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『あむろ』の爪あと


*『あむろ』の爪あと*



 うちには二匹の猫がいた。


雄と雌の兄妹猫できれいなキジトラだったが、先日一匹が亡くなって、今は一匹になった。


家の前の道路で、現場を見たわけじゃないけど、たぶん車にはねられたんだと思う。


 飼っている猫が死ぬのは初めてじゃないけど、やっぱり辛い。


一匹残った雌の『あむろ』を、私は外に出さなくなった。亡くなった雄の『しゃあ』のようになるのが怖かったからだ。


「こらーっ、あむろ!」


そうしたら、あむろはいたずらが激しくなった。今まで自由に外を走り回っていた半分ノラの猫なのだ。


ストレスが溜まったのだろう。


田舎によくある六畳の仏間と、続きの八畳の和室の障子やふすまが被害を受けた。ズタボロの部屋を見た弟が、あむろを捕まえて怒った。






 私が住んでいる所はまあ、田舎といっても県庁所在市が隣接している、いわゆる郊外というやつだ。


町の外周に大きな道が出来て、さらに車での移動が便利になった。そして、その道の向こう側に、大きな新興住宅地が出来て、私が小学生の頃に、大量の転校生が来た。


一年で百軒ほど増えたというのだから、小学校も中学校もパンクして、急きょ一校づつ増えた。


 その当時、私の家に何が起こったかというと、サラリーマンで兼業農家だった父が、父の父(つまり私にすれば祖父、すでに他界)から受け継いだ土地を手放した。


学校用地のためだ。小学校の落成式に来賓で呼ばれたのだから、その規模がわかるだろう。


お陰で今、働き盛りで難病が見つかった父は、心おきなく会社を辞め、治療に専念している。


難病といっても命にかかわる病ではない。視力がだんだんと奪われていく。現代の医学では治せないそうだ

それでも進行を遅らせたり、なんらかの方法があるのではと、伝手を頼って紹介状を手に入れた。


そして、その病院に通うため、母を連れて関東の大きな病院の近くでアパートを借りている。


「新婚みたいだね」


父はのん気そうだった。たぶん心の中は違っただろうけど、そんなそぶりは見せなかった。

 





 その母が土日を利用して帰ってきた。ひとりには出来ない父だが、父の妹である叔母が遊びがてら泊まりに来てくれたらしい。


久しぶりに家に帰ってきた母は、和室の惨状に驚きながら、「すごいなあ」と笑ってあむろを撫でた。


「こいつ、やばいよ。見てよ」


ニートの弟は、母に傷だらけの腕を見せる。母はまた笑いころげる。


弟は、私の手伝いと猫の世話をする約束で、母から小遣いをもらっている。いくら実家住まいで衣食住は無料でも、スマホの料金は払わなければならない。


「なにしたの」


「あむろの爪を切ってやろうとしただけだ」


あむろの抵抗はかなり激しかったようだ。弟の腕の傷はかなりすごい。血がいっぱい出たらしい。弟はさらに激怒し、あむろは逃げ回った。


「こっちも血が出てるね」


母は簡単に捕まえたあむろの手を見た。爪がかなり乱暴に切られていて、爪の付け根あたりに血がにじんでいた。


 猫の爪は透明な部分とピンクの部分がある。透明なところは切っても大丈夫だが、ピンクのところを切るとこうなる。


半分ノラのあむろには、木登りするためや、他の猫とケンカするために必要な爪なのだ。小さな猫の傷は、弟の傷より痛そうだ。


「お医者さん、行こうね」


嫌がるあむろを連れて、母は獣医へ行った。






 夕方になって、帰ってきた母は手ぶらで、ひとりだった。


「あむろは?」


私が聞くと、母は


「里子に出した」


と、こともなく言った。


 母は傷だらけの弟と仏間を、そしてあむろを見て、胸を痛めた。自分が面倒を見てやれないことに。


獣医の帰りに、母は小学校の頃からの友人の家に行った。その人は現役の看護師の女性で、父の具合の報告に寄ったそうだ。


「あむろに手を焼いてるってゆったら、おいてけって言ってくれてね」


その人があむろを引き取ってくれたそうだ。


「あんた達にも面倒かけたくないしね」


キジトラの二匹の子猫を育てたのは母だ。その母が決めたことだ。私は何も言えない。


正直ほんの少しだが、ほっとした。


でも、そんな自分が嫌だった。






 猫がいなくなった家は、急に静かになった。


毎日ばたばた走り回っていたあむろがいない。


 いつものノートパソコンを起動する。居間でひとりでいると、キーボードの音だけが響く。


カチャカチャカチャ。


コタツの中には、もう猫はいないのだ。


 (死んだらどこへ行くのだろう)


その答えはそのページの中にあった。


転生、生まれ変わり、そのサイトの小説には、いっぱいそんな答えが散らばっている。


私はそんな分類の話が大好きだ。


(死んでも、そうやってまた生きていけるのなら、そんなに悲しくないよね)


きっとまた生まれて、違う人生を送れるのなら、それは楽しいんじゃないかな。うん、少なくとも残された者は、少しだけでも気が軽くなるというものだ。


 私が投稿した「異世界転生もの」は、海辺に打ち上げられた主人公の様子から始まる。


その時、私の頭の中には、大きな災害のニュースで見た、海辺のショッキングな画像があった。


あそこで亡くなった人達が、どこかで、転生しているかもしれない。


不謹慎かも知れないが、そう思うことで慰められる気持ちもあるのだと思う。私自身がそうだから。


 どうせなら、私自身がなりたかったものにしてみたい。


もふもふの獣人がいっぱいいて、やさしいおじいさんとかいて、私の得意な暗算とかが使えて。


そして私は、物語の中で、生まれ変わったらなりたかった、男になる。






「しゃあばっかりかわいがったから、あむろはあんなんになったんかな」


母は日曜の夜、荷物をまとめながら呟いた。


「そんなことないよ。あれは元からの性格」


私がそう言うと、母はちょっと笑った。


おとなしい『しゃあ』と違って、『あむろ』はいつまでもやんちゃな子猫のままの性格をしていた。避妊手術をしたら、さらに奔放ほんぽうになった。


餌をもらうためにはすり寄って来るが、他の時は全然近寄って来なかった。


あむろを簡単に捕まえられるのは、母だけだった。


 母は地元のシルバー人材センターの電話番号をメモして、戻って行った。


弟の話では、翌日、職員の人が襖や障子を見て見積もりを出し、数日後、おじいちゃんたちが2、3人来て外して持って行ったそうだ。


しばらくの間、がらんとしていた和室は、その日私が仕事から帰ると、張り替えられた建具で、きれいになっていた。


 あむろの爪あとは消えていた。


それでも、弟の腕の傷あとは、しばらくは赤いままだった。




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