各個撃破
アレクが言うと、部下たちは律儀に動いた。そこら辺を無駄に走り回ってみたり、左右を落ち着かなさげに見回している。
全く状況をつかめない赤派の兵が、困惑の表情を浮かべ始めた。十分、とみたアレクは声をはりあげる。
「撤退!! 国へ戻るぞ!!」
アレクの声を聞いて、兵が逃げ出し始めた。みるみる赤派と距離があく。アレクは途中で隊列を離れ、屍鳥とともに行軍の様子を見守った。
「アレク様、読みが当たりましたね。追いかけてきました」
屍鳥の言うとおり、赤派の陣から人が流れ出しているのが見える。といっても、中央ででんと構えている近衛兵たちは微動だにしていない。必死に追いかけてきているのは、左右を守っていた民兵と傭兵たちだ。
「赤派の司令官は、止めなかったのでしょうか」
あまりに見事な引っかかりっぷりに、屍鳥が本音をこぼす。
「止めはしたろう。しかし、まじめに聞く奴がいなかった」
傭兵たちは戦後に報酬をせびるため、一つでも多く首がほしい。民兵たちはろくに戦の経験がなく、初勝利を目前にして浮き足だっている。この混成軍に我慢をさせるためには、将によほどの力量がなくてはならない。
(今の赤派には、人材がいない。止められず調子に乗った両翼は、丘を降りる)
アレクの読みが当たった。そしてこれから、高所という絶対的な利点を捨てた愚か者に、次々と罠が襲いかかることになる。
☆☆☆
まず罠にかかったのは、右に位置していた民兵たちだった。草原を走っていた彼らの体が、いきなり下へ引っ張られる。
「な、何だ!?」
視界が変化した民兵たちがうろたえる。もがけばもがくほど、ますます頭が地面に近くなるだけだった。
「はーい、元気?」
どう見ても元気ではない兵たちの前に、軽い様子のままクラーラが姿を現した。
いきなり現れた女に、民兵が反応する。武器をとろうとした者もいるが、それは無駄な抵抗だった。全ての民兵が、すでに腰まで地面に吸い込まれているのだから。
「あー、やめといた方がいいよ。底なし沼の中なんだからさ」
クラーラがため息混じりに言った。この頃になると、民兵たちもやっと自分たちがおかれた状況に気づき始める。
「もうちょっと冷静だったら、先行したはずの軍の足跡がないのはおかしい、って気づけたはずだけどね」
「途中でわざと道をはずれたのか、畜生!」
もはや怒鳴るしかできなくなった民兵が、クラーラをにらみつける。しかし、クラーラは笑い返してやった。
「そうよ。追う立場になった時こそ、冷静さを忘れちゃだめなのよ」
自分がさんざん長老やアレクから言われていることだが、それは気にしない。
「で、どうするつもり、あんたたち? このままだと、永遠のさよならになるわけだけど」
クラーラが言うと、民兵たちが顔を見合わせた。彼らの顔から浮かれた様子は完全に消えており、さっきとは別人のようだ。
「た、助けてくれ」
「何でもするよ」
元々民間人なので、のぼせるのも早いが冷めるのも早い。口々に助けを求めてきた。
「はいはい、わかった。暴れるほど早く沈むから、じっとしてなさいね。ロープ投げるから、近い人から順番につかまって。他の人を押しのけた奴には、おっきな石のプレゼントがつきますよ!」
クラーラの指示に従い、部下たちがロープを投げ込む。すっかりおとなしくなった民兵たちが、泥まみれになりながら引っ張られてきた。彼らの捕縛はしごく順調。暇になったクラーラはため息をつく。
「さーて、向こうはうまくいってるのかねえ」
地の利がないあちらは、ここまで楽には運ぶまい。仲間の無事を祈りながら、クラーラは空を見上げた。
☆☆☆
「敵の陣が薄くなったぞ!」
