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おもちゃ箱

【競演】花

作者: kuroneko

第5回SMD競演参加作品。お題は『夕立』を選びました。

 突然降り出した雨は、一気に激しさを増した。このところ雨続きだというのに、なぜ今日も傘を持って出なかったのだろう? 夕立から逃れようと、克己は近くのコンビニの軒下へ入り込んだ。

 入り込んだはいいが、これからどうしようか。克己はいくつかの選択肢を考える。店に入って傘を買うか。夕立はそう長く続かないだろうから、店で雨が止むまで時間を潰すか。それともどうせもう濡れてしまったし、このまま夕立の中を歩いて帰るか。ずぶ濡れになるだろうが、金も時間も無駄にしなくて済む。安月給の親が無理して工面する仕送りと大衆居酒屋のアルバイトで食いつなぐ貧乏学生には、二度は使わないであろうビニール傘を買う事は贅沢に思われた。同じ金額をかけるなら、おにぎりと総菜を買った方が建設的だ。


 よし、決まったな。今日はバイトも無いから、時間は多少無駄にしても良い。


 克己は店で時間を潰して、ついでに食事を買って帰ることにした。店のドアを開けようとしたその時、軒下にもう一人飛び込んで来た。女だった。自分と同じか、もう少し若い。高校生かもしれないと思いながら、克己はその少女を見つめた。この雨の中を走っていたのだろう、自分より結構濡れている。取り立てて美人ではないし、克己にとってその少女は特に好みのタイプというわけでもなかった。だが、なぜか目を逸らせなかった。


 きめ細かな白い肌。ふっくらとした頬を染める自然の紅。小さな頤と小さな口。艶やかな唇は柔らかく淡い色をしている。つんと上を向いた鼻は、高くはないけれど低いわけでもなかった。二重だがあまり大きくない目を更にすがめるようにして、恨めしげに空を見上げている。肌と対照的な黒い髪は雨に濡れて少女の首筋に張り付き、背中の中程までを覆っていた。


 どこかで会った事がある、そう思った。いつ、どこでだろう? 克己は少女を横目で見ながら記憶をたぐったが、思い出すことは出来なかった。雨は相変わらずひどく降り続け、少女は何かを諦めたような溜息をつく。少女が着ている明るい紫色のチュニックがわずかに揺れた。雨を吸い込んで、少し重たげだ。アシンメトリーなデザインのチュニックの下は、オリーブ色の細く短めのカーゴパンツ。花のようだ、と克己は思う。空を睨むのを止めた少女は、雨に打たれた花のようにほんの少しうなだれていた。野に咲く控えめな花の姿。


 そして思い出した。彼女に会ったのではない、花を見たのだ。近所の空き地で、小雨の日に。


 紫色の、アシンメトリーな筒型というか袋方というか、少し変わった形の花で、ぎざぎざと縁が割けたような葉が何枚も付いていた。こんな所にも花が咲くのかという驚きと、どこかで見たような気がする花の形に克己は何となく手を伸ばし、それから花を摘まずにその手を引いた。部屋に花を飾る趣味はなかったし、従って飾るための器もない。それに、摘んでしまうより地面に生えている方が、当然花も長生きするだろう。その日、克己は花に見送られながら帰路についた。


「あの……?」

 少女が、克己に曖昧に声をかけた。視線に気付かれていたのかと、克己は少し慌てた。

「あ、はい」

「お店、入らないんですか?」

 ばつの悪さからやけに生真面目な返事をする克己に、少女はそう尋ねた。そう言われて、彼女が軒下に来たとき、自分は店に入るところだったのを克己は思い出した。不思議そうな表情を浮かべた黒い瞳が、克己を見つめている。

「あ、ああ、うん。」

 なぜか言葉を濁す。

「君は入らないの?」

「私は、持ち合わせが無いから」

「じゃあ、一緒に入ろう。別に二人とも買い物しなくたって、お店の人は気にしないよ」

「入ったら、お菓子とか欲しくなっちゃう」

 少女ははにかんだように笑って見せた。その笑顔を、克己は素直に可愛いと思う。

「スナック菓子のひとつくらい、お兄さんに任せなさい」そう言ってから、自分の言葉が何か下心を帯びているように聞こえて、「あ、別にナンパとかじゃないから。ここじゃ濡れるでしょう」慌てて付け足す。

「なんだ、違うの、残念」

 克己の慌て具合が面白かったのか、少女は今度は悪戯っぽい笑顔を浮かべた。

「大人をからかうな」

「あんまり大人には見えないですよ」

 二人は笑いながら一緒に店に入った。

 店に入ると、少女は楽しそうに陳列棚を眺めて回る。年頃の女の子だし、甘い物が嫌いなわけはないだろうが、たかが菓子ひとつにあんなに楽しめるものなのか? 克己は少女の様子に苦笑する。


 コンビニのオリジナルケーキとお茶、それにビニール傘を一本。予定とは、ずいぶん違う買い物になった。精算を終えて店を出ると、入る前より雨足は弱くなっている。少しは歩きやすくなるか。克己は、一本だけ買った傘を、少女が濡れないようにさしかけた。

