黒いヤモリ
凛「私、アタマおかしくなったかも…」
みすず「急にどうした??」
凛「あのね、こないだあそこ行ったじゃん?」
凛「みんなでさ、廃墟」
みすず「うん。行ったね、2週間前。我ながら不良みたいだわ」
凛「うん。行かなきゃ良かったけど、先輩たち強引だし…」
みすず「もしかして、凛、豊島くんみたいになってるの?」
みすず「アタマが痛いとか、熱が出てる?」
凛「ううん」
凛「アタマは痛くないし、熱も出てない」
凛「豊島くんみたいなことはないよ」
みすず「よかった」
みすず「でも、他に何か起きてるの?」
凛「起きてる…」
みすず「どんなこと?」
凛「幻覚が見える」
みすず「どんな?」
凛「電車通学じゃん、私」
凛「部活の朝練ある日とか始発に乗るし」
みすず「あんたんち、遠いもんね」
凛「そう。でも陸上で入学しちゃったし、サボるわけにもいかない」
みすず「大変よね」
凛「うん。まあ、走るのは好きなんだけど。この時期は真っ暗なんだよね」
凛「ママかパパに車で駅まで送ってもらってる」
みすず「それも知ってるけど」
みすず「幻覚どこいった?」
凛「あせるな」
凛「電車に乗ると見えるんだ」
みすず「車内に?」
凛「食いつくね」
凛「心配してくれてる?」
みすず「うん」
凛「友情、尊い!」
みすず「それで?」
みすず「どこで見るの?」
凛「あのね」
凛「窓の外」
みすず「電車の?」
凛「うん」
凛「窓の外にね、黒い影が見えるの」
みすず「怖いわね」
みすず「でも、どんな形?」
凛「心配より好奇心??」
みすず「どっちもある」
凛「みすず素直すぎる…」
みすず「それで、どんな形なの?」
凜「ヤモリみたいな感じ」
凜「窓の外にね、ぺったりとはりついているみたい」
みすず「人影が?」
凛「うん。腕と足で四本あるっぽい」
凛「窓にはりついて、こっちのぞいてるっぽい」
みすず「うわあ。それは怖いわね…」
凜「うん…でも、幻覚だと思う」
凜「幻覚だよね?」
みすず「そうだと思うよ」
みすず「他にはあまり考えにくいし」
凜「メンタル弱いからかな」
凜「ビビりだから、気にして幻覚を見ちゃってる」
みすず「そうでしょうね」
みすず「気にすることはないわよ」
凜「でも」
凜「気になっちゃうし…」
凜「まあ。見ないようにすればいいけど」
みすず「毎日見えるの?」
凜「そんな感じ。怖いから窓の外を見ないようにするし、カーテン下ろしてる」
みすず「なら、安心」
凜「でも、影が見える」
凜「見えるっていうか、感じる?みたいな」
みすず「カーテン越しに?」
凜「うん」
凜「私の頭がおかしいだけかも」
みすず「それで」
みすず「その影って、いつから見えるの?」
凜「3日前からかな」
みすず「始発に乗ると?」
凛「行きも帰りも見える!」
みすず「そうか」
凛「みすず、何か知ってる?」
みすず「え?」
凛「今、返事遅れたし」
凛「私の探偵的な直感が反応してるぞ!」
みすず「心当たりがないからよ」
凛「あれ?そうなんだ」
みすず「探偵て笑」
凛「し、心配しただけだし」
みすず「そう。ありがと」
凛「でも」
凛「みすずは平気?本当に、なにも起きてない?」
みすず「起きてないよ」
みすず「あんな廃墟のことなんて気にしなくてもいいって」
凛「だって。豊島くん、あそこ行った後に入院したんでしょ?祟りっぽくない?」
みすず「廃墟の病院なんかに行ったから、ストレスになったんだよ。あそこ寒かったし、風邪も引きやすいだけ」
凛「そっか…まあ、そうだよね」
みすず「豊島くんのこと心配?」
凛「それなりに。だって、一年のとき、クラス同じだったしね」
みすず「そうか」
みすず「あのね」
凛「なに?」
みすず「豊島くん、凛のこと好きだったみたい」
凛「マジかよ!?」
凛「うおお」
凛「困るな…」
凛「嫌いじゃないけど、私、好きなヒトいるし…」
凛「片想いかもだけど…涙」
みすず「豊島くんから相談されたことがあってね」
みすず「あんたが誰かと付き合っているかとか」
