媚態の女人形
足の速い三首犬の引く車は、あっという間に隣国までたどり着いた。招待状を見せて会場にはいると、まず大きな広間がアレクたちを迎える。
そこは、大きなシャンデリアに照らされた舞踏場になっていた。中央部はダンスをする若い男女のためにあけられ、壁際に飲み食いしたい客向けのテーブルがいくつもしつらえられている。
華やかなドレスの女性たちに、アレクはさっと目を走らせた。これでも嫁を探す気はあるのだ。……結果、どれもパス。遊んでばかりの小娘たちで、微塵も知性が認められない。アレクはさっさと女性への興味を失い、テーブルの方に釘付けになった。
真っ白なクロス。その上に、少しの隙間ももったいないとばかりに料理の皿がのっている。
アレクは品書きに目を走らせた。スープ三種、テリーヌ三種、オードブル十種。続いて肉料理八種、口直しの軽い料理が八種。最後に菓子二種がつく。
(合計三十四種。これだけの量を一気に出せるとは。やはりここの財力、あなどれん)
宴会の食事には、その家の経済状況がつぶさに現れる。食器やカトラリーは使い回しができても、食材はそうはいかないからだ。豊かな家には、必ずその理由がある。
(前王の遺産もあるだろうが、王妃の持参金も大きい)
宝石加工と産出でその名を知られた裕福な国からきた彼女。さぞや大量の資材をもたらしたに違いない。金が流れ込むのが、食事だけならいい。しかし、そんな甘い話はそうなかろう。アレクは苦々しく思いながら、料理に向き合った。
貴族の従者たちが、主人のために毒味をしている。しかしニコラウスだけは、黙って小さな紙片を料理にくっつけていた。
「全部調べました。毒のたぐいはありませんな。もちろん、媚薬も」
しばらくしてから、周りに聞こえないようニコラウスがささやく。それを聞いてから、アレクは初めて魔界雉のポタージュに手をつけた。
「すまんな」
「用心するに越したことはありませんぞ」
妃が若い男を片っ端から落とすというが、それが本人の魅力だけで行われている証拠はどこにもない。薬の使用も選択肢の一つだ。よけられる危険なら、排除しておくのが当然である。
「しばらく安心して飲み食いなされ」
ニコラウスに言われるまでもなく、アレクはひたすら胃袋を満たした。料理はどれもうまかったが、アレクが一番楽しみにしていたのは食後のデザートである。すると、たっぷりクリームのかかった木苺のムースが、廊下の向こうからやってきた。……しかし無情にも、アレクはその甘味に手を伸ばすことすらかなわなかった。
「まあ、ごきげんよう。アレクサンダー様」
甘ったるく、まだ幼さを残す声。王妃が、アレクのすぐ横に立っていた。内心で舌打ちをしながら、アレクは目の前の少女に丁重な挨拶を返す。
雲のようなふわりとした金髪を持ち、桃色の衣装に身をくるんだ彼女は、まさに生き人形。ほほえむ度に、長いまつげが可憐に揺れた。
「今日もお美しい」
「もっと言ってくださってもよくってよ」
王妃リリアーヌは、あからさまにアレクに体を近づけてくる。露骨に避けるわけにもいかず、アレクはその扱いを甘んじて受けた。
「今日は、楽しんでくださっています?」
「ええ、とても」
「……本当かしら。殿方なら、もっと楽しいことをたくさんご存じだと思うけれど」
誰にも聞こえないよう、リリアーヌがささやく。彼女の指先が、アレクの腹のやわらかいところを引っかいた。
「どうでしょうね。私は戦しか能のないつまらない男ですから」
「あら、そうでもないわ。押さえ込んだり、倒したり……そういう征服的な動きは、たくさん経験なさったんじゃない?」
リリアーヌが自分の唇を舌でなぞる。
「野蛮な世界ですからね」
「わたくし、最近そういう血塗れの生活をのぞいてみたくてたまらなくなりますの。自分が手を汚したくはないけれど、獣のような殿方がいると考えただけでぞくぞくするわ」
魔女が、今度は両手でアレクの服をつまんだ。
「ね、ここから抜け出さないこと?」
ぞっとするほど冷たい、しかし色気に満ちた二つの目が、アレクを真正面からとらえた。
飲み込まれる。
数々の戦場に立ってきたアレクであったが、目の前の少女に混じりっけなしの恐怖を感じた。溺れる前に。汗ばむ手で、アレクがどこかをつかもうとした、その時。若い男の声が割り込んできた。
「おやおやリリアーヌ、ずいぶんお客様にいたずらが過ぎるんじゃないのかい」
アレクにとっては、まさに天の助け。反射的に声の主をじっと見つめた。
背が高く、細身の男だ。ただきちんと鍛えているのだろう、仕草のひとつひとつが実に美しい。顔も少し暗い雰囲気があるものの、整っていて品がある。彼がリリアーヌと並ぶと、まさに絵から抜け出てきたようだ。
「あら、ファビアン。来ていたの」
「来ていたもなにも、ここは僕の家だよ。もう忘れてしまったのかい」
「うっかりしていたわ」
「この魅力的な紳士に溺れたのかな。いい子だから、こっちへおいで」
ファビアンと呼ばれた男が手招きすると、リリアーヌは何事もなかったかのようにするりとアレクから離れていった。ただ、最後に笑いながら、
「また、あそびましょ」
と言うことは忘れなかったが。
リリアーヌたちが人混みの中に消えていくと、アレクの体からどっと汗が噴き出した。
☆☆☆
「お、終わりましたかな」
ニコラウスが、平然とした様子で言った。アレクと同じくリリアーヌの射程圏内にいたはずだが、全く呼吸が乱れていない。
「よく無事だったな」
「毛穴がある生きものに興味はないでござる」
徹底している。流石のリリアーヌも、この男には手出しできなかったか。
「どう思った、あの姫を」
「化け物ですな、ふつうの男にとっては。薬なんぞ使わなくても、引っかかってくれる男はいくらでもいましょう」
ニコラウスはそう言って、眉間にしわをよせた。
「……一つ聞きますが、途中で現れた青年は誰でござるか。夫君?」
「彼が夫なら、少しは浮気の虫を押さえられたかもしれんがなあ」
アレクがつぶやくと、ニコラウスが不穏な気配を感じて口をつぐんだ。
「間者からの密書も受け取った。主賓に挨拶もしたし、ダンスにも興味がない。帰るか」
アレクたちは再び三首の犬が引く車に乗った。完全に王宮から離れたのを確認してから、ニコラウスが再び口を開く。
「あれだけ身分の高い女性に、ああ気安く振る舞える男はそうおりません。あの男が、王弟?」
「そうだ」
「どう見ても……その……」
「デキてたろう。母上のおっしゃっていた通り、女狐だ。噂が噂でないことは確認できた。さて、これからどうするかな」
アレクが間者からの報告に目を通している間に、車は自宅まで戻ってきていた。