表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Wrist  作者: 洋巳 明
7/11

綻び

七話 綻び



 11月28日の夜、永坂はまだ目覚めなかった。見守る旭の横で、榊は彼の背中に手を押し当てて、『異能』による治癒を施していた。ズズズ、と焼け爛れた皮膚が埋まっていく。半分ほど治ったところで、榊が息を吐いて、止めた。

「…やっぱり今日一日で全部は無理だね。」

 情けないな、と榊は悔しげに顔を歪める。

「俺の『異能』はね、人に『力』を分けてあげることで、傷を埋めているんだ。」

 それが治癒の正体。眠る永坂の服を整えながら、彼は目を伏せた。

「だからね、あんまり短期間で何度もは使えないんだ。知ってるよね、旭ちゃん。他人の『力』が自分に流れ込むとどうなるのか。」

 話を振られて、旭は頷く。永坂と出会った初日にそれは体験した。見えない鎖によって繋がれている2人は、『異能』を使うとお互いの『力』が流れ込むようになり、それのせいで、旭は倒れた。

「俺はね、『力』だけで考えると、とても薄くて、とても弱い。でもだからこそこうして、人に流し込んでも、相手が昏睡することはない。ただ、濃度が高まると話は変わってきてしまう。だから、断続的に治療するんだ。俺も万能じゃない。」

 ナオの背中もまだ治しきれなかった、と彼は苦い顔をする。

「ミカちゃんの方もあるし、明日までかかっちゃうな。ごめんね、旭ちゃん。」

 頭を下げる榊。旭は首を横に振って、永坂の手を握った。

「守りきれなかったのは、私の責任なので。」

 彼の手は温かい。旭は永坂の行動が、勝算あってのものだったことには気付いていたが、それでも悔しかった。

「死なないとわかった上で、この人、池田さんを庇ったんですよ。ついでに私が援護に回れることも折り込み済み。…あのとき、ナオさんが庇わなかったら、池田さんが生きていたどうかはわかりません。」

 旭のように考えなしに動いたわけではない。それがわかるのも腹立たしかった。

「痛かったでしょうに、最後まで立ってるとか、馬鹿ですよね。」

 いつも旭が怪我をすると、問答無用で座らせて手当てをしてくれた。歩けない状況では抱えてくれた。

 旭は榊の方を見た。彼は心配そうに永坂を見ている。本当に馬鹿だなぁ、と旭は微笑みながら、永坂を見つめた。


 

 某所のショッピングモールの立体駐車場の屋上。杉崎勇気は最後に、そこに現れた。

 電話口で上司は息も絶え絶えに、「来るな」という指示を寄越した。しかし、永坂も、同僚の水原も、来るなと言われて、素直に引き下がれる性格ではない。2人は電話が切れると同時に立ち上がった。

「行くぞ。」

 そう言ったのが、自分だったのか水原だったのか、永坂はよく覚えていない。

「私も、行きます。」

 近くで話を聞いていた黒川も立ち上がって、3人で上司たちの救援に向かったことだけは確かだった。

(…あの日の、夢か。)

 永坂は客観的に自分たちを見ていた。これから何が起こるのか、わかっている永坂は嫌になるぐらい冷静で、逸らしたいのに逸らせない。

 場面が切り替わり、屋上。永坂は顔を顰めた。3人が到着したときにはすでに、立っている人はいなかった。辛うじて、息をしている人がいるかいないか、というところ。

 倒れている人々の中心に、杉崎はいた。彼は静かに、転がる死体を見つめて目を伏せる。

「お前が、お前が課長たちを!!!」

 叫んだのは水原だった。杉崎は、こちらを初めて認識したかのように、3人を見る。それぞれに飛び出していく彼らに、杉崎が手を前に出した。

(…やめろ……。)

 杉崎の手からどす黒い『力』が、スローモーションのように広がっていく。

(…やめろ…やめてくれ…。)

