6meas.おもちゃ箱
7月21日 担当 アイボリー
今日は、朝からパンジーとアーマスの楽器の音が微かに聞こえていた。防音室を一つ作っているのだが、それでもリビングに少しだけ音が届くようにしてある。
おもちゃ箱のような音楽を聴きながら、朝食のトーストを囓っていると、モニカが起きてきて「良い音が聞こえるね」と笑った。
「二人とも、やっと落ち着いてきたな」
「楽器の音を聞くと、帰ってきたって感じするね」
「あれえ? この間、ピアノ弾けって夜中にたたき起こしてきたの、誰だっけ?」
「アイさんは別ですよう」
俺は、自分の食器を流しに入れ、モニカの分のトーストとコーヒーを用意した。
モニカは、テーブルの上の目玉焼きが仲良く三つ乗っている皿から、それを一つ取り、トーストの上に乗せた。
俺は目玉焼きを最後まで残しておくタイプだが、モニカは取ったら一番に平らげてしまうタイプだ。
ズズズ、と目玉焼きのみがトーストの上から啜られていくのを見て、美味そうに食べるなあ、と感心する。
ようやく、いつも通りの朝がやってきたような気がする。
ノバと衝突してから五日が経つが、ぎりぎりまで魔力を吸い取られたパンジーとアーマスが完全復活するには少なすぎる時間だった。それでも、昨日の夕方頃から元気そうにしているのだから、二人ともよく鍛えている。
久々に聞く、アーマスとパンジーの弦の音。会話はほとんど聞こえてこない。
「歩くメトロノーム」と呼ばれ、隙のない美しい音を奏でる生真面目なチェロと、相手に合わせつつ優しい音を奏でるヴィオラは今日も息がぴったりだ。年下組も、性別こそ違えど、仲がいい。
「聞き慣れない曲だけど、新曲?」
トーストを啜りながら、モニカが尋ねてくる。
「今のでよく分かったな!?」
「何年ファンやってると思ってるんですか」
モニカが幸せそうに、にこぉっと笑い「やっぱり好きだなあ」と言った。
「俺達も合流しましょうよ」
時計をみると、まだ朝の7時。錆が家を出るまでに、まだ一時間もある。
俺は流しの洗い物を片付け、モニカのマグカップにコーヒーのおかわりを入れてから、エプロンを外した(モニカはカフェイン中毒で、朝に二杯コーヒーを飲まなければ気が済まないのだ)。
防音室に入ると、チェロを抱えたアーマスが振り返り、ヴィオラをギターのように持ったパンジーが顔を上げた。少し喋っていたらしかった。
「俺達も入れてー」
「そろそろ朝ご飯食べようかって話してたんだけどぉ?」
アーマスが憎まれ口を叩くが、満更でもなさそうだ。
パンジーは時計を見て、すぐににこりと笑った。
「ちょっとだけ付き合ってよ」
「へいへい」
頷き、モニカがクラリネットをケースから出して、俺の方を見る。
俺はピアノの蓋を開け、Aの音を出した。
重ねるようにモニカがAを吹き、それから、にこにこしたパンジーとアーマスが順に調弦し直した。
「えへへ……ピアノの上にあった楽譜、勝手に借りちゃいました」
「まだまだ手直ししないといけないところはあるけど、どうだった?」
ドキドキしながら尋ねると、アーマスがわざとらしく「速さ緩める部分多すぎー」と頬を膨らませる。
「お前はまた、アイさんにそんな口を……」
「きゃー、信者コワイ」
にこにこしながらモニカがアーマスに近づき、二人の攻防合戦が始まった。
久しぶりにじゃれているだけだ。
俺は若干引き気味な視線で見てるけど、パンジーはにこにこと彼らを眺めている。
そして、彼女は俺の方に視線を移した。
「なんだか夜の海みたいな曲でしたね」
「よく分かったなあ」
「ふふっ……アイさんらしくて、好きです。さてと……」
パンジーが、ぽろんと弦を掻き鳴らしたところで、顔を抓りあっていたモニカとアーマスが離れた。
「……さ、やりますか」
にこ、とパンジーが笑うと、つられて2人も顔をくしゃりとする。
次の瞬間、意識より先に、吸い寄せられるかのように指が鍵盤の上を滑った。
☆
午前8時15分になり、錆が家を出ると、今日の担当の俺とパンジーも一緒に外に出た。
パンジーは紺色のパーカーにジーンズというあまり目立たない格好で今日も身を固めている。そんなことをせずとも、復活したばかりの魔力がまだ安定していないのか、しょっちゅう消えているが……。
そして、手には目玉焼きの乗ったトースト。結局ギリギリまで楽器に触っていたため、食べる時間を逃したのだ。食パン咥えながら登校する人なんて都市伝説だと思っていたが、ここに間違いなく存在している。
