切れる尻尾がやってきた
「まあ、陛下!」
リリアーヌが真っ先に、入ってきた男に笑顔を振りまく。この部屋にいる誰よりも豪華な衣装をまとった男を見て、アレクは口をきつく結んだ。
(……出たな、バティール国王トルテュ)
リリアーヌの夫にして、この国の最高権力者。しかし、部屋に入ってきた男は、その称号には全く似つかわしくなかった。よく観察すると、弟と目鼻の辺りは似ている。
しかし、困ったような八の字眉と垂れ下がった口元のせいで、全くの別人に見える。しかも王はおどおどと肩をすくめ、今にも妃の後ろに隠れてしまいたそうだ。
(これでは、とても王妃のお気には召すまいな)
クラーラでさえも、通り一遍の挨拶をした後は、王への興味を失っている。
「……遠いところから、ようこそ。ええと……」
口を開いても、トルテュはぐずぐずするばかりだ。普通、何をしゃべるかくらい決めてから来るだろう、とアレクは苛々した。
アレクがこうなのだから、王妃はその千倍は腹を立てているに違いない。しかし、そんなことはおくびにも出さず、彼女は夫の腕につかまった。
「うふふ、陛下はいつもおかわいらしいわ」
「すまないね。どうにもしゃべるのは苦手で……」
「苦手なんじゃないわ。陛下はとっても慎重なだけよ。時間がかかったって、陛下のおっしゃることに間違いはないんだから」
上手いこと妻におだてあげられ、王は顔を赤らめた。心の底から、ただ純粋に喜んでいる。
(ダメだ、これは)
アレクは匙を投げた。いかに自分が攻めても、王にやる気がないのではどうしようもない。
「あら、陛下。この旗は?」
「これは今度の式に使う飾りだよ。僕たちの頭文字を組み合わせて作った紋章が入っている」
「まあ、陛下がお作りになったの? 素敵!」
これで調子に乗った王は、客をほったらかして身内と話し始めた。アレクたちは適当にその場をとり繕い、王宮を後にする。
「得るものがない対談でしたねえ。向こうは無傷で、こっちだけ一方的に殴られたみたい」
「的確なたとえはやめろ。泣きたくなるじゃないか」
「じゃあ何か考えてくださいよ。今、アレク様いいとこなしじゃないですか」
クラーラは車の窓に手をかけながら、遠い目をしている。王として、このままでは終われない。
「いかに王妃が立ち回りが上手くても、どこかに必ずボロが出ている。まずはそれを探しだそう」
自分で言っていても、地味な作戦だなあと思う。しかし、こういう作業が大手柄につながることもあるのだ。ああ、人間界なら細かいことは気にせず、魔法で吹っ飛ばせるのに。
「……アレク様、アレク様」
「これだから魔界はイヤなんだ。みんな利害関係でドロドロに絡み合ってて」
「聞いてないでござる。レオン、交代」
「もっとバカに生まれたかった」
「お兄ちゃん、そんな難しい顔してどうしたのにゃ?」
アレクの頭に上っていた血が、瞬く間に足下まで降りていく。車はすでに自宅の前で止まっていた。外を見てみると、握った拳を口元にあて、わざとらしいしなを作ったレオンがいる。
「……レオン」
「やだー、お兄ちゃんが怖いのにゃ」
「…………」
「いえ、俺の推しのカッツェちゃんが、いつもこういう話し方で。元気出るかなと」
「殺意が沸いた」
頼むから二度とやらないでくれ。そう言い置いてから、アレクは本題に入る。
「そっちの結果はどうだった?」
レオンは護衛兵に知り合いが多数いる。こっそり彼らから情報を聞き出すよう指示してあったのだ。
「王はリリアーヌに惚れているのは間違いない。ただ、王妃のクセにも薄々気付いています」
「そりゃ、あれだけ取り巻き連れてればね」
クラーラが嘆息した。
「問いただしたい気持ちは当然あるでしょう。しかし正面から聞いて、もし決定的な一言が返ってきたら?」
「そう思うと、疑っていても行動には踏み切れないと」
唯一妃に対抗できる立場でありながら、翻弄されている。アレクは少しだけ、王に同情した。レオンが重々しい口調で続ける。
「精神的に無理をしているせいか、王の様子がおかしいと言う者もいます。急にふさぎこんで部屋に閉じこもったり、明らかにさっき言ったことを覚えていなかったり……一番ひどい時は、壁の中から誰かが見ている、とわめき散らして大変だったらしいですよ」
