憂さ晴らしにつきあえ、人間共
「おい魔王。僕らに何の恨みがあるんだ!」
「別にないよ」
「……そんなわけないでしょ?」
立ち上がった少年は、思わずツッコミを入れてしまった。
背後で派手に、爆発が起こった。家畜は怯えてそこらじゅうを走り回り、畑からは作物が持ち去られている。自警団はまるで歯が立たず、己の無力を噛みしめている真っ最中だ。
不思議な力を操る、恐るべき侵略者。人外の種族だけが住まう世界から、わざわざやってくる軍隊は、長年人間たちを苦しめ続けてきた。
大人たちが怯える中、単身魔王の所へやってきたのがこの少年だった。村を守るのだ──幼い心の中で、熱い正義の火が燃えている。だが、ようやく対峙した魔王は、予想に反してまるでやる気がなかった。
(なんだ、こいつ)
少年は心の中でつぶやく。そもそも魔王というのは、もっと恐ろしげな存在のはずだ。身長が山ほどもあって、目が赤色に光って、口は耳まで裂けているような。しかし目の前にいるのは、腰まで伸びた銀髪を持つ、涼しげな目元の優男だ。
人間とさして変わらないその姿に、気のない返事。少年は怒鳴ったことが恥ずかしくなってきた。ごまかすために、口を開く。
「なんで来たの」
「実家帰りたくないから」
魔王はとてもとても軽い調子で、質問に答える。
「……すみません、もう一回言ってもらっていいですか?」
「だから、家に帰るとあれこれうるさいのがいるの」
「もう一回」
「おうちがしんどい」
「もう一声」
「これ以上粘ると魔法でお前を吹っ飛ばしたくなるんだけど、それでもいい?」
「すみません調子に乗りました」
少年は正気に戻った。だが、ずいぶん気長に付き合ってくれる魔王である。
「やっぱり王だから、兄弟同士でもめたりするんですか」
「そうできたらどんなにいいか」
魔王が遠い目になった。どうやら、これは関係ないらしい。
「家臣が反乱を起こすとか」
「うちの子の悪口言わないでくれる!?」
ムキになって言われた。これも違ったようだ。
「え、じゃあ奥さんと」
「その話はするな!!」
初めて魔王が感情をあらわにした。ははあ、コレが彼の抱えている問題なのか。少年は得心しうなずいた。
きっと、最愛の奥さんと心がすれ違ってしまったのだ。それで彼は苦しみ、こんな暴挙に。少年は目の前の魔王を心から哀れに思った。
「何で急に涙ぐんでるんだ。気持ち悪いぞ、お前」
「つらいですよね。大事な存在と心がすれ違ってるのは。でも、こんなことをしたって大事な物は戻らないんです」
「あのな」
「一度は心が通じ合った夫婦じゃないですか。正面からぶつかってみましょう」
「それは」
「きっと彼女も応えてくれますよ!」
「……いいことを教えてやろう。俺は独身だ」
魔王が差し出した手から、多色の魔方陣が展開する。強烈な風に巻き込まれた少年は、村の彼方までフッ飛んでいった。
☆☆☆
「アレク様、機嫌悪いですね。お菓子食べます?」
「ありがとう、クラーラ。もらおうか」
褐色肌のエルフが、魔王ににじり寄ってきた。彼女の手から菓子を受けとり、アレクは口に放り込む。
たっぷりのクリームを果実酒の風味あふれるクッキーで挟んだ菓子は、なかなかいける味だった。素直に感想を述べると、クラーラは喜びをあらわにする。
「今焼きたてだから、もう一晩おいたら味が変わりますよ」
「それは楽しみだ」
「なじんだ方が美味しくなるってばっちゃは言うんだけど、これはこれでいいですよね」
念のために言うが今は戦中である。普通の行軍であれば、呑気なことだとアレクも咎めたかもしれない。しかし、今回は兵士の質も文明も、なにもかも劣る人間相手だ。この程度の余裕がなければ、かえって困るではないか。
