毒婦の微笑み
「責任を押しつけ合っても始まらんだろう。ニコラウスは何が悪かったと思う?」
「そうでござるなあ。この王、何かクセなどなかったか、気になっております」
「クセ?」
クラーラとレオンが同時に首をかしげた。ニコラウスは得意そうに、指を一本たてる。
「食べたり刺したりしなくても、触ったり噛んだりすれば毒が体内に入るでござる。道は意外とたくさんあるもの」
ニコラウスに言われて、喧嘩していたふたりもいつもの表情に戻る。
「もう一度調べてみるよ」
「原因を突き止めないことには、あの王妃と話もできんしな」
意見が一致したアレクたちは、片っ端から王の持ち物や体を探し回る。クラーラだけは天幕の外で聞き込みをする役になった。
「……特に手の爪がちぎれている様子はない」
「文具類に噛みあとも見当たらん」
「唇に何か塗ったかと思ったが、化粧品も持ってないでござる」
男三人で王を徹底的に調べてみたものの、めぼしい成果はなにもない。一同に焦りの色が見え始めた時、クラーラが帰ってきた。
「何か聞き出せたか?」
「ううん。重臣たちはそろって口が重いの。下手すれば王の悪口を言ったことになっちゃうから、仕方ないけどさ」
「お前の方も芳しくないか……」
「お前の方『も』ってことは、そっちもダメですか」
クラーラは腕組みをして、うなり始めた。
「あ、そうだ! 王様は王妃の小さな姿絵を、ちょくちょく見てたって、士官が言ってた。その絵に毒が塗られていたのかも」
「可能性としてはあるな。絵の裏面や縁に仕込めば、十分可能だ」
「でも、そんな絵は持ち物の中にはなかったぞ」
「となると……残りは、服しかないな……」
全員が目を合わせ、無言になった。アレクは決断を下す。
「剥げ。俺が責任もつ」
号令がかかると、部下たちが王の周りに群がった。服を脱がせ、一枚一枚丹念に調べていく。縫い目まで虱潰しに探し、肌着になってようやく手がかりが見つかった。
「ここ! 切れ込みが入ってる!」
クラーラが叫ぶ。手袋をしたニコラウスが進み出た。大人の手がやっと入るくらいの切り込みの中を探ると、小さな姿絵が出てきた。
「肌着か……」
「さすがにそこまでは調べられないよねえ。他国の王様相手だもん」
「すまん」
「こっちこそごめん」
仲直りも無事進み、アレクたちは姿絵を覗き込んだ。ほほえむ王妃の姿を描いたそれは、細いペンで丹念に描写が施されている。肌着に入っていたのでたわんではいたが、なかなかの出来だった。
さっそくニコラウスが検出用の試薬を吹き付けてみる。……しかし、ここで問題が持ち上がった。絵の裏からも縁からも、毒の反応が出なかったのだ。
「え、それ、ホント?」
「しかり。かすかに絵中央から反応がござるが、そんなに強くない」
ニコラウスは自信をもって語り、手袋を外す。アレクは彼に問いかけた。
「ただ、かすかに反応があった。ならば、毒がここからきているということは確かだな」
「しかり。反応が薄いのも、王が摂取したからだと考えれば至極当然」
今までの騒動は、一応の解決をみた。しかし、まだ何もかもが分かったわけではない。アレクは首をひねった。
「それにしても、何故中央から反応が出る? 確実に触れさせたいなら、裏か縁の方が確実だろう」
「他の人が触っちゃったら意味ないからじゃないですか? 目的はあくまで王様でしょ」
「王だって、わざわざ中央なんか触らんだろう。傷むだけじゃないか」
「うーん……王にだけ中央を触る理由がなにかあれば……」
沈黙が流れた。アレクはうなりながら、絵をもう一度観察する。
「ん……この絵、傷み具合に差があるぞ?」
全体的に湿気で多少インクがにじんでいるのだが、王妃の顔付近だけ特に傷みが激しい。
(なにか理由が?)
アレクがそう考え始めた時、急に左右からしっかりと手をつかまれた。
「な、なんだ」
ニコラウスが左、レオンが右に立っている。それぞれ己の両手で、アレクの掌をしっかり握りしめていた。控えめに言って、コワイ。
「アレク様、さすがでござる」
「我ら普段から当たり前にやっていることゆえ、今までうっかりしておりました」
笑い合うニコラウスとレオンの後ろで、クラーラが置いてきぼりを食らっていた。
「え、二人にはわかるの? 絵の中央に毒があった理由」
「簡単でござるよ。王は王妃の姿絵に、毎日口をつけていたのである」
「……今、ものすごく気持ち悪い告白をされた気がするんだけど」
クラーラのつぶやきを聞いた男二人が、えらい剣幕で振り返った。
「気持ち悪いとはなんでござるか。焦がれる対象とひとつになりたいと願うあまりの行為ですぞ」
「実に心ある行為ではないか。離れていても恋しいと思うからこそだ」
「二人とも、妙に文学的な表現使わないでよ。要は本人がいないから、夜な夜な絵を愛でてるわけね」
「……話はわかったから、この手を離してくれんか?」
アレクのつぶやきを聞いているものは、誰もいなかった。すっかり諦めの境地に入ったアレクは、ひとり考えをまとめ始める。
今回の件をはじめから追っていくと、おそらく流れはこんな感じだろう。
まず、うちからの提案をうけたリリアーヌはこう考える。
(良い機会かもしれないわ。遠く離れたところで夫が狂ってくれれば、私に疑いがかかりにくくなる)
そこで彼女は、アレクからの申し出を受ける。そして、夫をはめるための具体的な方策を考えた。
まず毒薬を入手。これは愛人の多い彼女なら、どうとでもできただろう。次に、人物画の顔の部分にその毒をたっぷり塗っておく。万が一王以外の誰かがこの絵を見つけたとしても、わざわざ妃の顔を触るものなどいないから、毒の存在は隠し通せる。
そして全ての準備が整ったところで、王に甘くささやけばいい。
「お仕事とはいえ、あなたがいないととっても寂しいわ。私のことをお忘れになってはと気が気でなくて、こんなものを作らせたの」
王が絵を受け取ったところで、最後のダメ押しをする。
「行軍中、これを私と思って毎日接吻をお願いね。さぼってはイヤよ」
上目遣いでねだる王妃の顔まで、はっきり想像できる。あの王なら、これで一も二も無く落ちたろう。そして行軍が始まり、王妃の言う通り律儀に接吻を繰り返していた王はついに発症した……というわけだ。
アレクが低い笑いを漏らすと、ようやく両側から伸びていた手が引っ込む。アレクは思いついたことを話した。
「そのお考えは正しいでしょう」
「王が自分をどう思っているか、知り尽くした上での行動でござるからな。恐ろしい」
「でもなー。何だかなー」
男ふたりがスッキリした顔をしている中、クラーラだけが鬱鬱としていた。
「王様が毎日同じ行動をしてたんなら、みんな見てるでしょ。事前に教えてくれたってよかったのに」
あまりに彼女が落ち込んでいるので、アレクは慰めた。
「お前の聴き方が悪いわけじゃない。あっちの問題だ。悪いが、向こうのお偉いさんを呼んできてくれるか」
クラーラはうなずくと、瞬く間にその場から姿を消した。
「足の速さは相変わらずですな」
「そうでなければ、森の狩人はつとまらんさ」
アレクたちがこんな会話をしていると、クラーラが戻ってきた。彼女と同時に、バティールの重臣たちが天幕に乗り込んでくる。