守るべきもの
「さて、ようやくここまでお膳立てが整ったでござる」
愛用の鍋をかき回しながら、ニコラウスがつぶやく。
「勇者たちは絶対逃げられないようにしてありますし、バティール国王も連れ出して、陣におられるでござる。まずはおめでとうですな……さ、一杯」
ニコラウスは流れに乗って、鍋の中で煮立っていたピンクの薬をさしだしてくる。アレクは露骨に目を背けて、勇者たちを観察した。
鉢状に、真ん中がくぼんだ荒野。その一番底のところで、勇者がうろたえている。
「魔王はどこだ?」
「そもそも、あの大量の軍はなんなんですか?」
「だから罠だってば」
お互い顔をつきあわせ、そんなことを話し合っているに違いない。なんせくぼみの外周には、蟻の這い出る隙間もないほどの軍勢がいるのだ。
(すまんな。魔界のためだ)
勇者たちに向かって、アレクは手を合わせる。大事なヒマつぶしの相手だから、本当に危なくなったら助けてやる。それでよしとしてくれ。
(それにしても、やけにバティール側からの兵が多い。あの王妃、やっぱり何かたくらんでるな)
アレクが心配しているのは、王の暗殺だ。トルテュになにかあった場合、彼女が実権を握るという契約がすでにあるのだから。
王妃にとって、この遠征はいい契機なのではないか。夫が死んだとき、自分が遠く離れたところにいた方が、疑いが晴れやすい。
(他の者に手を汚させるか、はたまた罠か……)
どんな手でも使ってくるだろう。女というより、そういう化け物なのだ。それならこちらは、全力をもって暗殺を阻止せねばならない。
「アレク様、戻りました」
「全部調べてきましたよーう」
レオンとクラーラが、森の中から姿を現した。二人とも目をこすったり、肩をぐるぐる回している。
「すまんな。疲れたろう」
妃は遠く離れた場所にいて、しかも王に護衛がついていることを知っている。となると、暗殺方法に選ばれそうなのは毒だ。それは暗殺の王道。距離も使い手の非力さも、やすやすと補える。
ゆえに今回、アレクは気を遣いまくった。ニコラウスの試薬を用いて、レオンに武具、クラーラに日用品を検査させる。塗布されていないかはもちろん、毒針などが仕込まれていないかも確かめた。
王が口にするものは全て事前に毒味させ、食器も全てアレクたちが準備したものを使ってもらう。万が一の場合に供え、解毒剤もいくつか作らせた。
(ここまでやれば、万全なはずだが……)
しかし、アレクの脳裏にはリリアーヌの笑みがちらつく。まだ自分の知らない何かがあるのでは、と思うと落ち着かなかった。
「王は今どこに?」
「ちょっと疲れたから休むと。うちの騎士がふたり、付き添っています」
「心配しすぎじゃないですか? 顔、コワイですよ」
クラーラに言われて、アレクは眉間をもみほぐした。
「はい、お茶!」
アレクは差し出された茶を手に取った。毒味済みなので、すでにぬるくなっている。するとその水面に、血相を変えた屍鳥がうつりこんだ。
アレクは思わずカップを取り落とし、割ってしまった。広がる茶を見つめて、舌打ちをする。しかし屍鳥の方は、全く気にせずがなりたてた。
「トルテュ王がご乱心です! 従者二人が、すでに斬られました!」
報告を聞くと同時に、アレクは椅子を蹴って立ち上がった。何事か、とざわつく周囲をよそに、一直線に王の寝所へ向かう。
分厚い天幕の中に、ぼんやりランプがともっていた。その傘に、飛び散った血がへばりついている。アレクは中に飛び込んだ。
生臭い匂いが充満している。絨毯を踏むと、血液をたっぷり含んだ長い毛足がぐじゅっと音をたてた。
「は……はは……返り討ちにしてやったぞ」
天幕の中央で、血まみれの長刀を持ったトルテュ王が、調子っぱずれの笑い声をあげている。その足下には、胸部や背中に深い傷を負った騎士が倒れていた。
(ふたりとも、まだ斬られて間もない)
アレクの腹は決まった。
「万華鏡」
命を奪うことがないよう、ギリギリまで術をしぼる。金色の球体がせわしなく動き、王の右肩をとらえた。
「裂!」
アレクが呪文を唱えると、術がトルテュの肩を粉砕した。
「ぎゃああああ!」
トルテュが痛みにのたうち回り、剣を取り落とす。しかしそれでも、彼は誰もいない幕に向かって吠え続けていた。まばたきもせずに目を見開き、せわしなく足を動かす様は、狂っているとしか言い様がない。
「アレク様!!」
天幕の入り口に、レオンやクラーラ、さらにその部下たちがつめかけている。
「トルテュ王は!?」
「大事ない。ただ、バティールの高官たちにはできる限り伏せておけ」
真相究明の前に詰めかけられては。厄介なことになる。それに、やることが他にあった。
「この騎士たちを先に運び出せ。治療の遅れが命に関わるぞ」
アレクが指示を出す。しかし、部下たちは戸惑いの表情を浮かべた。ここにいるのは隣国の王である。彼の処置を後回しにしたとわかったら、バティールが報復してくる可能性があった。
だが、それがどうした。
「早くしろ! もし事が起こったら、その時は俺がなんとかする」
トルテュは王だ。しかし、アレクも王である。その座についているからには、誰が何と言おうが、大事なものくらい自分で決める。
「急げ!」
アレクがもう一度催促すると、部下たちが動き出した。担架に乗った重傷者が遠ざかっていくと、アレクの肩から力が抜ける。
傍らを見ると、レオンが両手を組み、左腰の辺りに当てて騎士式の礼をしていた。アレクはそれを、苦々しい思いで眺める。
「やめておけ。元々二人をコレにつけたのは、俺だ」
床の上で、「川が流れてきた」とうめきはじめたトルテュ。彼を見ながら、アレクはぼやいた。
「しかし、なぜこのような凶行に? あんなに準備したというのに」
ようやく礼をやめたレオンが動く。トルテュを椅子に縛り付けながら、彼はつぶやいた。
「天幕に入るまでは、特に変わったこともなかったそうだが」
主従で考えても、原因が分からない。そこへ、使いに出ていたクラーラが帰ってきた。
「アレク様。ニコラウスを連れてきましたよ」
ニコラウスは懐から、小瓶を取り出す。そこに目に痛い黄緑色をした液体が入っていた。
「クラーラ殿。そこの狂者の鼻をつまむでござる」
ふたりは協力して、てきぱきとトルテュの口の中に薬を流し込んだ。しばらくたつと狂王は何もしゃべらなくなり、小さないびきをかく。
「……解毒薬でこうもあっさり静まるとなると、発狂の原因はやはり毒でござろうなあ」
処置を終えたニコラウスが、結論づける。アレクにとっては、一番頭の痛い結果だった。
「どこから体内に入ったというんだ。怪しいところは全部潰したはずだぞ」
「武器の類いは全て、こちらで確認しました」
「あたしだって、隅から隅まで調べたわよ。食器や日用品からきたんじゃないって」
「本当だろうな」
「エルフは狩りが本業よ。目と耳は、絶対に確かなの。そっちこそ、仕掛けを見落としたんじゃない?」
「騎士がそんな間抜けな真似をするか。もしお前の言う通りだったら、この首斬ってくれてやるわ」
「いらないわよ、そんな汚いもん」
「なにをっ」
「やめろ、二人とも」
敵の所行を追求する前に、仲間割れが始まりそうだ。アレクは慌てて止めに入る。