表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/33

A meas.小さな幸運の秘密

「……一度くらい痛い目を見ていいんじゃない」


 パンジーは努めて辛辣なことを言うが、どうも冷酷さに欠ける。あと一押ししたら、きっと錆のサポートモードに切り替わるだろう。


「あの馬鹿王、次、生物で赤点取ったら留年だぜ」

「生物は……西川先生だっけ。じゃあ慈悲はないね。ええっと……あと何分で終わる?」


 アーマスは教室の時計に双眼鏡を移し、10分ちょい、と答えた。アーマスの予想通り、パンジーは溜息をつき、携帯を取り出した。


「非通知でかけてみるよ。どうせ一限は電源切り忘れてるでしょ」

「大胆だな」

「しょうもない理由で留年されたら困るからなあ……。もう一年やきもきしながら高校生活を見守るなんて死んでも嫌。アーマスは先生が近づいてきたタイミングで教えて」

「りょーかい」


 パンジーが携帯を耳に当てる。どうやら繋がったらしい。顔を伏せていた錆がむくりと起き上がり、背筋を伸ばした。教壇に座っていた先生が、重い腰を上げて錆に近づいてくる。そのタイミングで制止の意味を込めて手を挙げると、パンジーは受話器を置いた。


「現社の上木が名前書かれてないことに気づいたらしい。ご丁寧に、みんなに注意してるよ」

「錆は命拾いをしたね。上木先生たら、普段無愛想で無口なくせに、こういうとき優しいの。好き」

「俺は西川くらい厳しくやってほしいけどな」


 そう言いながら、アーマス自身も大概錆に甘いことを自覚していた。錆が再び問題用紙を開き、僅かに残った時間を使って見直しを始めるのを見届けると、一仕事終えたとレジャーシートに腰を下ろした。


 お疲れ様、と言わんばかりに、パンジーがリュックの中からタッパーを取りだし、自前のクッキーを勧めてくれる。昔は少し歪な形をしていたものだが、今ではプロ並み……いや、プロ以上の出来前だ。そしてこの少女、自覚なしの世話焼きで、今も、俺がクッキーをサクサク食べていると、とても自然な流れで紅茶をそっと置いてくれた。もちろんこれも、喫茶店顔負けの美味さである。


 相変わらず日差しは強いが、魔族である自分達にはまだまだどうってことない暑さだ。……今だから涼しい顔で優雅にお茶なんてしているが、いつ強い雨風が錆に吹きつけてもいいように、ほぼ一日中、彼の周りを監視……彼の平凡平和な高校生活を見守っていた。


 午後の番のパンジーは、向こうから仕事を持ち込み、黙って鉛筆を走らせていた。

 錆にこちらでの生活があるように、彼女にも魔族の国での生活があり、錆の面倒ばかり見ているわけにもいかない。一日中男子高校生なんかを監視して暇じゃないわけないだろう、と言われてしまいそうだが、一時の油断が、今は命取りなのだ。


 少しでも目を離せば、錆の平凡平和な日常は崩れるだろう。

 そればかりじゃない。下手をしたら、一瞬で体を八つ裂きにされてしまうかもしれない。

 そんな危険が彼に迫っていたのだ。


 訳あって、俺とパンジー、そして、今ここにはいないが、アイボリー・イールという男が錆の護衛を目的にして集まっていた。組織としての目標は、錆が人間として抱えきれるくらいの悲しみや喜びを経験しつつ、80歳くらいまで平凡平和に長生きすること。


「……アーマス、錆が友人2人とコンビニに入ったにもかかわらず、1人だけ何も買わずに出てきたよ」


 午後4時。長い間黙って午後の番をしていたパンジーがぽつりと零し、レジャーシートの上でうたた寝していた俺を起こした。


「うお……お前、そっちにいたのか」


 パンジーはいつの間にか、学校のある北方面から錆の通学路である西方面に移動していた。無意識なのだろうが、彼女は物事に集中していると、うっかり気配を消してしまう。


「結構前からいたけどなあ……。それより、錆が」

「ああ、あいつ今金欠だろ。折角アイさんが晴美さんに預けてる錆への小遣いを、そのアイさんのCDに使っちゃうんだから、可笑しいよなあ」

「やっぱり、心のどこかでアイさんの音を覚えてるんだろうねえ」


 パンジーが切なくも優しい表情で目を細める。

 しんみりした空気が嫌で、俺は寝返りを打ち、彼女に背を向けた。


「毎度毎度同じようなCDばっかり買いやがって。ラセットだって俺たちに未練タラタラじゃねえか」

「……アイさんの曲はどれも素敵だから」


 諭すようにパンジーが言う。

 確かにアイボリーの曲は良いと思うが、どうも優しすぎて生ぬるく、テンポの緩急も俺の肌には合わない。


「他にも良い曲いっぱい在るだろうに。錆の趣味を疑うぜ」

「悪かったな」

「うひやぁあ!!」


 噂をすればなんとやら。俺の背後から聞こえてきたのは、まさに今しがた悪口を言っていたアイボリー・イールご本人……ではなく、彼を誰よりも崇拝し、過激派信者と恐れられているモーニング・グローリー……モニカの声だった。

 別件で多忙を極める彼はほとんどこちらに顔を出さないが、こんな風に、突然やってきては俺たちを驚かせる。先ほど紹介し忘れていたが、彼も俺たちと同じく魔族であり、旧知の仲であり、欠かすことのできない存在だった。


 俺は飛び起き、レジャーシートの隅に逃げた。アイボリーの前でアイボリーの悪口ならたくさん言えるが、モニカの前でアイボリーの悪口を言った暁には……一体どうなることやら。


 モニカは天使のような顔にどす黒い笑みを浮かべている。矛盾だらけの状況描写だが、ここにいれば確実にられることだけは確かだ。


「ぱ、パンジー……、王様、何を欲しがってた?」


 震える声で尋ねると、待ってましたと言わんばかりにパンジーがにこやかに答えた。

 

「サクラレモンを本当は食べたかったみたい」

「あいつ本当に好きだな!? 買ってきます」


 早口で合点承知の意を示し、音の速さで階段を滑る。


「コンビニは売り切れみたい! 町のスーパーに同じのがあったよ!!」


 後ろからパンジーの声が追ってくる。錆が帰る前に超特急で買ってきて、早苗ちゃんに預けよう。

 何だかんだ言いつつ、俺たちは錆にとことん甘かった。 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