危険な幼妻
ようやく地獄の晩餐会が終わりに近づき、酔いがまわった親戚たちが卓から離れていく。周りから流れてくる重圧が和らぎ、アレクはやっと背中を伸ばした。
……しかし本当の強者は、相手が油断している時を狙って食らいついてくるもの。この時のアレクは、そのことをすっかり忘れていた。
「アレクサンダー。お待ちなさい。またどこかへ行く気ですね?」
晩餐会の終盤から沈黙を保っていた母が、口を開く。走って逃げ出したくなるのを、アレクはこらえた。
「状況が変わりました。しばらく勝手は許しません」
さっきまで親戚連中と話をしていたとは思えない、鋭い目線。『氷女帝』の二つ名にふさわしい姿だ。アレクも居住まいを正す。
「先日バティールの王が、后をむかえました。若いというより幼いといった方がぴったりくるくらいの娘ですが」
「ええ、私も式に参列しました」
アレクはうなずいた。婚姻の何よりの目的は、子孫を残すことだ。そのため老いた女が嫁ぐことはめったになく、年下女との結婚は頻発している。時には赤子が嫁に行かされることもあるのだ。隣の国のことだったので、アレクも特使として参列している。
「どうせ王本人というより、周囲が勧めたのでしょう」
「ええ。誰かさんと違って、たいそう素直な王でいらしたのですね。トントン拍子で話が決まったそうです」
まずい、墓穴を掘った。アレクは咳払いを連発してごまかす。
「しかし、この婚姻、失敗でしたね。王妃が、とんでもない雌狐でした」
「具体的には」
「まだ幼い身でありながら、宮廷内の男を次々と寝所に引っ張りこみ、籠絡しています。舞踏会などもはや、あの女の男あさりの場ですよ」
「母上。父上一筋の御身にとって、王妃がうっとうしいのはわかります。しかし、そんなことを気にしてどうなさいます」
貴族以上の身分の結婚となると、本人の意志のみで成立したものなどほとんどない。家同士のつながりや戦の勝ち負けによって、いくらでも子供の人生は揺れ動く。そうやって添った相手が、希望通りの異性である可能性などきわめて低い。
よって、浮気はいわば容認されたお楽しみであった。母が知らないはずがない。アレクは顔をしかめて、話の続きを待った。
「妃は王弟と寝た上で、王にかわって自分が権力を握ろうとしています。隣国の動きが読めなくなるとしたら、我が国にとって望ましい展開とはいえないでしょう」
確かに、今までは安全だった。バティールの先代は隙あらば領土拡大を狙ってきたが、息子は機械づくりが好きなオタク気質。戦に行くよりひきこもる方を選ぶため、国境の警備が楽で助かっていたのだ。
しかし、王妃が実権を握り、かつ好戦的であったら。自国のバティール対策は正反対の対応を強いられることとなる。
「わかりました。じっくり内偵の上で対応を」
母の言うことはもっともだ。しかし、この人の勅命をそのまま受けると危険だということも、今までの経験からよくわかっている。
アレクが口ごもると、母の目が不気味にきらめいた。懐に手を入れ、何かを放ってよこす。
「……招待状?」
「さっそくこんなものが、王妃からお前あてに届きました。ご令息との楽しいお付き合いのきっかけになれば、と非常にありがたい一言を添えて」
通りで、母の顔が魔狐のようになっているわけだ。これは明らかな挑発である。
「イヤな女ですね」
「危険ではありますが、ここまで言われて無視するのもね。行ってもらえますか?」
「ハイ」
「あくまで舞踏会だけですよ。寝所に誘われたら、断固として帰っていらっしゃい」
「ハイ」
感情を一切殺したまま、アレクはうなずいた。
☆☆☆
「で。受けちゃったわけですか。そのいわくつき王妃主催の晩餐会」
「しかたなかろう」
アレクはクラーラに向かって情けない声で言った。母の殺気。あれを受けてなお、「イヤです」と言える猛者がいたら、アレクは喜んで王の座を開け渡す。
「それじゃあ、しばらく遠征は無理ですねえ」
「残念だが。クラーラとレオンは待機。ニコラウスは俺と一緒に晩餐会にきてくれ」
「ええー、今週はミリザちゃんを愛でようと思っていましたのにい。ひどいでござる」
ニコラウスはさぞ今週が特別なように言う。が、彼はいつも同じことをしているのだ。しかし、アレクはあえて下手に出た。
「頼むよ。お前の力が必要なんだ」
「……仕方ないですなあ」
ニコラウスがうなり声をあげた。
「よし、このニコラウスが一緒に行きましょう」
「えー、私は? 私は?」
クラーラが、アレクの服の裾をしきりに引っ張ってくる。普段ならうなずいてやってもいいが、今回は勝手が違う。
「いや、お前はダメだ」
「ケチ。しみったれ。イジワル」
不満をぶちまけるクラーラを、アレクはなだめる。
「そう言うな。今回の誘い、男だけで参加しないと王妃が食いついてこないかもしれん」
クラーラがこちらをにらみながら、腕組みをした。
「王妃……リリアーヌは、結婚相手に心底飽き飽きしている。晩餐会にきた若い男を、片っ端から食って回っているらしい。ああ、食うというのは文字通りの意味ではなく」
「それくらいわかってますって。王妃がどうやって男を落としてるか、実地で調べようってわけですか」
「その危険度もな。自分で体験してみないと、詳しいことはわからん」
同行者がレオンでなくニコラウスなのも、悩殺攻撃にそなえてである。生身の遊女に固執するレオンより、姿絵専従のニコラウスの方が遙かに安全だからだ。
「たかだか王族の火遊びで、そこまでお考えですかー」
クラーラが呆けた声をあげた。
「なにもなければそれでいい。しかし、彼女は確かに、普通の女と違っていた」
アレクが問題の王妃に会ったのは、結婚式の一度だけ。長く王座にあった王を失い、バティール国内は再編成の時を迎えていた。さぞや王宮内は権力争いの炎がうずまいているに違いない。そこに入っていこうという若い王女はどんな奴か。アレクは気になっていた。
(自分だけはしっかりしなければ、と思っているだろうか)
美少女の張りつめた顔を、アレクは想像していた。しかし現実の彼女は、うろたえてなどいない。つまらなさそうに口元に薄い笑みを浮かべながら、祝いの言葉を述べる客たちを値踏みしていた。あれはまさに、幼くして魔女だ。
「とにかく、手ぶらでは帰れん。ニコラウス、準備するぞ」
「承知」
アレクとニコラウスが身支度を整える。その準備がすんだのを見計らって、車の用意ができたと御者が声をかけてきた。
巨大な三首の犬がひく車が、門の前にぴったりつけられている。
「地獄の三首がひく車なんて、初めてでござる。ねえミリザちゃん」
ニコラウスは姿絵片手に、ひとりはしゃいでいる。アレクはあえてそれにはふれず、王宮への到着を待った。