした。

「先輩! ありがとうございます! 私も頑張りますから」

 そういって、プールサイドではしゃぐかえで。

「そうと決まったら、今日からはじめましょう! 先輩。さあ、最初は水に慣れることから」

 そう言ってかえでは、しのぶをプールサイドに連れて行き、いきなりしのぶをお姫さま抱っこみたいにして、そのまま一緒にプールに飛び込んだ。

「えっ、ちょっと! 西園寺さん。私――心の準備が! うわっ! 冷たい!」

 しのぶの悲鳴にも似た声がプールに響く。

「大丈夫です。私、しっかり先輩を抱えていますから」

「いや、そうじゃなくて、ひゃあ! 顔に水が! 西園寺さん。ストップ!」

 確かに泳ぐためには水に慣れることが大切だが、かえでの方法だとかえっておびえさせるのではないかと、周りにいたインストラクターは、心配そうにかえでとしのぶを見ていた。


 ~五~

「先輩~ごめんなさい。私嬉しくなってつい……」

 しばらくして、プンプンに怒ってベンチに座っているしのぶと平謝りのかえでがプールサイドの隅っこにいた。

「西園寺さん、次こんなことしたら、もうプールなんか行かないからね」

「はい、すみません。東堂先輩」

 しのぶに怒られて、小さくなるかえで。しのぶが泳げるようになるには前途多難みたいだ。

 果たして、今年の夏にしのぶは、本当に泳げるようになるのだろうか?

「でも西園寺さん。また来ましょうね」

「えっ? 先輩いいんですか」

「もちろんこんな事しないならね」

「はい……すみません」


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