爆発、三秒前
大失敗の宴会から三日目の朝。アレクは布団にくるまって、全面的に公務を休んでいた。表向きは体調不良ということになっているが、実は精神的に追い詰められていたのだ。
(母上も作戦には興味を持っておられたからな……今更なかったことにはできまい)
ああ、あの宴会? ダメでした。
え、なんでかって? 俺の連れが、ファビアンにコンポートぶちまけたんですよ。まあ俺も、その後さんざんやり返しましたけどね。ハハハッ。
(ダメだ……)
どう考えても、これでは殺害ルート以外の行き先が見えなかった。母に出くわしても言い訳ができるようにしておかないと、恐ろしくて部屋から一歩も出られない。
汗で寝間着が肌にへばりつくのを感じながら、アレクは芋虫のように布団の中でうなっていた。その時、屍鳥が部屋の外からアレクを呼ぶ。
「アレク様、いつものお三方がいらっしゃってますが」
「……腹が痛い」
哀れっぽく声を発してみたのだが、扉の向こう側からは、
「ほんとに病気?」
「いや、それにしては声に張りが」
「仮病でござる」
という容赦ない判定が飛んだ。付き合いが長いのも考えものである。
「……ということでアレク様。お気づきの通り、もうバレてますので入っていただいていいですね?」
「好きにしろチクショウ」
アレクが捨て台詞を吐くと、三人が足音高く入ってきた。そのままアレクの枕元で、菓子を食いつつぺちゃくちゃと他愛もない会話を始める。取り繕うのも馬鹿らしくなってきたアレクは、ようやく床から抜け出した。
「……とにかく、昨日は俺の勝手ですまないことをした」
「何のことですか。別にアレク様が謝ることもないと思いますけど」
「あるだろ。ファビアンが怒って帰ってしまったじゃないか」
「でも、そのおかげで新しい罠にひっかかったんでしょ。ニコラウスからそう聞きましたけど」
「罠?」
そんな話は全く知らない。ニコラウスの方を見ると、いたって涼しい顔をしていた。
「危険なことに首をつっこんでいないだろうな」
「別に。あの男には近づいてすらおらぬでござる」
ニコラウスは懐から小瓶を取り出し、蓋を開けた。今度は中に紫色の薬が入っている。全員が瓶に注目し、屍鳥まで、つられて覗きこむ。次の瞬間、屍鳥が瓶に向かって降下した。
クラーラとレオンが身をよじる。アレクは急いで屍鳥を捕まえた。ニコラウスは満足そうにうなずくと、瓶をしまう。屍鳥はしばらくアレクの腕の中でうつろな目をしていたが、なでてやるとようやく動き出した。
「あ……ああ、びっくりした。何ですかあれは」
「びっくりしたのはこっちだ」
呑気な屍鳥に、レオンが苦言を呈する。より深くアレクの腕の中に潜りながら、屍鳥が言い返した。
「甘い匂いがしたんですよ。上等の蜜だけ集めて、それをさらに煮込んだような濃ーいやつが」
屍鳥は熱弁するが、その場の全員が首をひねった。
「そんな匂い、しなかったよー」
「信じてやりたいが、俺も何も感じなかった」
「皆様、大丈夫ですか? あんなにきつい匂いだったのに」
双方の主張はしばし平行線のままだった。不毛な言い争いを終わらせるために、アレクは動き出す。
「ニコラウス。そろそろ種明かしをしてくれ」
「承知」
指名をうけたニコラウスは嬉しそうに言うと、指を一本立ててみせた。
「といっても大したことはござらん。こいつは、動物寄せの薬」
ニコラウスが言うには、この薬にはごくごく微量の香が入っていて、動物たちはこれをかぎ分けることができるとのことだ。
「鼻が退化してるような奴は無理ですが、鳥や犬類には百発百中」
『犬』という単語をやけに強調しながら、ニコラウスが語った。アレクは顔を上げる。
「使ったのか。車をひく魔犬に」
ニコラウスは白い歯をむき出しにして笑った。
「ただし、塗ったのはファビアンの犬ではござらん。警備が厳しかったですからな。とあるご婦人の車の方に」
「ご婦人?」
「さよう。どうしてもあそこで、二人を引き合わせたかったので」
今回、招待の段取りをしたのはこちらだ。車の配置も事前に分かっているため、目当ての車を探し当てるのは簡単だった。しかし、そこまでして王弟と会わせたかった女性とは、誰か。
「オーリク伯――国王の叔父上──の、奥様ですな」
予想を上回る答えに、その場が凍りつく。
「ひとつ聞きたいんだけどさ。その奥さんって、美人?」
「なかなか艶っぽいご婦人でござる」
ニコラウスが言うと、クラーラは顔を引きつらせた。
「え、それだと……出しちゃうんじゃないの? 手」
「そこが狙い目なのでござる」
ニコラウスが今までより大きく両手を広げた。
「いいですか。ファビアンが、王の叔父の妻に手を出す。あの男、遊びは好きでも、後始末は上手ではござらん。遅かれ早かれ、夫は妻の不貞に気付くでござる」
レオンがその後を続ける。
「そうなれば、妻を寝取った男に憎しみがわき、様子見をやめて積極的に排除に走るというわけだ」
「理解していただき幸い」
これを聞いてアレクは考えてみた。
(なかなかいい)
母に説明しても、恥ずかしくない手だった。急に元気が沸いてきたアレクは、身支度を始めた。部下とともに、足取りも軽く、スキップで廊下の角を曲がると――
「アレクサンダー。あなたにお話があります」
「出たッ」
目と口を思いっきりつり上げた、地獄のような形相の母が立っていた。しかし、逃げ出すこともできない。腰が引けた姿勢のまま、アレクは口を開いた。
「宴のこと、でしょうか」
「他になにがありますか」
「軽率な行動をしたことは認めます。しかし、ファビアンとオーリク伯の仲を裂くことには成功したと思いますよ」
前置きをしてから、アレクはニコラウスの計画を全て伝える。ところが、母はいっそう表情をきつくするばかりだった。
(何かまずいのか……?)
嫌な汗がわいてくるのをこらえながら、アレクはようやく話を終えた。それと同時に、母は持っていた血杯をぐびぐびと飲み干す。そして、空になったグラスを廊下に放り投げた。
「……全く、あなたたちらしい甘い見立てだこと」




