万華鏡から覗いてみたら
【第51回フリーワンライ】
お題:
万華鏡
フリーワンライ企画概要
http://privatter.net/p/271257
#深夜の真剣文字書き60分一本勝負
カレイドスコープというものがある。
仕組みは簡単で、筒の中に三枚の合わせ鏡と色鮮やかなビーズが入っているだけだ。
これを光に透かして覗き見れば、ビーズのランダムな配置が鏡に反射して、幻想的な模様を目の当たりに出来る。筒を少し回転させてやればビーズが動き、鏡の角度が変わり、あっという間にパターンが様変わりする。
同じ光景は恐らく二度とは見られまい。儚く美しい。
時々考える。
世の中はまったく変わらない。少しは変わっているのかも知れないが、それは遅々としていて目に見える変化ではない。紀元前から俯瞰すれば大きく様変わりしているのだろうが、ミクロ視点でしかない私の目からは世の中が変化しているようには思えない。
そこで考える。
変化しない世の中を、変化に富んだカレイドスコープの中から覗いてみることを。
もしも、カレイドスコープの中ならば――
△
朝。目が覚めたのだから朝だろう。
僕はにっこりと微笑み、「おはよう」と口にする。
僕たちがにっこりと微笑む。僕が「おはよう」と言ってくる。
目を移すと、一人の僕の目が釣り上がっている。怒っているのかい?
「そんな隅にいるからだよ」
僕が体の向きを変えると、一人の僕の位置も変わり、そしてにっこりと微笑んだ。
▼
合わせ鏡の世界は物理的な限界はあっても、その奥には膨大な世界が広がっている。
その広大な鏡の世界は、物理的に広くても変化の乏しい世の中よりも、よっぽど精神の成長に有益なのではないだろうか。
どこまでも続く鏡の中に一人一人別の自分がいる。限りなく広がる自我は万物を自分の一部と認識し、自己愛の延長線上に自他愛を見い出すことだろう。
思い込む、ということは何よりも重要だ。
子どもの発達が目覚ましいのは、未使用の脳へ先入観なしに素直に書き込んで行くこともそうだが、幼児期特有の万能感に由来する部分も多々あるはずだ。
自分はなんでも出来る。なんにでもなれる。
カレイドスコープの中ならば、天才性を人為的に生み出すことも可能かも知れない。
△
僕たちは時々上を見上げる。
真上には空がある。いつも同じ空だ。日時によって少し変わるが、同じ空だ。
視線をずらして、鏡を通すと空も違った風に見える。青色の濃淡が変わったり、雲の見え方が違うし、夕焼けの茜色と紺色の境目も、夏の星座の位置も全てバラバラだ。
少し見方を変えるだけでいい。
僕は外に出ることなく外の全てを知ることが出来る。
外も中もそして鏡の中の光景も、結局は同じもの、同じ世界の出来事なのだ。
▼
HPLという、ちょっと狂った作家が昔のアメリカにいた。彼の創作は、作家仲間の手によって一連の世界を持った作品群として仕立て上げられた。宇宙的怪異を扱った物語、神話を持たないアメリカの新時代神話だ。
その中にティンダロスの猟犬というものが出てくる。
世界の外側から、世の中にあるありとあらゆる鋭角を通じて出現し、角がある限りどこまでも追跡してくるという魔物。
そのティンダロスの猟犬に対して、完全に球形な部屋を創造し、中に入って侵入を防ぐというアイディアがあった。
勿論、お話の中のことだ。
それをやろう。
球形の部屋じゃない。巨大なカレイドスコープをだ。
人が生活出来るほどのカレイドスコープを建設して、その中で生活するのだ。
恐らく、普通の人間の精神では合わせ鏡の世界に耐えられないだろう。
心理学辺りの実験で、生まれたての仔猫を箱の中で飼う、というものがあった。箱の内側には縦線を入れておく。すると猫は縦のモノしか見えず、横向きのモノを認識出来なくなる。箱の内側の世界に合わせて脳が適応した結果だ。
つまり、
他に一切の情報がない、
未使用で、
白紙の子どもの脳であれば、
合わせ鏡の世界に順応することが出来る。
………
……
…
先頃、十年間密室に閉じ込められていた児童を救出した、というニュースが世界を駆け巡った。
病院に搬送された児童は身体的になんら問題はなく、当初こそ初めての外界に戸惑っていたが、徐々に生活にも慣れて本当の両親と再会することも出来た。
数々の調査結果、知能指数テストでは最高値をマーク、その恐るべき天才性を発揮した。各国の最高学府が生徒として迎える用意がある、と次々発表するほどだった。
不幸な事件に巻き込まれながらも、将来を嘱望される児童の未来に幸あれ。
なお、事件の主犯とされる男については、某日に実刑が確定して○×州立刑務所に収監される見込み。
*
誘拐され、十年間密室で育てられた天才児、と言われればピンと来る人も多いのではないか。
当時持て囃された彼は鏡の中で育つという、特異な生い立ちから後年、後遺症に悩まされたそうです。
あれだけ天才と騒がれながら、なぜぱったりと音信を途絶えたのか。
特異な環境を打ち消すように、殊更一般的な生活を強調して送った結果、実は彼は肉体の成長につれて、その天才性をどこかへやってしまったというのです。
結局は我々一般人と同じ暮らしをするようになりました。
極々平凡に社会生活を送り、働き、そして死んだのです。
五十五年という短い生涯でした。
△
人間とは良くも悪くも環境に適応する生き物である。
――とある受刑者の手記より
『万華鏡から覗いてみたら』了
なんだかごちゃごちゃしてしまったけど、それはそれで狂気の表現になったんではないかしら。
ティンダロスの猟犬の件はうろ覚え。確かそんな話だった気がする。