「好機だ!」
アレクサンダーが率いる部隊がいなくなったことで、白派本陣の左ががら空きになった。上からそれを見てとった赤派の兵たちが駆けて行く。まず民兵ばかりの部隊が、早々に走り出した。続いて、傭兵部隊が腰を上げる。
これ以上の脱落は、見過ごす訳にはいかない。赤派総司令モルガンは、きつい口調でそれをとがめた。
「動くな! 敵の罠だ」
こちらが高所にいる限り、敵の弓は届かず、突撃もうかつにできない。だからこそ、白派はわざと負けたふりをして、低地へ引きずりだそうとしているのだ。モルガンは手短に説明する。
「……と、いうわけだ。そもそも黒騎士レオンは、諸国に聞こえた猛将だぞ。あの程度で逃げ出すわけがない」
モルガンは、確信を持って言った。しかしそれを聞いた途端、傭兵たちの顔が険しくなる。
「あの程度? 聞き捨てならんな」
「自分たちは丘の上から動きもせんくせに、何を偉そうに」
「俺たちをバカにしてるのか?」
モルガンは、自分の発言が余計な火種になったことに気づいた。その間にも、口々に傭兵たちはモルガンをなじる。徐々に、モルガンの中で怒りが大きくなっていった。
(こっちが下手に出ていれば、いい気になりおって)
急速に接近してくる白派に対抗するためには、かき集めてでも頭数をそろえる必要があった。そのため、普段なら絶対に召し抱えないような者たちまで集まっている。もちろん傭兵たちにもこっちの懐事情は知れていて、平気で気安い口をきく。
『俺たちは、お前らが是非にと頼むから来てやってるんだ』
そんな想いが、彼らの中で根付いてしまっているのだ。こんな連中、どうやったら言い聞かせられるというのか。モルガンが迷っているうちに、傭兵たちがしびれを切らした。
「行くぞ!」
「奴らにもう一発、きついのを喰らわしてやろうぜ!」
傭兵たちは気合いを入れると、丘を駆け下りていく。
「待て、行けば死ぬぞ!」
モルガンが最後の情けをもってかけた忠告も、彼らの耳には入っていない。後には、ただ土煙と無数の足跡だけが残された。
「……全く」
頭を抱えるモルガンに、近衛兵が寄ってくる。
「矢でも射かけてみますか? 止まるかもしれませんよ」
部下の気遣いであった。しかし、モルガンは首を横に振る。
「もう止められまい。限りある資材を無駄にすることもないだろう」
モルガンは、居並ぶ近衛兵を見据えて言った。
「手元に遠眼鏡がある者は、よく見ておくがよい。まんまと敵の罠にはまった奴らの、無惨な最後を。そして、改めて気を引き締めよ」
近衛兵たちが、そろって諾と答えた。モルガンは丘の下を見つめる。丘を下りた傭兵たちが、白派の最後尾をとらえようとしているところだった。しかし、狙われている方の白派は涼しい顔になっている。
隊列が反転した。弓を構えた兵が、正面から傭兵たちに狙いをつける。黒騎士が、大きく口を開いて号令をかけた。
矢が放たれる。台座から放たれた凶器は宙を進んだ。そして、傭兵たちがまとっていた金属鎧をやすやすと食い破る。たちまち、死体の山ができあがった。
(あの弓……なんという威力だ)
細かい狙いはつけられない。しかし、真っ正面から撃った場合の貫通力はすさまじかった。
(当たらぬから、生きておられた。相手を舐めていたから、それがわからなかったのだ)
モルガンが心の中でつぶやくと同時に、傭兵たちが敵に背を向けて逃げ出した。
(ああ、これでまた死体が増える)
背中を向ければ、射手に広い的を提供するようなものだ。無様な傭兵たちを、モルガンは哀れむ。しかしここで、白派の弓兵たちは武器をしまい、後方に退いていった。狙おうと思えば、いくらでも狙えたはずなのに。