みすず「同じ部活の先輩が好きっぽいって伝えてみた」
凛「私の知らないところで、私がヒロインな青春が行われていたとは…」
凛「びっくりしたわ」
みすず「ちょっと真剣に聞いてほしい」
凛「う、うん」
凛「なんだ?」
みすず「私のお母さん看護師してるでしょ」
凛「らしいね。前に聞いた」
みすず「お母さんコッソリ教えてくれたけど、豊島くん危篤だったらしい」
凛「すまん。漢字読めない」
みすず「キトクっていうのは、死にそうってこと」
凛「ええ!?大変だ!!」
みすず「持ち直したって話だけどね。一週間前のことよ」
みすず「まだ意識はないみたいだけど、熱も下がってるみたい」
凛「そっか。あせった」
凛「でも良かった」
凛「いや、意識戻らないんじゃ、まだ危ないの?」
みすず「命の危険はないっぽいから心配しすぎなくていい。あと他のヒトに言いふらさないように!」
みすず「患者のことお母さんがしゃべったとかになると、お母さんが困るかもだから」
凛「わかった」
みすず「わかったのならいい」
みすず「それでね、豊島くんが危篤だったときに変なこと叫んでたっぽいの」
凛「変なこと?」
みすず「そっちに行くな!」
みすず「そんなことをうなされながら叫んでいたっぽい」
凛「怖っ!」
凛「やっぱり祟りじゃん!?」
みすず「祟りというかストレスだと思うわ」
凛「でも、なんか私の見てるものと同じもの見えていたんじゃ?」
みすず「考えすぎ」
みすず「だいたい、そっちに行くな!よ?…それって、自分から離れて欲しくないみたいじゃない?」
凛「そうか」
凛「でも…」
凛「なんか、私と同じもの見てるんじゃないかって気がする」
凛「偶然にしちゃ、なんか変だもん」
みすず「…うん。気にするのも、わかるわ」
みすず「話さない方が良いかもって考えていたけど、つい話しちゃった」
みすず「怖がらせてゴメン」
凛「ううん。いいよ。話してくれた方が良かったかも」
凛「はあ、やっぱり祟られてるのかな?」
みすず「そんなの非科学的すぎるわ」
みすず「でも、一応お守りとかも考えた」
凛「お守り?」
みすず「塩が魔除けになるらしいわ」
凛「塩って、あれ?」
みすず「食塩ね」
みすず「凛、食塩持ち歩きなさい」
凛「すごいアドバイス…」
凛「それが勉強できるヒトの考えとは…笑」
みすず「神社やお寺に行って、おはらいしてもらうより安上がりでしょ?いくらかかるか知らないけど」
凛「たしかに。塩ならキッチンにあるしタダだわ」
凛「でも、そこらの塩で効くのかな??」
みすず「幽霊がいるとすれば効くんじゃない?何にせよ、あるだけ心強いでしょ?今夜にでも用意できるし」
凛「たしかに。さすがだ、みすず賢い」
みすず「非科学的だけどね。でも、そういうのあると安心できるでしょ?」
凛「うん。塩なら、いくらでもあるもんね。入れ物ごと持ち運ぶ」
凛「あの影にかけたらいいの??」
みすず「かけなくても効果あるんじゃない?盛り塩とかいうのがあって、塩があると悪い霊が来ないとか」
凛「みすず、物知りだよね」
みすず「スマホいじりながらパソコンで調べただけよ」
凛「勉強できる子は器用だわ」
みすず「とにかく安心したでしょ?」
凛「ちょっとだけ」
凛「対策あると思うと、安心が強くなる」
凛「でもさ」
みすず「何?」
凛「明日も朝早いから、早朝からLINEしていい?」
みすず「六時以降ならね」
みすず「怖がらせちゃったみたいだし…」
凛「うん。責任取って私をかまってくれ」
みすず「わかったわ」
みすず「早起きしてLINEに付き合う。起きなかったら電話して」
凛「そーする」
凛「ありがと!」
凛「ぐっないとー」
みすず「お休み」
翌朝
凛「起きてる?」
みすず「早起きしてやった」
凛「ありがと」
みすず「お母さんが帰るより早く起きるとは」
凛「お母さん夜中も働くんだ」
みすず「看護師だからね。もうすぐ帰ってくる頃だけど…」
みすず「それで、そっちはどうなの?」