 それは、3人を包み込もうとして、永坂は。


「ッ。」


 永坂は、勢いよく起き上がった。背中がビリビリと痛んで、顔を顰める。

「……。」

 目覚めの気分としては、最悪であった。5年前の夢。最近よく見るようになってしまった。

「おはようございます。また、魘されてましたよ。」

 旭の声だ。右側を見ると、彼女は心配そうにこちらを見ていた。

「そうか。」

 呟くように言って、永坂はあたりを見回した。ここは。

「榊の別荘か。」

 榊は、普段居場所がバレないように、ホテルを転々とする生活を送っている。彼の『異能』を、狙っているものは多い。異局と関わるようになってマシにはなったらしいが、それでもたまに襲われたりすることがあるのだ。

 ただ、研究をまとめた資料を置いておいたりする場所が欲しかったらしく、榊は山奥にぽつんと、別荘を持っている。

 永坂は、そこに運び込まれたらしい。部屋の中は、病院の個室に似ていた。旭がいる方と反対側のベッドサイドには、テーブルがある。

「今は11月29日の午後5時半です。丸一日寝てましたよ。榊さんが、一度に全部は治せなかったって言ってました。まだ痛いでしょう?」

 永坂は頷いた。すると、旭にため息をつかれてしまう。

「死なないとわかってて庇ったんでしょうが、勘弁してください。…いや、お互い様ですけど、こう。」

 以前、叱られた自分の言うことではない。彼女はそう言いつつ、永坂に対して、怒っているようだった。いつの間にか、旭に自分のことを理解されている。永坂は驚いていた。

「…お前から説教を食らう日が来るなんてな。」

 永坂の言葉に旭は、笑顔で彼の頰を摘んだ。

「あはは、後でもっと、こってり絞ってあげますから。」

 後で?と彼が疑問に思った瞬間に、ドアが開く音がして、榊が飛び込んできた。彼はそのまま駆け寄ってきて、旭に頰を摘まれている永坂を見て安堵したように笑う。

「…ああ、おはよう、ナオ。」

 その後ろから、早岐、御厨、池田の部下3人もなだれ込んできて、全員ホッとしたように頰を緩めた。


「クイーンはまだ目覚めません。派手に『異能』を使いまくってたので、『力』不足もあるでしょう。」

 御厨の報告に永坂は頷いた。榊は、彼女の容態を確認するために、異局にいたらしい。そして、3人を連れて戻ってきた。

 その榊は、ミカの方の治療があるから、と言って、部屋を出て行った。

「あの場にいた職員は、主任以外全員無事、怪我も擦り傷程度です。かつミカ以外の囚人にも被害はありませんでした。会議室が半壊、他にも細かな設備の破損はありましたが、『爆破』相手に、最小限に抑えられただろう、というのが岸課長代理の評価です。」

 永坂は宵人から手渡された書類に目を通して、難しい顔をする。

「クイーン、宮口みやぐち 椿つばき。彼女は、仮釈放中の身だったのか。うちで扱った事件ではないな。」

 宮口は数年前まで、ちょうどあの収容施設に、服役していたらしい。今は拘束された後、病院に運ばれ、監視を受けている。

 彼女は、口ぶりからして、13の目的を正しく知っていそうであった。永坂は早岐の方に目配せをする。

「はいはい。大体承知してます。俺も個人的に訊きたいことあるんでね、ちょうどいいわ。」

 早岐は頷いて、永坂にもう一つ紙の束を渡した。

「そんでこっちが、『北 隆之介』に関する情報をまとめたものです。主任の言った通り、相手を追い詰められる確率が、かなり高い。慎重に扱ってくださいね。」

 珍しく早岐が、真剣な顔で念を押す。事件が起こった後は、やることが山積みである。永坂はため息をついて、早岐が渡してくれた資料を脇に置くと、3人を見上げた。

「心配をかけてすまなかったな。この通り、生きている。明日明後日には、動けるようになるはずだ。指示は追って出す。ありがとう、早岐、池田、御厨。」

 彼は3人に対して、頭を下げる。すると、宵人が永坂の横に行って、彼の脈を確認し始めた。

「…ちゃんと、生きてますよね。」

 彼は昨日、ミカの容体も確認している。彼女は永坂よりもひどく、全身にわたる火傷で、一旦は心臓が止まった。なんとか榊の『異能』のおかげもあって、一命は取り留めたが、未だ人工呼吸器の世話になっている状態だ。