「どっちに行くの?」

「本町の方です」

「じゃあ、同じだ。途中まで入っていきなよ」

「いいんですか?」

「別に遠回りするわけじゃなし、構わないよ」

「ありがとうございます」

 少女が軽く頭を下げる。まだ湿っている髪が、重たげに揺れた。


 ひとつの傘に入って、話をしながら歩く。少女はあまり自分の事は話さなかったが、近所の人達のことはよく知っていた。おそらく子供の頃から、この近くに住んでいるのだろう。大学に通うためこの春引っ越してきた克己は、当然のごとく近所に知り合いなどいなかった。大学の教授や友達以外では、この少女が初めて出来た『知り合い』という事になる。


 少女はユカリと名乗った。紫と書いてユカリ。

「何だか派手な名前で、似合わないですよね、私、ブスだし」

「そんなことないよ」克己はムキにならないように気をつけながら答える。実際、隣を歩く少女はとびきり美しくはないにせよ、可愛らしいと克己は思っていた。

「あ」

 紫が顔を上げて小さく言った。

「なに?」

「着いちゃったね、お兄さんのアパート」

 紫が克己の住むアパートを指さして言った。

「知ってるの?」

「出かけるところ、何度か見たことあります」

「そっか」

 雨は降り続いている。紫の家はまだ先らしい。克己はビニール傘を紫に差しだした。

「これ、あげるよ」

「え、でも」

「ビニール傘なんか、何回も使わないしさ。家までさして行ってよ、その方が無駄にならない」

「いいの?」

「うん」

「ありがとうございます。お菓子も買ってもらったのに、傘まで」

 紫は、コンビニの軒下で見せたのと同じ、はにかんだような笑みで傘を受け取った。

「そうだ、今度、傘を返しに来ますね。お礼もしたいし」

「いいよ、気にしないで」

 紫は少し首をかしげると、

「じゃあ、遊びに来ても良いですか? お礼じゃなくて」

「え、いいけど」

 少し警戒心が足りないかもしれないな。若い男の部屋に簡単に『遊びに来る』なんて。克己は、紫の素朴さがちょっと心配になる。

「じゃあ、その時はカレー作ってあげます。どうせ、コンビニご飯ばかりでしょ」

「当たった」

 克己は笑って見せた。バイト先で賄いが出ることもあるが、基本的に自分で作る事は稀だった。

「それじゃ、またね。傘、借ります」

 紫は軽く手を振って帰って行く。克己は紫が角を曲がるのを見届けて、一人の部屋へ入った。



 駅を出ると、克己は歩きながら溜息をついた。昨日のバイトの失敗は、克己の中でいまだ尾を引いていた。注文された料理と飲み物を卓に並べようとして、盛大にひっくり返してしまったのだ。服を汚された客は当然のごとく克己を罵倒した。

 店長が平謝りして、クリーニング代を持つことで話が付いた。真面目でよく働く克己は、給料からクリーニング代を引かれることもなく、店長からは「誰でも一度はやることだから」とやんわりと励まされた。

「明日は非番だし、気分入れ替えておいで」

 しかし、客を不快にし店に損害を出し、店長に迷惑を掛けたのだと思うと、克己の気持ちは治まらなかった。


 大学の友人達は、落ち込む克己を気分転換の遊びに誘った。その厚意を有り難いとは思いつつ、克己は誘いを断った。少し一人になりたいと思ったのだ。

 克己はこれまで、どちらかといえば優等生的かつ平穏な人生を歩んできた。ささやかな失敗はあっても、人前で大声で罵倒されたことも、人に大きな迷惑をかけたことも、従って迷惑をかけた相手から逆に励まされることも無かった。

 そのうち働くようになれば、もっと惨めな気分になることも増えるのだろう。その度に誰かに励ましてもらわなければ立ち直れないようでは、生きていけない。


「あれ、お兄さん」

 克己の背中に、柔らかい声がかけられた。紫だった。

「どうしたの、元気ないよ」

「んー、バイトで失敗しちゃってさ」

 友人の気遣いを蹴っておきながら年下相手にそんな愚痴が出てくるなど自分でもどうかと思うが、不思議と紫の前で見栄を張る気にはなれなかった。

「なんだ、そんなことか」紫は笑った。「もっと深刻なことかと思った」

「深刻なって?」

「彼女に振られたとか」

「いないから、振られない」

「ホントに?」

 くるり、と紫は克己の前に回り込むと、下から見上げるように克己の顔を覗き込んだ。

 自分の姿を映した紫の黒い瞳が、克己の視界に飛び込んできた。少し体を傾けているせいで、襟元がわずかに緩んでいる。悪戯っぽい形を作る唇の下、白い鎖骨の先の淡い影が目に入って、克己はそっと目を逸らす。

