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7月16日 期末考査3日目


 携帯のアラームで目を覚ますと既に空は明るくなっていて、一晩しっかり寝てしまったことを知った。21時に寝たのだから、朝の5時くらいには起きられると思ったのだが。

 アラームを止めて、ベッドの上で大きく伸びをする。冷房は27度の設定のまま、つけっぱなしになっていた。薄い毛布が腹から足下にかかっている。

 起き上がると、いつもより散らかっている机の上に真っ先に目が行った。……片付けないと。そう思って問題集とノートを手に取る。


(……あれ)


 それは、なぜか英語のものだった。確か寝る前は……数学をやってたんじゃなかったっけ? 記憶がどうもはっきりしない。どうやら昨晩の俺は相当寝ぼけていたらしいな。

 少し気になったが、こういう記憶違いは昔からよくあることだった。




 昨晩あれほど寝たはずなのにテスト中、また眠くなってしまった。うとうとしていると、後ろから見回ってきた先生に教科書で頭を叩かれる。それでも、しばらくするとまた眠くなってきて一時間目はテストどころじゃなかった。とりあえず、分かるところだけを埋めて目を閉じた。ちゃんと名前も書いて。


「今日も眠そうだなあ」

「う……」


 休み時間になって、登がまた絡みにやってくる。俺は机に肘をつき、目元を押さえた。


「ちゃんと寝ないとだめだぜ。一夜漬けは体に悪い。俺みたいに潔く諦めろ!!」

「あんま騒ぐな。頭いてえ」

「出た。わびさびのブルーデイ。せーりかよ」


 デリカシーの欠片もない発言にいらっとするが、これもいつものことなので放っておく。


「見ろよ! こいつ、10円禿げできてやがんの!」


 大声で、誰かが笑った。

 またか……と俺と登が視線をやると、この間シャーペンを取られていた磯田が、今度は5人に囲まれ羽交い締めにされて髪を引っ張られている。彼は「やめろよう」と力なく抵抗した。


「なんか、エスカレートしてね」


 登が呟く。

 しかし、その場にいた誰もが動けなかった。


「……もうすぐでチャイム鳴るぞ」


 先生が教室に入ってきたので、登も去って行く。

 気分は最悪だったが、こみ上げてくる吐き気を押さえるように、名前を書き殴った。




 数B。俺が最も苦手な科目である。特に今やっている「Σ(シグマ)」が、溜息が出るほど分からない。

 時間が足りないかもと心配していたのも最初だけで、実際は首を180度捻っても分からない問題ばかり。残った時間帰ったら何しようかなんてことをずっと考えていた。


 止められないいじめも、赤点ぎりぎりの答案用紙も、ケースに入ったままの楽器も、全てが自分の存在を否定してくるようだ。とっくの昔に諦めていたはずの自分がずるずると鬱陶しく裾を引き、足に絡みつく。


 努力の大半は無駄になる。頑張ってもどうにもならないことの方が多い。過剰な努力は馬鹿にされ、嗤われてしまう。結果、自分は不器用で、のろまで、いいところなんて一つもないことを思い知らされる。


 こんなに足掻いたのに、俺がいない世界線とどれほどの違いがあったんだろう。「頑張りが足りない」と言われればそれまでだが。そもそもこの言葉は残酷すぎないか。頑張れる量だって、才能だ。


 これから生きていく労力と自他の幸福の量を天秤にかけたら、生きていくのは面倒だった。




 今日は一人で校門をくぐり、強い日差しを受けながら、真っ直ぐ家に向かう。登は彼女とデートで、カズは塾だ。

 歩いている間も、なんだか車酔いをしたときのような感覚で足下が曲がって見えた。


 小中学生はとっくに夏休みになっているはずだが、公園は静かだった。外が暑すぎるのだろう。確かに、家で過ごすのが賢明である。俺もさっさと家に帰って一眠り……。

 ……あれ。

 公衆トイレの中から人の声が聞こえた。こんな暑い中で何やってんだ。

 怪訝に思って近づいてみると、強制集金の現場に居合わせる。


「……」


 ヤンキーに絡まれているショートカットの女の子と目が合う。初めて見る顔だが、制服から同じ学校の後輩であることが分かった。バッジから1年生だとが分かる。

 彼女に絡んでいる男は怠そうに煙草を咥え、金をせびっているようだった。


「……あん? やるのか」

「い、いやぁ……」


 人を2、3人殺してそうな視線を向けられ後ずさる。前言撤回。生きていくのは面倒だけど、死ぬのはちょっと怖いです。

 末代まで恥さらしとして語り継がれそうな反応をしていると、顔面――鼻っ面を殴られ、地面に伏した。そんな、突然殴らなくたって。

 少女の短い悲鳴が聞こえた。

 ぽた、ぽた、と血がアスファルトの地面に落ちる。


「はー……」


 暑さで頭がくらくらする。次の攻撃を避ける間もなく、右頬をグーで殴られた。ちょっと、本当にやばいんじゃないか。

 この世に生を授かり18年。こんな恐ろしい経験をしたことは、恥ずかしながらなかった。いや、一般的にあんまりないことを信じたいんだけど。


「に……にげて」


 少女に声をかける。格好つけているわけではなく、心から出たものだった。じゃないと、なぜ俺がこんな風に殴られているのか分からなくなってしまう。逃げて、助っ人とか警察を呼んでくれ。突然人に殴りかかるような頭がぶっ飛んでいるような奴だ。俺一人ではどうにもならん。


 顔を押さえ蹲っていると、横腹を蹴られる。


「っ……」


 せめて、この痛みが彼に伝わればいいのに。何の準備もしてない状態で殴られるの、くっそいた……痛すぎて訳わかんなくなってきた。あー……頭が働かない。出血は止まらないし、この暑さだし、死ぬ。死因は出血多量によるショック死。あるいは心臓麻痺。

 怖い?

 いや、ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ安心してしまったような。このろくでもない人生に幕を閉じられるのだ。他人の手でさっさと終わらせてもらえて、良かったのかも。

 ……なんて。

 本当に、馬鹿みたいだ。


 憎くて憎くて仕方がねえよ。なんで俺が殴られなきゃいけねえんだ。ふざけんな馬鹿野郎。


 途端、自分の体がふっと浮くような心地がした。直後、男が「ああああっ!!」と叫んだ。鼻を押さえて蹲る。次に頬、そして横腹を抱えて地面に転がり込んだ。同時に、自分の体から痛みが消えた。


「……え」


 少女と二度目の視線交換。急いで彼女の手を取って公園の外に出たところで、視界が真っ暗になった。


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