「忠直さん、俺は、今回の被害がこれだけで済んで良かったとは言えないです。…相変わらず、俺は何も出来ていない。『異能』はおろか、『力』すらまともに扱えないんです。池田や一巳が戦っている中、何も…。」

 宵人は悔しげに唇を噛んだ。永坂は、彼の頭を空いている方の手で、小突いた。宵人がハッとしたように、顔を上げる。

「…引き金を引くのは、勇気のいることだ。焦るな、宵人。」

 ぽんぽん、と頭を撫でると、宵人ははい、と声にならない音で答えた。

「2人もだ。思うところはそれぞれにあるだろうが、失敗を引きずるな。ただし、反省はしなさい。いいな?」

 3人は同時に頷いた。

 早岐と宵人が出て行った後も、池田が残って、旭と永坂の両方に頭を下げた。

「主任、すみませんでした。謝らせてください。今回、一番使えない動きをしていたのは私です。」

 入ってきたときから、彼女はずっと暗い顔をしていた。永坂は、彼女を庇って傷を負った。そのことがやはり気になるのだろう。

「お前が一番経験が浅く、失敗して当然なんだ。…俺も主任や課長にはたくさん助けてもらった。迷惑はかけてもらわないと困るな。」

 優しい口調で言う永坂に、池田は申し訳なさそうに小さくなる。

「それに、こちらこそすまなかった。お前が気にするような庇い方をするべきではなかったな。」

 その言葉に、池田は更に小さくなってしまった。

「そ、そんな…主任が謝ることじゃないです。すみませんでした。」

 池田はまた、深々と頭を下げる。永坂が困ったように旭を見ると、彼女は、こちらに助けを求めないでくれ、という顔をした。

 その様子を眺めていた池田は、顔を伏せて少し微笑むと、旭の方に近づいてきた。

「それで、旭さん!」

 大きめの声で呼ばれて、旭もつられて大きく返事をする。両手をがしっと掴まれて驚く旭に、池田は少し照れながら言った。

「初対面のとき、失礼な態度を取ってしまってすみませんでした!助けていただいてありがとうございます。」

 旭に向かって、丁寧に頭を下げる池田。両手を拘束された旭は、目を白黒させて、彼女の動向を見守る。池田は、何かを決心するように旭を真正面から見据え、告げた。

「そして、あの、その、私と、お友達になってはいただけないでしょうか!」

 今度は旭が、永坂に助けを求める。だが彼は、喉の奥でくっくっと笑うばかりで、この状況を、面白がっているようだった。

「は、はい。お友達になりましょう!」

 真っ直ぐすぎるお願いに、少々戸惑いながらも、旭は頷いて、連絡先を交換した。池田はぺこぺこと、何度も頭を下げながら、部屋を出て行った。


「旭も、ありがとう。」

 永坂はそう言うと、旭の頭に手を伸ばして撫でた。ぐしゃぐしゃと、わざと乱雑に扱われる。

「私、犬じゃないんですけど。」

 旭はムッとして永坂を見た。知っている、と普通に受け流されて、彼女は唇を尖らせる。

 このとき気づいたが、永坂がベッドに座っていると、大体目線が同じ高さにある。久しぶりに真正面から彼の顔を見て、旭は心から安堵した。

「…はー、ほんと。本当に勘弁してください。心臓に悪かったです。…生きていてくれて良かった。」