「本当です」

「じゃあそんな寂しい克己お兄さんのために、紫ちゃんが元気の出るカレーを作って差し上げましょう! さあ、材料を買いに行こう」

 紫ははしゃぐように言うと、強引に克己の手を取って歩き出した。コットンらしい生地の深緑のワンピースに、淡い紫の半袖シャツを羽織っている。この間とよく似た配色に、克己はまた空き地で見たあの花を思い出す。

「ほらー」

 振り返って笑う紫に、克己は言った。

「花みたいだな」

「え?」

「あ、いや、何でも」


 二人でスーパーで食材を買う。ふと克己は、傍目に自分たちがどんな風に見えているのか気になったが、紫はそんな気配もなく、楽しげに食材を選んでいる。どうやら本気で自分の部屋に来るらしいと、克己は部屋の中を思い浮かべた。多少散らかってはいるが、年頃の女の子にどん引かれるような──エロ本とか、DVDとか──の類いは剥き出しではないはずだと、一安心する。

 レジで精算を済ませて、克己は紫と一緒に、自分の住む部屋へ向かう。


「はい、お待たせしました」

 紫がが差し出すカレーは、なかなか美味しそうだった。二人で食べながら話す話題は、始めのうちこそ世間話だったものの、自然と克己の失敗談に流れていった。

「あんまり気にしない方が良いよ、店長さんもそう言ってくれたんでしょ?」

「うん、でも、店に迷惑かけちゃったし」

「じゃあ、責任とって辞めるの?」

「それじゃ責任とったことにならないよ。それに失敗するたびに仕事変えてたら、いつまでたってもまともな職に就けないし」

「じゃあ、気にしない! それにどうせもう、気にしなくて良いんだし」

「え?」

 紫が微笑んだ。それまで見せたことのない、なまめかしさを含んだ笑み。まるで別人のようで、克己はぞくりとする。紫はつと立ち上がると、克己の隣へ座り込んだ。

「ちょと、ゆかりちゃん──」

 克己は紫を制しようとして、口の中のしびれに気付く。カレー、そんなに辛かったっけか?

 紫が体を捻って、道で話したときのように克己の顔を覗き込んだ。黒い瞳に、自分の姿を克己は見つける。まるでそこに吸い込まれていくようだ。淡い色の唇が『お兄さん』ではなく、克己の名前を呼ぶ。その唇が、克己のそれに触れた。柔らかな感触。微かに花の香りがする。克己は、流れに促されるまま、紫の背中に手を回した。




 ──死体からはアコニチンを主としたアルカロイド系の毒物が検出されており、部屋からはアコニチンを含む毒草であるトリカブトが発見されています。トリカブトはニリンソウなどの山菜と葉の形が似ており、混同されることがあります。

 友人などの証言から、男性はアルバイト先での失敗を苦にしていたことが確認されています。また、同日午後5時頃、若い女性とスーパーで買い物をしている姿も目撃されており、警察では、事故、自殺、他殺の各方面から捜査を──


 中年の男は、苦い表情でニュースを報じるテレビのスイッチを切った。男は克己の父親だった。息子と連絡が取れなくなったことを不審に思い、克己の母親が様子を見に出かけた。以来、彼女は臥せっている。自分が行けばよかったと、妻を行かせたことを克己の父親は後悔していた。そうすれば、妻は息子の死体の第一発見者にはならずに済んだのだ。

 一緒に居間にいる少年と少女も、うち沈んだ表情でテレビから顔を背けている。

 自慢の長男を訳の分からない形で失い、家族の間には重苦しい空気が満ちていた。


 夕立の季節は過ぎようとしている。

 空き地に、紫色の花を咲かせる草はもう無い。

昔、通勤路の建物の脇に、どう見てもトリカブトにしか見えない花が咲いているのを見つけたことがあります。そこからこの話は生まれました。


ネットで調べた範疇で恐縮ですが、トリカブトの主たる毒であるアコニチンは、人間の致死量2㎎ほど、青酸カリに匹敵するか、それ以上の猛毒だそうです。アコニチンの含有量はトリカブトの種類によって違いますが、毒の強い物なら、根1グラムでこの致死量を満たすらしいです。


作中、紫が「私、ブスだから」といっていますが、この意味はお分かりの方も多いと思います。分からない方はぜひ、トリカブトの異名について詳しくお調べ下さい。


お楽しみいただければ幸いです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 面白い。トリカブトですか。 [一言] 感想を見て思ったのですが、彼を殺したあと、彼女はどうなってのでしょう? どう思ったのでしょう? そしてその後は。うーん、気になる。
2014/09/24 09:37 退会済み
管理
[一言] 途中まで紫萌え~とか思っていたボクにとって、なかなか衝撃的な結末でした(汗 バイトの失敗談など、ボクも昔全く同じ失敗をしたことがあって、そのせいなのか、とても主人公に共感してしまいました。 …
[一言] 情景描写がとても上手だと思いました。頭の中で、短編映画を一本みたような感じです。 ゆかりの造形や、ゆかりの行動に揺れる主人公の心情など、短くてもとても読みごたえがありました。 ラストでは、ほ…
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