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魔法の歴史とそのなりたち

「ねーお父さん、次の街に着くまではどれくらいかかるの?」


 枯れ草が左右を覆い、冬の初めの肌寒い風に吹かれる街道を進む馬車の上で、少年は退屈を隠そうともせずに問いかけた。丈夫な革の靴をぶらぶらと揺らしながら、口をへの字に曲げ、上目遣いに父親を見上げている。


「あと三日はかかる距離だ。今日だけで、もう十回は答えたぞ、ロイ」


 父親は開いていた分厚い書物から目を上げ、低い声で息子に答える。その長身の体躯は厚手のローブに覆われており、いわゆる『学者』そのものだ。(ブラス)縁の眼鏡から覗く切れ長の目はじっと息子を見つめている。


「そんなこと言ったって、暇なものは暇なんだもん。もう何にもない馬車の上で一週間だよ。このまんまじゃ退屈で死んじゃうよ」


 ロイと呼ばれた少年はもう限界だと言わんばかりに馬車に倒れこみ、足だけぶらぶらさせたまま大の字のような格好になって文句を言う。父親は軽く溜息をついて、懐から一冊の本を取り出し、ロイに差し出した。


「そんなに暇なら、また続きの講義でも聞くか、ロイ」


「ほんと? 昨日まではいくら言っても全然聞かせてくれようとしなかったのに、何で?」


 退屈を紛れさせる玩具を与えられた少年が、本を引ったくって喜び半分、疑問半分で父親を見る。父親は眼鏡をくいっと上げて、馬車の進む街道の先を見ながら息子に答える。


「もうそろそろ、講義の実演ができるからな。その方が理解が深まるから、準備が整うまで待ってたんだ。んじゃ、前回の復習から始めるぞ――」








「馬車だと?」


「はい、それも小型で一台のみ、周囲に傭兵や騎兵の姿も見えません。御者の他に二人、大人と子供で両方男、大人の方は、見たところ行商ではなく、学者の類だと思われます」


 ロイとその父親が乗る馬車の進む街道の、馬車で三十分ほど進んだ位置。街道の脇に背の高い草が茂っていて視界が悪い。そんな場所で、そんな会話が交わされていた。彼らはこの付近を縄張りとする盗賊で、会話をしているのはその頭目と斥候だった。


「ふんっ、女が居ないのが残念だが、美味い獲物に代わりは無ぇ。鷹目! 距離はどのくらいだ?」


頭目の声に、鷹目と呼ばれた斥候は、右目の周囲に刻まれた文様を右手でなぞった。斥候の右目の前に碧い光が点り、斥候の目に遥か彼方を進む馬車が映る。


「……馬車のスピードからして、三十分後には此処を通ると思います!」


「聞いたな野郎共! バブル草に隠れて待ち伏せだ! 此処を通りかかったら口笛を合図に仕掛けるぞ!」


 頭目の叫び声をともに、草原をがさがさという音が覆い、数十秒後には、街道は元の静けさを取り戻した。








「簡単なところから行くか。この世界を動かす力を二種類に分類すると、何と何に分けられる?」


「えーと、物理的(フィジカル)な力と、魔力的(アストラル)な力。それぞれの力は互いに作用しないけど、特殊な条件で、互いの力に変換されて、影響を及ぼすようになる」


 父親の問いに対して、ロイは手に持った本を開かず答える。父親は眉を上げて頷き、にやりと笑ってこう聞いた。


「正解だ。では、その『特殊な条件』とは具体的にどんな状態だ?」


「え、えっと……何だっけ、高温高圧?」


「確かに高温高圧の時には、フィジカルエネルギーがアストラルエネルギーに変換される。だが、逆はどうだ? アストラルエネルギーは、どうしたら物理界に影響を与えられる?」


 穏やかな笑みを浮かべる父親の問いに、ロイは眉間にしわを寄せ、顎に手を当てて考える。


一秒。


二秒。


三秒。


ぱっと顔を上げたロイは、父親の方を向いてこう答えた。


「ギブアップ。そっちは覚えてなかった」


「片方覚えてただけでも中々なものだ。正解は『エネルギー密度が高い状態』だな。物質を燃やして加熱したり、上から重いもので強く押さえつけて圧力をかけたりすると、強くなり過ぎたエネルギーが魔力界に逃げるんだ。逆に魔力エネルギーも、一箇所に集めて圧縮したりすると、物理界で振動や熱に変換されて放出される。これがいわゆる『物魔エネルギー変換』だな」


「えっと、物理界で圧縮したり過熱したりっていうのは分かるんだけど、魔力界ではどうやってエネルギーを凝縮するの? アストラル体はフィジカル体を通り抜けちゃうよね?」


 首を傾げたロイに、父親はふむ、と呟いてからこう聞いた。


「物理界は『元素』で構成されている。魔力界を構成しているのは何だった?」


魔素(マナ)。特に、こっちに影響を与えられるマナの気体が魔気(エーテル)……ふぇ?」


 まだよく理解できていないらしいロイの頬を、父親はつまんで弱く引っ張る。


魔気(エーテル)は気体だが、物理界は気体だけで構成されているか?」


「……あ、もしかして!」


「そう、魔力界も魔気(エーテル)だけではなく、魔素(マナ)の固体や液体が存在する。物理界に直接影響する訳ではないが、こういったもので魔気(エーテル)が圧縮されると、こっちに影響が及ぶわけだな」


