12話 意思なき者
ゴリラの一件が終わって数日後、約束を守った父が連れて来てくれた相手は微妙な相手だった。
最初は小手調べで、そんなに強くない相手になるだろうとは思っていたが連れてきた相手に驚愕してしまった。
ゴリラからのこれは想像もしてなかった。
今俺の前には大きな蝉がいる。
大きさは2メートル程度あり、なかなかの迫力があるが蝉である。
都会でもよく目にした、艶がない褐色の体のアブラゼミ。
その意思を感じない目には、巣の出入り口から覗く太陽光を綺麗に反射している。
鳴き声はたまに耳にしていたのでいるとは思っていたがまさか対戦相手になるとは。
果たして蝉とは戦えるものなのだろうか。
父の方に目をやると、俺の視線に気が付いたのか父が頷いた。
何に頷いたのか分からなかったが一応頷き返す。
蝉に視線を戻し睨んでみるがやはり動きがない。
だがこの蝉が俺の知っている蝉ではなく、このエデンで独特な進化を遂げた戦う蝉なのかも知れない。
父が連れてきた相手だ、油断はしない。
とはいえどんな攻撃方法かさっぱりわからない。
毒。 それとも音波か。
見た目には分からないが固い装甲というのもありそうだ。
そのまましばらく睨み合う。
隙だらけのように見えてまったく隙がないようにも思える。
隙しかないようにも見える蝉に俺は違う意味で攻められなくなっていた。
ジリジリと間合いを詰めていきもう少しで触れられる、そんな距離まで近付くと、急にジジジッという大きな鳴き声をあげ、なんと大量の小便を撒き散らし巣から飛び立っていってしまった。
出口の真下に陣取って顛末を見守っていた父だったがそれをまともに浴びた。
そして声にならない声を上げ、父は眼を真っ赤に充血させ、今までに見たこともない速さで蝉を追って巣から出て行った。
相手に小便を掛けられ逃げられたのだ。
……結果だけを見れば飛べない俺は完全敗北である。
先ほどの蝉の目を思い出す。
体のサイズが大きくなっても昆虫にはやはり目から意思が感じられなかった。
前世の地球で何度か妄想したことがある。
昆虫が人間くらいの大きさになった時、果たして人間は勝てるのかと。
その時人間などただの餌になるのではないかと。
前世で色々と考えた結果、結局地球では昆虫が人間ほどの大きさになるのはまず有り得ないという結論に落ち着いた。
昆虫が大きくなれない理由は自分の体の重さに耐えられないからだ。
昆虫の外骨格で構成された体は衝撃には強いが重みには弱いという話を聞いたことがある。
大きくなればなるほど自分の重みが増し、さらには運動量に見合うだけの酸素量も増加する訳で、結局人間ほど大きな昆虫がいたとしたなら、それは昆虫じゃなく脊髄をもつ別物だろうと考えた。
そして先ほどの意思を感じない目。
体が大きくなったからといって脳は必要以上に発達しないらしい。
だがこのエデンにも昆虫はいるのだ。 しかもその大きさは人間よりも大きい。
この世界の人間がどれほどの大きさかはまだ見た事が無いので分からないが、地球と大して変わらないとしたらただの蝉でも十分強敵に値するだろう。
酸素が濃いと全部大きく育ちますよという簡単な結論かもしれない。
うむ、よくわからん。
この世界は謎だらけだ。
一番の謎が竜という生き物なのだが……。
だが昆虫がいるということは必ず奴がいる。
数メートルサイズの黒いダイヤモンドが巣に侵入してきた時の事を考えると、今の内に対策を練っておくべきだと俺の人間の本能が警鐘を鳴らすのだ。
◆
夜になり、狩りから帰ってきた母が俺と蝉との戦いの話を聞いて大笑いしていた。
だが食卓に並んだひっくり返った蝉を見て真顔になった。
「私は嫌よ」
短くも心の底から冷え込むような声を出し父を睨む。
父は顔を伏せていたので表情は分からなかったが「足なら……」という震える声からなんとなく察しは付く。
「貴方が処理しなさい。 私と坊やは食事にするから」
そう言うと母は父を無視し食事を始めた。
尻尾を下げ、泣きながら蝉の脚を囓る父を見るに相当不味いのだろう。
竜の主食が昆虫ではない事に心の底から神に感謝だ。
すまん、お父様! 俺も昆虫は無理だ!
父は犠牲になったのだ……!
せめてと肉をこっそり渡そうとしたが母の視線が突き刺さったのでやめた。
その気になれば父は外食もできるので放っておいても大丈夫だが余りにも不憫な小さくなった背中を見ると居たたまれなくなる。
今日は早く寝たふりをしてあげよう。
なんだかんだで母は父に優しく、こういう日は俺が寝た後に父と母で仲良く食事をするのだ。
それが夫婦の仲直りの仕方であり、それが当たり前になっている。
両親は200年近くも共にいるのだ。
寝て起きたらいつもの朝が来る。
仲がいいのか悪いのか分からないがもはやそんな次元ではないのだろう。
夫婦の事は本人同士にしか分からない。
だが200年という長い年月を共にして今だに仲の良い両親が少しだけ誇らしい。
食後のトレーニングは今日はやめておく。
ゆっくりと夫婦の時間を楽しませる気遣いも子供の仕事なのだ。
自分の寝床に行き、犬のように丸まって寝たふりをする。
お腹一杯になって眠たくなる子供の演技はバッチリだ。
しばらく経ち、薄目を開けるとぼんやりと月明かりに照らされた両親が見えた。
仲直りの食事を終え、母が父に寄り添っているのが見える。
今はゆっくり会話しているのだろう。
両親の声が聞こえる。
話題は常に俺の事だった。 俺の成長や俺の言葉、俺の将来。
楽しそうに語り、時には俺の事で喧嘩しあう両親の姿に涙が零れた。
俺はこんなに他人に想われた事が無い。
家族の暖かさを目の前に思わず感情が眼から溢れた。
すると父が寝たふりをして泣いてる俺に気が付き、こちらへ来て頭を撫でてくれる。
その手は硬い爪があり、大きく、とても気持ちの良いものだとは言えないが優しく、武骨で大きな手。
父からこうして撫でてもらった経験がない俺は気恥ずかしさから寝たふりを続けた。
だがいつも寝た後にこうして撫でてもらっていたのだろう。
父の手慣れた撫で方でそれが分かる。
泣きつかれたのか、安心したのか、それとも両方か。
いつのまにか優しい眠りに付いていた。




