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たった1行だけのメニュー

作者: 日下部良介

 こんな日は会社には行きたくないなあ…。


 南の海上で発生した台風が秋雨前線を刺激して雨の日が続いている。

『今日のお昼頃には関東地方に上陸する見込み…』

 テレビのニュースで気象予報士が告げている。そんな画面をトーストをかじりながら、ぼんやりと眺める。


 玄関のドアを開けると、にわかに風が強くなってきた。これでは傘など役に立ちそうにない。僕は傘を置いて下駄箱の上の収納から雨合羽を取り出した。上下雨合羽を着込んで外へ出た。

 外に出ると、強風で裏返った傘を必死で捕まえているサラリーマンが居る。もはや全身びしょ濡れだ。あちこちに壊れたビニール傘が投げ捨てられている。

 僕は駅に着いて雨合羽を脱ぐと丸めた雨合羽を鞄に詰め込んだ。ホームに出ると屋根の内側まで雨のしぶきが吹きよせられていた。僕は電車が来るまで雨が届かない壁際で待つ。

 電車が到着してドアが開いた。僕は速足でぎゅうぎゅう詰めの車内に潜り込む。


 最寄駅に着くと雨も風も強さを増していた。僕はスマホを手に取り会社の番号を呼び出した。少し躊躇したけれど、思い切って画面にタッチした。聞き慣れた穏やかな声が耳に響く。

『おはようございます』

 電話に出たのは総務の女の子だった。

「椎名です。持病の痛風が出てしまって…」

『そうですか。部長はまだみえていないので伝えておきます。お大事に』

「ありがとう」

 僕は通話を終えてスマホをしまった。さて、どうしようか…。このまま満員電車に乗って引き返すのも面白くない。確か、駅とつながったビルにカフェがあった。早朝から営業していたと思う。まずはそこで通勤ラッシュをやり過ごそう。


 出勤前にモーニングを利用するサラリーマンが半数の席を占めている。僕はいちばん奥の目立たない席に着いてコーヒーを注文した。台風の様子を確認しようとスマホを手に取った。やはり、昼頃に上陸するのは変わらないようだ。

 一時間ほど時間をつぶし、駅へ向かった。雨も風もますます強くなっている。既に運転を見合わせている区間があるようだ。僕は到着した電車に乗り込んだ。強い風の影響で電車は徐行運転を余儀なくされているようだ。駅に停車している時間が次第に長くなった。そして、あと一駅というところで、以降の運転を見合わせると言うアナウンスが流れた。路線バスが代替輸送を行うと言う事も告げられている。

「あと一駅か…」

 あいにく、僕の家の方へはこの駅からのバスはない。スマホを出して時間を見る。そして、考える。確か、この駅には映画館がある。このまま歩いても帰れないこともない。台風の中を歩くのも面白いかもしれない。けれど、そんな冒険をするほどガキじゃない。


 映画館は空いていた。

 ちょうどいい時間に始まる映画のチケットを僕は買った。さほど見たいとも思っていなかったアニメの映画だった。けれど、その映画に僕は引き込まれていった。見終えてからシアターを出ると、既に正午を過ぎていた。僕は売店でハンバーガーとコーラを買うと、ロビーでそれを食べ、もう一度窓口へ向かった。

「一般1枚」

「面白いですよね。この映画」

 窓口の女性がそう言ってにっこり笑った。立て続けに二度、同じ映画のチケットを買った。窓口の彼女はそんな僕のことを覚えていたようだ。少し気恥ずかしくなったけれど、僕も彼女に微笑んだ。

 二度目の上映が終わった頃には台風も通り過ぎていた。映画館を出る時、僕は窓口を覗いて見た。けれど、彼女の姿は見当たらなかった。


 台風一過。

 外に出ると、透き通った空気が全身に絡みついてきた。そして、爽やかな日差しと共に心地よい風が僕を覆い尽くした。交通機関も通常運転を再開していた。けれど、僕は歩いた。歩道を覆う木々の葉から時折吹く風にそそのかされた雨粒が僕の頭や顔に落ちてくる。そんな雨粒を受け止めながら木漏れ日が映し出した落ち葉のじゅうたんの上を僕は歩いている。