「今後も励むように」
「はーい」
アレクは菓子をほおばりながら、煮立った鍋をかき回している錬金術師に声をかけた。
「ニコラウス、薬の手配は十分か」
「勿論でござる」
独特の言葉を操る小柄な術士は、胸を張りながら答えた。
「皆が手慣れてるおかげで、大した怪我人もおらぬが」
「そうか、良かった」
「アレク様もお優しいでござる。人間の里くらい、こんがりばっさり焼いてしまっても困らんと思いますぞ」
「滅ぼしてしまっては、逃避場所がなくなってしまう」
心外だ、という顔でむくれるアレク。それを見て、ニコラウスが笑った。
「まあ、そういうことにしておきますぞ」
にやつく部下に、返す言葉がなかった。アレクは釜の前から離れる。今度は村の中央で戦利品を数えている騎士の集団に接近した。
「その程度にしておけよ、レオン」
「かしこまりました」
騎士たちの中央に立つ、ひときわ巨大な体格の男がうなずく。
「辺境の街ゆえ、大したものはございません」
「貴金属の類いはいいが、生活に必要な品は返してやれよ」
「心得ております」
彼の言葉に嘘はなく、騎士たちはきびきびと仕事をこなしていた。アレクがいても邪魔なだけなので、再び気楽な散歩に戻る。
一回りすると、やるべきことがなくなってしまった。アレクは家の残骸に座り、ぼんやりと空を見上げる。
「アレクサンダー様」
自分の名を、完全な形で呼ぶ声がする。だが、ただの幻聴だろう。
「アレクサンダー様」
青く澄み渡った空。俺が見たのはそれだけだ。アレクは何度も、自分に言い聞かせる。
「露骨に目をそらすのやめてもらえません?」
骸骨の頭に、烏の体。屍鳥と呼ばれる魔鳥が、強引にアレクの視界に入り込んできた。
「……何の用だ」
「その前に。まずは作戦成功、おめでとうございます」
「うむ」
「お母様から、速やかにこちらに戻るようにと伝言が」
「まだかかるな。人間共が強くなっている」
「さっき作戦成功とおっしゃいましたよね」
「隣の村に勇者生まれたって言ってたし」
「白々しい嘘をつかないでください」
「嘘じゃないしぃー」
汗をかきながら答えるアレクに対し、屍鳥は冷たく言い放った。
「みっともない言い訳をそのままお伝えしてもよろしいですか。帰ってからが大変ですよ」
自信に満ちた屍鳥の態度。この状況は、母に筒抜けに違いない。彼は全面的に、母の味方なのである。次回以降、関係を改善せねばならない。そしてもっとグダグダした戦を演じなければ。
……しかし今回は、白旗をあげざるをえなかった。
「分かった。帰還する」
全面敗北を悟った魔王は、首を深く垂れた。自分も残念だが、部下にこの報告をせねばならないのがもっとつらい。
「レオン、皆をこちらへ」
黒騎士に号令を出す。彼は雰囲気で何かを悟ったらしく、苦い顔のまま部下を呼び集めた。
「諸君、今回の遠征、ご苦労だった」
集まった兵士たちを前に、アレクは声を張った。小高い丘から見下ろしているため、個々の顔までよく見える。種族はバラバラ、年齢にも幅がある。だが、境遇が似ているためギスギスした様子がない。
いい部隊だ。――だからこそ、これから告げる言葉がつらくなる。
「人間たちは抵抗することすらできず、瞬く間に我らの前から離散した。そのことは本国も高く評価している」
アレクが故郷の話題をちらつかせると、兵士たちが互いに目を見合わせた。
「よってここで遠征を打ち切り、魔界へ戻る」
普通なら喜びをもって受け入れられる発言だが、この部隊では勝手が違う。すぐさま兵士たちから、
「そんな」
「ひどい」
「今から適当な村を探しましょう」
と声があがった。彼らの気持ちが痛いほどわかるだけに、アレクは顔をしかめる。