 目を伏せると、永坂が旭の頭から手を退けた。

「悪かったな。」

 視線を合わせてそう言われると弱い。旭はこくんと頷いて、彼の手を握った。ちゃんと生きている温かさに、彼女は再び安心する。

「いえ、私も悪いんです。あなたを守りきれなかった。それに。」

 旭は珍しく言葉を探すように黙り込む。口を開いて、声を出そうとしたが、やはり出てこない。旭は唸って、永坂を見る。彼は何も言わない。ただじっと、旭を待っていた。

「…私が、自分の『異能』について、何も言っていないのも悪かったんです。」

 お互いのできることを共有しておかないと、連携が取りづらいのはわかりきっていることだ。だが、旭は簡単な説明すらしたことがなかった。

「あなたには、話しておかなければ、動きにくいじゃないですか。…私だけ話せないなんて、フェアじゃない。」

 それはまるで、話すこと、その行為自体が難しいと言っているようだった。永坂は、彼女の様子に、歯触りの悪い感覚に襲われながらも、旭が漫然と握っていた手を、握り返した。

「旭、お前の『異能』は『重さの操作』じゃないのか?」

 永坂が助け舟を出すと、彼女は驚いたように目を見開いて頷く。

「なんとなくわかっていた。」

 お互い、最近は無意識に相手を理解していることが多くなってきた。知らない間に、出会ってから1ヶ月が経過している。

「というか、昨日は体感させられただろう。お前のその腕で、俺を普通に抱えられるわけがないし、4階から飛び降りて無事なわけがない。俺とお前の体重を軽くして、本来ならかかるはずのダメージを無効化したってところか?」

 その考察は当たっていた。強く頷いた旭を見て、永坂はいつもの無表情のまま、告げようとする。

「話したくないこと、というより話せないことか?…別に、俺に言う必要はない。確かに、ちゃんと理解していた方がいいかもしれないが、今回、それで困ったわけじゃないだろう。今、不都合がなければ俺たちは。」

 旭の顔を見て、永坂は言葉に詰まった。彼女は彼の言葉の先がわかって、そんな顔をしている。

「…いえ、わかっています。」

 旭は左手首に目をやった。慣れ親しんでしまったこの生活も、いつか終わる。宮口や北から得られる情報は、敵の喉元に迫れるものであるはず。先の見えない生活だったのに、もうここまで来てしまった。

「…ナオさん、それでも、私。」

 旭が顔を上げた瞬間、ドアが乱暴に開いた。

「ナオ、次は君の番だよ…って…。」

 入ってきたのは榊だった。彼の目に、手をしっかり握り合って、見つめ合う2人という光景が飛び込んでくる。

「完全に入ってくるタイミング間違えたよね!?ごめんなさい!」

 出て行こうとする榊を、なんとか引き止めて、2人は離れる。何か言いたげな旭を見ないふりをして、永坂は大人しく、榊に説教されながらの、治療を受けた。


「うん、もう大丈夫そうだね。明日には帰らせてあげよう。」

 その夜、雑務を終えた榊は、永坂の元を訪れた。永坂は本を読んでいて、榊が入ってきたのを見ると、眼鏡を外して本を閉じる。その彼の隣で旭が、ベッドに突っ伏して眠っていた。