奇妙な人間関係は、確実にトルテュをむしばんでいる。いつか近いうちに、限界がくるだろう。
「あの王自体は、悪い奴でもなさそうです。王妃から離せれば、こっちの話も聞くかもしれません」
「離す……か」
何でもいいなら、方法は一つあった。
「うちはまだバティールと軍事同盟を結んでる。口実を作って、あの王を戦場に引っ張り出すことならできるが」
流石にいかな言い訳をしても、あの王妃は戦に参加できない。万が一取り巻きがついて来たとしても、戦場なら分散させることもできる。
「いいですね、やってみましょうよ」
「母上の承諾を得てからだぞ。あの方は厳しいからな」
アレクは釘を刺したが、レオンはもう愛用の剣に手をかけていた。
☆☆☆
「ふむ。面白いではないですか。おやりなさい」
母はあっさりアレクの提案を受け入れた。
「しかし、王をどうやってその気にさせましょうね。無理強いするわけにもいきませんし」
アレクが首をひねると、母はこともなげに答えた。
「そんなことは簡単。姫にいいところを見せられますよとでも言えば、飛んでくるでしょう」
「攻め入る場所の選定は、私がしても構いませんか」
「ええ。どんな手はずにするつもりですか?」
「嘘の作戦で、バティール内を荒らすわけにはいきません。うちの領地の端っこで、どこか探しますよ」
戦と銘打つのだから、それなりに土地を荒らさなければならない。税の免除など、該当地域の領主には特例措置が必要となるだろう。
「場所だけでなく、『やられ役』も考えておきなさい」
母がちくりと刺してくる。痛いところをつかれたアレクは、顔をしかめた。
「そうなんですよね。そこが問題です。明らかに貧乏くじですし」
アレクの直属の部下はダメだし、かといって遠すぎると暴露されるかもしれない。難しい役だからこそ、人選が重要なのだが……。
室内に沈黙が流れる。その時、疲れ果てた様子の召使いが姿を現した。
「アレク様アレク様。あの勇者が、また門のところにいますが」
カモが来た。
「我が家自慢の庭で丁重にお迎えしなさい。お茶もいいのを出すように」
「……前回の対応と、えらく違いません……?」
「それはそれ。これはこれ」
召使いが納得できない表情のまま、部屋を出て行く。しばらくしてから、アレクは庭まで足を運んだ。勇者一行はそろって眉間に皺を寄せながらも、用意されたお茶会の席についている。
「魔王、何をたくらんでもぎゅ」
アレクの姿を見るなり、勇者ソイルが噛みついてきた。
「そう思ってんなら飲むなよ。食うなよ」
「こんな美味しそうなものを並べておいてなにを言うのですか……むぎゅ」
ミラージュと名乗ったエルフ女が、率先して菓子をぱくつく。その横にいる美少女だけが、どうしていいかわからないといった顔で行儀良くしていた。
「まさか、ボクたちを買収するつもり……」
美少女が口を開いた。いかん。こいつが一番頭が良い。これ以上余計なことを言われる前にと、アレクは声を張り上げる。
「ふん、最後のもてなしというやつだ。お前たちとは決着をつけねばならんからな。勇者と魔王は永遠に相容れぬ」
「……面白え」
男の本能を刺激されたのか、ソイルが体を起こした。口元にいっぱいクリームがついているのが情けない。が、今のところつかみは順調だ。
「しかしこの世界にも、日々を生きる命がある。その地を無用に荒らすのは、心ないことだと思わんかね?」
「確かに」
「そこで、今回は我々の方から戦う場所を指定させていただきたい。屍鳥についていけば、迷うこともない」
「いいだろう。俺たちが勝ったら、何でも言うことを聞いてもらうぞ」
無駄にでかい声をあげながら、ソイルがいきりたつ。最初から勝負する気がないアレクは、満面の笑みで受け入れた。
「で、いつからですか?」
「出来れば今すぐに」
「え、まだ全部食べてません」
「ボク、なんか罠の気配を感じる……」
「はい勇者ご一行様、出発!! 拍手でお送りしましょう!!」
無理矢理ソイルたちを送り出してから、アレクは密かに拳を天に向かってつき上げた。