ちなみに、パンジーは最初に目玉の部分を啜って、あとはトーストと一緒に大事そうに食べるタイプだ。
いつも通り、錆のいる教室が見えるアパートの屋上に上がり、レジャーシートを広げる。
午前中担当のパンジーは、トーストを最後の1口までしっかり食べ終えると、日誌を開き、日付と担当をボールペンで記入した。
「なあパンジー、確認なんだけど。モニカのこと、本当に良かったのか」
「え、どうしてですか」
「その……錆に命を賭けるのは理解できるんだけど」
パンジーとアーマスが錆の家で狼と対峙していた時、俺はモニカから「パンジーを巻き込むのは……」という話を長々とされていた。正直、俺も不安はある。
モニカは、ラセットに王位を譲ってしまったという部分でひどく負い目を感じている。
モニカの言い分は「ラセットに押し付けず、自分が王座に座っていれば、何かが変わっていたかもしれない。少なくともラセットが死ぬことはなかった」というものだ。この件に関しては、俺にも責任があった。
その罪悪感を、ラセットと恋仲だったパンジーに対しても、持たずにはいられない。
「モニカさんも大切な仲間でしょ」
しばらく黙ったあと、パンジーは苦虫を噛み潰したような表情で振り返った。
「ねえ、アイさん。私も、考えなかったことがなかったと言えば嘘になるんですよ」
「……」
「あの時、モニカさんが、ラセットと同じように殺されていたらって」
同じですよ、とパンジーは呟いた。
「ラセットだからいいとか、モニカさんだったら良かったとか、そういう問題じゃないんです。誰か一人でも欠けたら、みんな、同じように苦しむんです」
言っている途中に、パンジーは口をぎゅっと結んだ。
普段おっとりとしていて、真面目なことをあまり話さないパンジーが、一生懸命言葉を紡いでいく。
「アーマスは……一人だけ罪を持っていないことを気にしています。罪を持っていないことは、関わっていないことと同じだって。モニカさんとアイさんは、自分たちのせいでラセットが死んだと思ってるし。……馬鹿じゃないですか。誰が、ヒュロスの謀反を予想できましたか……?」
パンジーの声はひどく厳しかった。
「もし全て責められるのなら、私が一番に責められるべきです。全ての発端は私だった。最後に諦めたのも私」
「パンジー、お前は……」
「そう。悪くないと思うでしょ? 同じですよ。私は、この中の誰も悪いなんて思ってない。モニカさんだったら良かったなんて、これっぽっちも思ってないんです。だからこの話はおしまい」
ぴしゃりと切って、パンジーは優しい笑みを浮かべた。
「大丈夫です。モニカさんも私も、ちゃんと戻ってきますから。もう誰も、失いたくないんです」
パンジーは時々、おっとりとした紫色の瞳に光を宿し、こんな風に強い目になる。悲しい目でもあった。
……悪いことを言ったと思った。
「それより、またあの兄妹来ますかね」
パンジーが双眼鏡の頭をくるくる回しながら呟く。
「ああ……、やけにモニカのこと嫌ってたな」
「アイさんがあんなに怒ってるの、久しぶりに見ました」
と言いつつ、パンジーとアーマスも帰ってから、モニカがいないところで激怒していたのだが。
「そりゃあ怒るだろ。ていうか、いつから見てたの?」
「ノバがモニカさんの悪口言ったあたりからです。私たちが動き出す前にアイさんが出てきて。モニカさんったら『怒ってるアイさんが見たいからちょっと待ってね』って!」
くすくす笑うパンジーは本当に楽しそうだ。
「ほんと、あいつは……」
呆れたやつ。
非難の意を込めて、今度クラリネットの超難曲を作ってやろう。……といっても、あいつのことだから器用に吹けてしまうのだろうが。
そして、パンジーが心底可笑しそうにするもんだから、俺も言い返してやった。
「パンジーこそ、アーマスが呆れてたぞ。『パンジーは錆のことになると頭に血が上って後先考えなくなる』って」
ノバと対峙したときの報告をパンジーから聞いて、それはそれは顔を青くしたらしい。突然襲撃した相手が自分たちと同じ王国の者だったなんて……もし流血沙汰にでもなれば咎められていたかもしれないと、後から愚痴を零していた。
「あの後、説教&正座三時間コースでした」
「怖ぇな。俺も気をつけよ」
正直、王国の体制がぼろぼろに崩れている今、誰と剣を交えても大して咎められないと思う。咎める権利を持った人間がいない。アーマスがルールを命以上に大切にする男だから今のところ気をつけてはいるが、いつか、本気で戦う心の準備はしておかなければならなかった。