『ちび』は不機嫌
*『ちび』は不機嫌*
私の家に猫がいなくなって、しばらくはキーボードに向かう日々が続いている。
仕事から帰ると食事の支度とか、家事で時間をとられて、気がつくと真夜中。正直いうと身体が辛い。眠い。
でも眠れないのだ。だから、書いている。
カチャカチャカチャ。
はっきり言って、まともなモノが書けない。書いた文章が気に入らない。
ノートパソコンの画面いっぱいにメモ帳が散らばっている。
「うーん、やっぱ設定が大事かー」
異世界って難しい。まあ、転生だの、転移だのするのだから、主人公は今の自分の常識を持っていっても大丈夫。そこは楽。
でも、その世界がどんな世界なのかは自由だけど、自由じゃない。ちゃんとしっかりと想定しないと、矛盾が生まれてしまう。
まあ、その矛盾も「そういう世界だから」で済まそうと思えば出来なくもないけど。
「違うなあー」
一話を上げただけで、続きが書けない。早くもスランプ(笑)である。
気晴らししようにも猫がいない。いない。
そんなことを思っていたら、思わぬところから電話が来た。ちょっと前にバイトしていた町内の小さな小売り店の後輩の女性からだった。
「あの、ちょっとお宅に伺ってもいいっすかー」
「いいけど、どうしたの?」
彼女は結婚していて、町内でも山の手といわれる高級住宅地に住んでいる。旦那様はちょっと年上で、サラリーマンで高給取りという話だった。
土曜日の午後、彼女は小さな男の子を連れてやってきた。保育所の年長さんだったかな。
そして、段ボールに入った子猫もいっしょだった。
「実は、家の車庫に捨てられてたんす。うちの子は飼いたいっていうけど、旦那が怒っちゃって」
そうだろうな。一度お邪魔したことがあるけど、住宅地の中でも隅の方にある家は、新築で、そこそこ大きくて綺麗だった。旦那様が綺麗好きなんだと言っていた。
そんな家に捨て猫かー。
子猫は雌で、「しゃあ」と同じキジトラだった。大人しく撫でられている。
どうやら何軒か知り合いを当たっては断られ、を繰り返したようだ。知ってる人の名前も出てきたが、まあ仕方ないだろうなと思う。
生き物を飼うのはそんなに容易くはない。知ってる。
男の子は黙って子猫を撫でている。ずっとずっと。
「先輩んとこの猫がし、あの、居なくなったって聞いたんでー」
私の知り合いの家に頼みに行って聞いたらしい。
「うん」
まあ、私の猫じゃなくて母の猫だけどね。
私は猫じゃなく、その男の子を見ていた。涙を浮かべたその顔を。
「いいの?」
男の子は子猫を撫でながら、うなづいた。
「お父さんがー」
「うん」
「だめだってー」
「うん」
後輩である母親がその子の頭を撫でた。
「お願いしますー」
二人に頭を下げられて、断れなかった。でも。
「じゃあ、預かるよ。どっかで欲しい人がいたり、その、飼えるようになったら言って」
母が飼っていた猫は二匹。一匹は亡くなったが、一匹は里子に出している。飼うとは言えなかった。
猫のゲージや皿はまだ残っていた。餌は後輩が持って来た。
小さな雌猫はあまり鳴くこともなく、大人しく段ボールからゲージに移った。
「しゃあ」や「あむろ」より模様がはっきりしていて、手足の先が黒かった。しっぽは、カギしっぽじゃないな。
金色の目はまんまるなのに、私を見るときは不機嫌そうに目を細めた。
「あれ。あむろ?、じゃないよね」
弟が二階から下りて来て、ゲージの中を覗き込んだ。
「預かった」
「ぶ」
弟はさっそくスマホで写真を撮り始めた。
「かーちゃんに送っとくよー」
「あー、うん」
どうやら弟は自分のお小遣いを心配していたようだ。この自宅警備員の仕事は私の手伝いと、猫の世話なのだ。その仕事が減って収入の心配をしていたらしい。
ちょっと心配したが、母からはうれしそうに「会うのが楽しみ」と返事が来たらしい。
「よかったね」
弟の言葉に「どっちが?」と答えると、そそくさと二階へ上がって行った。
あ、そういえば、名前どうしよう。
名目上では預かってるだけだし、下手に凝った名前とか思い入れが強くなっちゃだめだよね。
うーんうーん。かわいいチビ猫を撫でる。
「ちびー」
あ、これでいいか。相変わらず子猫は不機嫌そうに目を細めている。
その後、名前を『ちび』にしたと言ったら、弟に名付けのセンスがないと言われたが、無視した。