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7月21日
「お前、ヤンキーとやり合って入院したって本当かよ」
やばくね、と言いながら、せっせと彼女にメールの返信をしているのは言わずもがな登である。俺の武勇伝より可愛い彼女とのメールの方が大切ですか。そうですか。
「救急車が来るの早かったって聞いたよ」
「そうそう。近所の人が呼んでくれたっぽいんだけど、結局誰が呼んでくれたのか分からなかったんだよね」
「へえ……。鼻も元通りになってよかったね」
自分のことのように心配してくれているのはカズ。本当に良い友達を持ったよ俺は。
「中身でフォローできないんだから、顔だけは大事にしないと」
良い友達とは。
あの日、慣れていない大量出血のショックと熱中症で倒れ救急車で運ばれた俺は一晩だけ入院して、2日間自宅待機。土日を挟み、次の週には学校に戻っていた(世間は夏休みだが、俺たち高校生には夏期講習がある)。ゴキブリのような生命力に、数年ぶりに自分のことを褒め称えてやった。しかも、成り行きで助けられた少女が、俺のことをひどく気に入ってくれてだな。彼女の手書きのメールアドレスを眺めながらにやにやする毎日である。
「メールしねえの?」
「ばか、出来るわけねえだろ。クズなのがバレて幻滅されたら最悪じゃねえか。こういうのは、美しい思い出として取っておくんだよ」
「わびさびに彼女できない理由分かったわ」
くうう、登の奴。ちょっと彼女ができたからって調子に乗りやがって。こいつにも、俺とヤンキーの戦いを見せてやりたかった。なにせあの時の俺は、奴の鼻を折って、殴って……あれ?
(鼻を折られたのも殴られたのも俺じゃ)
じゃあなんであいつは鼻と頬と横腹を押さえて苦しんでたんだ?
そういえば、一緒に運ばれたという彼には、怪我はなかったって……。
……たぶん、あいつも熱中症で倒れたんだろ。馬鹿な奴め。この時期に学ランなんて着てるから。
「錆、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
今日は登がデートで不在。カズと2人で帰っていた。
神社の前を通り過ぎ、蝉の声が遠くなった頃、真面目な調子でカズが口を開いた。
「錆はどうやって不良倒したの」
「え?」
ちょうど俺が不思議に思っていたところを突かれ、動揺を見せてしまった。
まさかこいつ、本当は俺が倒したわけじゃないだろって言いたいのか。
「……お前、そういえば案外嫌な奴だったな」
「何言ってるの。聞いてるだけじゃん」
「なんでそんなこと聞くわけ」
「心外だ」という気持ちを込めて尋ねると、カズの答えは予想の斜め上を行った。
「僕も撃退したい」
「は?」
カズが不良と喧嘩しようとしている?
俺と同じく、優等生ではないが、周りと揉めるようなタイプでは決してない。
「お前、喧嘩するの?」
「……別に、心配するほどでもないけど。護身術的なのあったらいいなってだけ」
無いならいいよ、とカズは目を逸らす。その一瞬を俺は見逃さなかった。
何か……あったのだろうか。いや、「あるのだろうか」が正しい。きっと俺なんかに撃退法を聞くなんて、現在進行形で切羽詰まっているに違いないと思った。
「護身術ねえ……無我夢中だったから、よく分かんねえな」
「錆が武道やってたって話、聞いたことないもんね」
「好きでしんどい思いをする奴の気が知れねえよ」
「あはは……」
再び沈黙があった。
長い付き合いになると、会話がなくなっても息苦しいという感じはない。しかし、カズの様子は少しおかしかった。
「俺も塾考えようかな。夜?」
「うーん……うちはやめといた方がいいかもよ。錆には向いてないと思う」
今日は失礼のオンパレードだな。ただ、カズが隠そうとしている何かが気になった。塾で嫌がらせを受けているのかと思ったのだ。
適当な理由をつけて、塾が終わる時間を聞き出した。
カズの通っている塾は駅前にある。学校側からと、住宅街側からと、2つ道があるが、どちらもトンネルを抜けなければならない。学校側からなら歩きで向かってもなんてことはない距離だが、住宅街側から行くなら自転車が欲しい道だった。俺は日が沈むのを待ち、暗くなった小道を自転車で漕いでいった。
がたん、がたん、がたん。
ぼろぼろに砕けたアスファルトの坂道を自転車で登っていく。トンネルまで、あと少し。息を切らせながら頂上へ辿り着くと、トンネル内の明かりにほっとした。このまま、坂道を下ればいい。ペダルを漕がずとも自転車は進んでいき、駅前の賑わいが近づいてきた。こっちの方面に来るのは久しぶりだ。以前は時々、ここの電車に揺られていたが、今は、あまり近づかなくなってしまった。あの頃の、背中にいつも感じていた重みがないと、少し物足りない感じもした。
21時前。カズの通っている塾の傍で隠れて待機した。
カズが塾仲間らしき人に囲まれて建物から出てくる。彼の顔は沈んでいた。駅前から、なぜか学校側のトンネルへ向かっていく。明かりが少しずつなくなっていく途中、カズは何度も足を止めた。
トンネルの前で、カズを含めた4人は足を止めた。
俺は携帯を開き、録音開始ボタンを押した。げっ、あと20パーセントしか充電残ってない!
「ちゃーんと金、持ってきただろうな」
「……これだけしかない」
カズがポケットの中から1000円を出したらしかった。
「少ね。これで俺らに何買えっていうの? ばかじゃね」
あはははは、と3人の笑い声がこだまする。
受け取った男がカズの胸を殴った。カズはよろめき、ブロック塀にもたれかかった。まずい、録音じゃよく分かんねえ。慌ててカメラに切り替え、動画ボタンを押したそのとき。
ヒュウン!
「……何だ?」
一番俺に近い位置にいた男が振り返る。
動画ボタンを押した瞬間携帯が鳴った。そういえば写真と動画はマナーモードにしても音が出るんだった……! と思い出し、咄嗟に電柱の影に隠れる。
足音がゆっくりとこちらに近づいてくる。
……俺は心を決め、姿を現した。
「さ、錆……?」
チッチッチ。喧嘩相手に名前を教えちゃあいけないぜ、カズさんよう。
強気なのは、携帯に証拠がしっかり残っているからだ。これで不良を撃退するのをアニメで見たことがある!
「お前らがカズに集ってたの、全部動画で撮ってあるからな。あんまり調子に乗らない方がいいぜ」
「なっ……」
「警察に差し出せば、お前ら、受験どころじゃなくなるからな」
にやり、と笑った瞬間、1人が凄い勢いでこちらに殴りかかってきた。
「え、ちょ、まって」
情けない声が出る。そうか、この方法は見た目がめちゃくちゃ強そうな奴が言わないと効果無いのか! 携帯取られたら終わりだもんな!
殴られた瞬間に携帯がアスファルトの地面に落ちる。それが殴りかかってきた男によって踏まれたのを見た。
「っ……!」
どうする、俺!
既に意識は携帯でなく、目の前の強そうな3人に向けられている。地面に落ちた携帯が、その一瞬の間に、不自然に姿をくらませたことに、俺は気づくはずもなかった。