「旭ちゃん、そんな体勢で寝たら体痛くなっちゃうよね。ナオ、添い寝してもらったら?」

 昨日から、ずっと張り詰めていた榊が、やっと軽口を叩けるようになっていた。永坂は、珍しく不快な顔をせずに、彼をじっと見つめた。

「榊、お前にも心配をかけたな。すまない。」

 頭を下げる永坂。それを見た榊は、スッと真面目な顔になって、ベッドサイドに置かれていた椅子に腰掛ける。

「まったくだよ、センパイ。あんたが怪我するなんて、久しぶりだったから。」

 頬杖をついて、彼は呆れたように、永坂を見た。永坂はその『異能』のおかげで、あまり怪我をすることがない。5年前ですら、外傷はほとんどなかった。

「でも、いい傾向だとは思ってるよ。強引だったけどさ。ちょっと前のナオなら、1人でどうにかしようとしてた。ちゃんと頼る、ってことを覚え始めたんだろ?」

 榊はそう言うと、永坂の目を見つめる。その穏やかな黒は、今は澄んでいた。それが、濁ったのを榊は見たことがある。

「人と打ち解けるの、まだ怖い?」

 榊の視線が旭に向いた。永坂はその質問にすぐには答えずに、旭を見て、それから榊に目を向ける。

「1人になるのが、怖いかな。」

 彼は手を伸ばして、テーブルに置いていた上着を取ると、内ポケットからリングケースを取り出した。紺色の、婚約指輪でも入っていそうな箱。

「…あいつらの幸せを願っていた。だけど、叶わなかった。壱騎も、黒川も、俺を置いて行ってしまった。」

 榊はリングケースを見て、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

「まだ、持ってたんだ。」

 開けると中には、パールの指輪が入っていた。それを見つめながら、永坂はため息をつく。

「捨てられるわけないだろう。黒川はまだ生きている。」

 彼はそっとケースを閉じると、榊の方に向き直った。

「榊、この一連の事件の裏に、誰が潜んでいると思う?」

 挑むような目つき。榊は少し悩んで、永坂に右手首を出すように言った。

「また、融合が進んだ。完全に混ざり合っちゃったなぁ。…相手も気づいていると思う。追い詰めたようで、追い詰められたのはこちらかもしれないなぁ。」

 手錠のことである。旭と永坂の『力』は混ざり合って、もうどちらに流れ込んでも問題がないだろう。それほどまでに絆は深まった。

「繋ぐ期間、やり方、そして、5年前の事件を無理矢理思い出させながらも、自分たちの目的を伝えてくるこの感じ。…相手は永坂忠直という人間を、よく理解しているよ。」

 永坂は同意するように頷く。

「俺もそう思う。だからこそ、思い浮かぶ相手が有り得ないんだ。」

 永坂はリングケースをしばらく見つめ、仕舞ってから独り言のように、低く言った。

「…旭が俺を逃さないための手段だった場合、これから先、こいつはこの状況から解放されるだろう。…俺の予想通りの相手なら、欲しいのは、俺だけのはずだ。」

 榊に対して、頼む、とも関わるな、とも言わなかった。榊は、永坂のその目が、少しだけ暗くなったのを、見逃した。


 

 北 隆之介は平凡な青年であった。貧乏な家に生まれた彼は、妹と弟を養うために高校生のときからバイト生活、出席日数ギリギリで卒業した後は、バイトを掛け持ちして働いた。働いて、働いて、働いているのに、貧乏であった。

 そんなときに、音無 達也と出会った。彼は北が『異能者』であることに気づいて、北の『異能』を利用しようと近づく。

 音無は親の金に物を言わせて、遊び呆けているような男であった。しかし、そんなことを知る由もない北は、優しくしてくれる音無に心を許してしまう。

『俺はね、あと3ヶ月しか生きられないんだ。』

 同情を誘うように音無は悲しい顔でそう言った。それを証明するように、音無は日を追うごとに体調を崩していき、出会って1ヶ月でベッドから離れられなくなる。

 そこで音無は1日でいいから、代わってくれないか、と北に頼んだ。もう一度自分の足で外を歩きたい、と。音無の本性も知らず、彼に恩を感じていた北は、二つ返事で了承した。そして、2人は体を入れ替える。

 しかし狡猾な音無が、2度と北の前に姿を表すことはなかった。その上、彼は音無の体に入った北に、監視をつけた。

 その後、北の体を手に入れた音無は、派手に遊び回り、約4年後、街で過去の自分の体を見かけたことから、特務課に目をつけられることになり、その後の顛末は、旭の方が深く知っている。

 

 早岐の報告書に目を通した旭は、ふう、と息をついた。それを見計らったようにことん、と目の前にコーヒーのマグが置かれる。

「これが、13の正体。」

 同封されていた音無の写真は、まさに2人が2度会った男・13その人であった。

「北 隆之介。彼が13の『器』で、『入れ替わり』の異能持ちだろう。推測には過ぎないが、話を聞きに行けばわかることだ。」

 旭は頷いて、コーヒーを啜った。

 2人は永坂の家に戻ってきていた。榊による治療は、普通よりも、かなり早く治ったように感じる。ただ、その実態は榊の『力』を流し込んでいるわけで、短期間の間にまた、あれほどの大怪我をすれば、助けられないからね、と榊には、念を押すように説教されてしまった。2人ともである。