 しばらく歩くと小腹が減った。映画の合間にハンバーガーをひとつかじっただけだ。辺りを見回すと、一軒の店がオープンテラスを広げているところが目に入った。

「ここで食事できますか?」

「はい。どうぞ。今メニューをお持ちしますね」

 可愛らしい女性店員はそう言って一旦、店内へ下がって行った。そして再びメニューを持ってやって来た。

「おススメはなんですか?」

「私の笑顔です」

 そう言うのがこの店のマニュアルなのかは知らないけれど、そう言って彼女はさりげない笑顔を見せてくれた。

「なるほど。じゃあ、その笑顔に合う料理はなんですか?」

「はい。こちらになっております」

 彼女はそう言ってメニューを広げて見せた。そこにかかれているメニューは一つだけだった。


“食べたらきっと心に残る不思議な出逢い”


 料理は普通に美味しかった。料金もリーズナブルだった。ランチが終わるとディナーまではティータイムなのだと言った。ディナーではどんなメニューが出るのか気になった僕は一旦、家に帰ってからもう一度ここに来ようと思った。


 家の近くのレンタルショップでDVDを借りた。先ほど見た映画と同一監督のアニメ映画を借りた。DVDを立て続けに2本見終えると窓の外がオレンジ色に変わっていた。

 ベランダに干していた雨合羽を取り込んでタバコに火をつけた。ビルの谷間に沈んでいく太陽を見ていたら自然と涙が溢れてきた。映画のせいなのか、DVDのせいなのか、夕暮れの切なさなのかは分からないけれど、ガラになくセンチな気分になった。

「心に残るランチの後はどんなディナーなのかな…」

 根元まで燃え尽きたタバコを携帯灰皿にねじ込むと、僕はシャワーを浴びて出かける支度をした。


 日が暮れると急に風が冷たくなった。オープンテラスは仕舞われていて、夜は店内だけの営業のようだった。時間差で訪れたランチの時とは違って、店内は若い女性やカップルで賑わっていた。僕が顔を出すと、昼間居た女性店員が席に案内してくれた。

「お帰りなさい」

「ああ、ただいま。ディナーのおススメは君の笑顔と何?」

「はい。こちらになっております」

 そう言って彼女はとびっきりの笑顔でメニューを開いた。


“食べたらきっと幸せになれる素敵な再会”


 メニューにはその1行だけが書かれていた。

 僕はにっこり笑って頷いた。しばらくすると、女性店員が一人の女性を伴ってやって来た。

「お客様、相席をお願いしてもよろしいですか?」

 見ると、彼女が案内してきたのは映画館の受付に居た女性だった。

「僕はかまわないけど…」

 彼女が女性客の方を見ると、女性客の方も頷いた。

「どうぞごゆっくり」

 そう言って彼女はにっこり笑った。


「またお会いできましたね」

 彼女が微笑む。

「え、ええ…。でも、よく覚えていましたね?」

「はい、今日はお客さんも少なかったですし、続けて二度ご覧になられましたからね」

「なんだかとても心に残る映画でしたから…。ん?」

「どうしましたか?」

「なんだか、ここのメニューみたいだなと思って」

「ああ!なるほど。と言うことは、ここでまたお会いできたのは…」

「きっと幸せになれる素敵な再会!」

 二人は声をそろえて言った。言ってから笑った。

「あの…」

 また、二人同時に声を発した。

「あ、そちらからどうぞ」

 僕が言うと、彼女は…。

「じゃあ、同時に言いましょう」

 そう言った。僕たちは同時に言った。

「君の(あなたの)名は?」

 同じだった。


 それからまたいくつかの台風がやって来ては去って行った。そして、あの時名乗り合った僕たちの名前も今では同じ苗字となった。

 久しぶりにあの店へ食事に行った。メニューには相変わらず1行しか書かれていない。


“食べると永遠に離れられない究極の愛”


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― 新着の感想 ―
[良い点] 気障で恥ずかしくなってそこが格好良かったです。
[良い点] 淡々とした日常の中に起こる素敵な出会い。そのように感じました。 特に、ベランダでのエピソードと、ストーリー全体からのラストの溶け込み具合、とても良かったです!
[良い点] 台風を題材に使っている筈なのに、なんだかほのぼのと進んで行く物語。 一行だけのメニューが不思議で、まるで異世界に迷い込んだように思いました。 [一言] 「ぶちょー。日○部課長が仮病つかっ…
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