凛「ぶっちゃけ、見えてる…」
みすず「食卓塩じゃ効かないのかしら?」
凛「どうかな?」
凛「昨日よりも、あれ、影が薄いかも」
みすず「効いてるんだ、塩」
凛「たぶんね。弱ってるかも?塩ふりかけたら幽霊、退治できるかも?」
みすず「やめときなさい」
凛「うん。正直、怖くてムリだわ。窓開けたら腕が伸びてきて捕まるかもだし」
みすず「怖いこと言わないの」
凛「うん。自分で言って後悔してるぜ…」
みすず「でも、朝から幽霊ね」
凛「そこそこ暗い。冬だし」
みすず「お昼も見えるのかしら?」
凛「考えたことなかった。でも、見えるかも。そんな気がする」
みすず「そう。あ、お母さん帰ってきたわ」
凛「そうなんだ。大人になって部活なくなっても大変そう」
みすず「そうでしょうね。あれ?」
凛「どーした?」
みすず「お母さんが呼んでる。ちょっと行ってきていい?」
凛「おーけー。サラリーマンたちが乗ってきてるから、怖さ減ってるし」
みすず「じゃあね、ちょっと待ってて」
凛「おう」
みすず「凛」
凛「おかえり、何だった?」
みすず「あのね、落ち着いて聞いてね?」
凛「うん。お日様出てきてるし、影のやつもさっきより薄くなってるし…」
みすず「豊島くん、亡くなったって」
凛「!?」
凛「だって、大丈夫って!?」
みすず「容態が急変したみたい」
みすず「お母さん、教えてくれた。昨日の昼頃には亡くなったみたい」
凛「そんな…」
凛「なんて、言ったらいいか分かんない」
みすず「うん…」
凛「…もしかして」
みすず「なに?」
凛「豊島くん、私のこと守ってくれたのかな?」
みすず「え?」
凛「私のこと好きだったんだよね?…それに、そっちに行くな!って言っていたんだよね?」
みすず「うん」
凛「それって、『私の方に行くな』ってことで、私のこと、守ってくれたのかも…」
みすず「そうかもね」
凛「だから、窓の外の影、薄くなってるのかも?…豊島くんが死んじゃったから、あれ、私のこと許したのかも?」
みすず「許すって?」
凛「あの病院行ったとき、私ね、小さな鏡踏んだの」
みすず「初耳なんだけど?」
凛「言えなかった。怖かったもん」
みすず「どんな鏡?」
凛「スマホで照らしてただけで分かりにくかったけど」
凛「小さな手鏡。病院にも廃墟にも似合わない。なんか変な鏡。それ、踏んじゃった。豊島くん、それ投げたりしてた」
みすず「気にしないの。病院の備品よ、たんなる忘れ物」
凛「うん…」
凛「でも。なんだか、豊島くんが助けてくれた気がする…」
みすず「…そうかもね」
みすず「たぶん、明日はお葬式になると思うから、行ってみる?」
凛「うん。行く」
凛「みすずも来てくれる?」
みすず「ええ、もちろん行くわ」
翌日。豊島くんの葬式に行った私と凛は、彼の遺影に花をお供えすることになった。
遺影に近づいたとき、凛は泣いていて気づかなかったみたいだけど、私は遺影に黒い染みがあるように見えた。
ヤモリのような黒い染み。
私は怖くなり、凛と一緒に花をお供えして、凛を引きずるようにしてその場を離れた。
背後で、遺影が倒れる音がした。
葬儀屋のスタッフが慌てて、それを直していた。凛は泣きすぎていて一連のことに気づかなかった。気づかないままで良いとも思った。
ヤモリのような染みは、元通りになった遺影にはいなかった…。
凛はその後からヤモリを見なくなった。
でも私は遺影にいたヤモリを見たとき、考えてしまったことがある。
『そっちに行くな』の意味だ。
あのときのメンバーで、最も凛に親しく、いつも一緒にいるのは私だ。
凛に行くなと言うのなら、『誰』に行くのだろう?豊島くんは自分を犠牲にしたのだろうか?
あるいは、凛に近づくヤモリに、『凛じゃなく私に行け』という意味で使ったとしたら?
…じつは私もあの廃墟で踏んだのだ。
ガラスだと思っていたけど、固い何かを靴底で踏んだ。
あれはガラスじゃなく鏡の欠片だったのかもしれない。
私は、凛と同じように食卓塩を持ち運びつづけている。