「ナオさん、榊さんのところでの、話の続きなんですけど。」

 マグを机の上に置き戻して、旭は永坂を見つめた。こういうとき、ちゃんと目が合うのに珍しく彼はこっちを見てくれない。

「なんだ、説教か?」

 そのまま茶化すように言われて、旭は怪訝な顔をした。らしくない。

「私は、今、困ってないからって、話さなければならないことを、飲み込みたくないです。」

 彼女の真っ直ぐな目が、永坂を射抜く。彼は揺らめくコーヒーの液面に、目を伏せた。

「私の『異能』、人に重さを押し付けることができます。軽くすることもできます。上限も下限も大体100キログラム。私の視界の範囲が『異能』の範囲。効果は大体10秒。」

 そこまで言い切ると、彼女は苦しそうに少し咽せる。

「あの日、私が答えなかった唯一の質問です。」

 旭は言い切って、永坂の返事を待った。彼は難しい顔をして、旭の方を見ずに口を開く。

「…お前は、真っ直ぐだ。なのに、案外素直じゃない。面倒だ。」

 その言葉で、以前にも似たようなことを言われたのを旭は思い出した。

「…ええ、面倒な女ですよ、私は。…誰と比べて言ってるんですか?」

 やっと、永坂が旭の方を見た。彼は右手を彼女の方に差し出す。旭はよくわからずに、自分の手を重ねた。知らぬ間に緊張していたのか、旭の手は冷えている。

 ふと、じんわりと、彼の『力』が流れ込んできた。いつも左手に感じている気配を、手のひらに強く感じて、旭は目を丸くする。

 温度が重なったくらいで、パッと彼の手が離れた。

「…俺の『異能』は、『合わせる』ことと、逆にこちらに『合わせる』ことができる。こうやって触れれば、体温を共有できるように。『姿を消す』のは空気に自分の体を『合わせて』いる。」

 満足か、と窺うように旭を見る永坂を、彼女は呆けたように見つめる。

『「いつか」詳細を話してくれるかもね。』

 榊は、2人が出会った当初にそう言った。

「…なんだか、すごく贅沢な気分がします。」

 旭はそう言って少しだけ遠くを見ると、また永坂に目を向けた。ちゃんと伝われ、そう願うように、懇願するように、言葉を発する。

「ナオさん。いずれ、なんて寂しいこと言わないでください。呼ばれれば私、いつでもあなたの隣に行きますから。」

 だから。その先は言えなかった。遮るように永坂が、旭の頭をぐしゃぐしゃと撫でたから。

「忠犬だな。」

 こんなところで受け流すのは、やっぱりらしくなくて、旭は永坂を見上げた。その視線も躱され、彼女は悲しそうに目を伏せる。

「…ナオさん、やっぱり変です。まだ、飲み込んでること、ありますよね?」

 確かに『異能』については、彼の口から聞きたかったことの一つではある。でも、今聞きたいのは、そうじゃなくて。

「俺にだって、言えないことの1つや2つある。」

 明らかにはぐらかされるのは、本当にらしくない。彼はいつも、答えられないことは答えられないと、そうはっきり伝えてくれた。

「ナオさん。」

 旭は、ただ彼を呼んで、見つめた。でもその表情が窺い知れなくて、彼女はグッと堪えて彼から目を逸らす。

 永坂はそれ以上何も言わなかった。2つのマグを持って、キッチンの方へ行ってしまう。久しぶりに強引に引かれて、旭もそれに従うしなかった。

 旭には、喧嘩をするほど踏み込む勇気もなく、2人はそのまま曖昧に、いつも通りを演じた。

 


 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