 父親の説明が腑に落ちたロイ。しかし、すぐに別の疑問が首をもたげた。


 「……でも、物理界(こっち)から魔素(マナ)の液体とか固体に触れないんじゃ、結局こっちでアストラル界のエネルギーを利用するのは難しいんじゃない?」


「そうだな。逆にアストラル界(あっち)から物質の液体や固体に触ることもできないから、この二つの空間のつながりはほぼ無いようなものなんだ。……理論的にはな」


「理論的には……? そうか、魔法だね」


 この世界には、魔法と呼ばれる特殊な現象が存在する。儀式や詠唱といった神秘的な行動によって、自然には起こりえない事象を発生させる現象。一般的に、魔法は神や精霊といった魔力界の存在と交信し、その力を借りて発動するものだと言われている。


「魔法は物理界の法則には当てはまらない。つまり、魔力界に関わるものだ。だが、さっきの理論で言うと物理界から魔力界に干渉し、思う通りに影響を及ぼすことはほぼ不可能だ。にもかかわらず、魔法はこちらから魔力界に干渉し、それによって魔力界から影響を及ぼすものだ。『物魔理論』と『魔法という現象』は普通同時には成り立たない。じゃあ、なぜ魔法が存在すると思う?」



「えっと……う~ん……」



 

 少年は思案する。しかし彼が答えを導き出す前に、親子の乗っていた馬車に異変が生じる。周囲から多数の人影が現れ、馬車を包囲してしまったのである。


「な、何だ!?」


「なに、どうしたの!?」


 慌てて手綱を引く御者と、に身を乗り出すロイ。急停止した馬車の正面に、無骨な曲刀を携えた無精髭の男――盗賊の頭目が立ちはだかった。


「へっへ、たった三人で街道を通ってくるたァ、俺達のカモになってくれに来たんだろ? 馬車の積荷と有り金全部ここに置いてきゃ、命までは取らねェぜ?」


 曲刀を構え、下卑た笑いとともにそう宣言する頭目。狼狽え、客人と盗賊を交互に振り返る御者。周囲を取り囲む盗賊たちから伝わる殺気。怯えた様子で父親を仰ぎ見るロイに、父親はぽんぽんとロイの頭を叩き、持っていた本のページをめくりながら、周りの盗賊にも聞こえる程度の大きな声で、こう言った。


「ロイ。さっきの問題の答えだが、物魔エネルギー変換を発生させる条件は、高エネルギーの状態だけじゃないんだ。我々が住むこの世界は、物理界と魔力界、二つの空間が重なってできていると言ったな。実は物質にも、元素と魔素(マナ)、二つの部分が重なって出来ているものがあるんだ。そういった物に、物理的なエネルギーを与えてやると――」


「おい! さっきからペチャクチャペチャクチャ訳分からねぇことばかり言いやがって! てめェら、容赦いらねえ、やっちまえ!」


 話を遮って曲刀を振り上げる頭目。周囲を取り囲んでいた盗賊が馬車に襲い掛かって来る。御者が恐怖に頭を抱え、ロイが父の体にしがみつくと、父親は本の開かれたページに描かれた図形に触れる。図形の描かれた本――魔導書から光が迸り、馬車を中心にして光の壁が形成される。小さな六角形のきらめきが円柱状に馬車を覆い、馬車に襲い掛かった盗賊たちを弾き飛ばした。


「――こういう風に、物理的にはありえない現象を、魔力的に引き起こしてくれる。この魔導書に使われてる紙やインクにも魔素(マナ)が含まれている。これを、『人体』という魔素(マナ)を含んだ物体で刺激してやると、魔導書に書き込まれた魔導式に、与えられた刺激を代入した解として、魔力界から物理界(こっち)に影響が及び、魔法が発現する。これが、術式魔法だ」


 父親が言っていることは、この世界における最新の理論だった。神の奇跡でも精霊の力でもなく、理論によって魔法を発動する。それは今まで人類が及ばない領域だとされていた魔法を、人類が自在に操ることができるようになるということだ。尤も、その重大性が理解できる人間は、この場には居ないのだが。


「て、てめェ、今、何しやがった!?」


「聞いていなかったのか? 魔法を使ったのさ。なぜなら――」


 頭目の叫びに答えながら、父親はふたたび魔導書を開き、描かれた図形――魔導式のあちこちに触れ、魔導式を起動させる。魔導書が光を放ったと同時に、盗賊たちの足元から蔦が突き出し、全員の手足を絡め取り、身動きを封じてしまった。


「――私はあらゆる魔法を生み出す『魔道士』だからな」


 パタン、と魔導書を閉じ、魔道士は息子の頭を軽く撫でる。顔を上げたロイには、その時の父親の姿は、どんな舞台俳優よりも格好良く見えた。












「ねえ、お父さん。さっきの魔導書って、光の壁を作ったり、蔦で人を捕まえたりするほかに、どんなことができるの?」


 ガタゴトと街道を進む馬車の上で、少年は好奇心に輝く瞳を父親に向ける。父親は上機嫌に、魔導書のページをめくりながら答えた。


「ページと刺激の仕方の数だけ、魔導書には魔法が秘められている。光の壁の魔法と同じページでも、この円の部分ではなく、十字の部分をなぞってやると――こういう風に、夜道を照らす灯りを作ることができるぞ」


「わ、すごい! ねえ、他には? もっと凄いのもあるんでしょ?」


「一つひとつ魔法を見せていては夜が開けてしまうぞ。お前は飲み込みが早いから、いずれ簡単な魔導式とその起動の仕方を教えてやろう。魔導書で使える魔法を探すのではなく、望む魔法を使える魔導書を作り出せ。さぁ、もう遅い。今日はもう休むんだ」


「うん! おやすみなさい、お父さん」


「おやすみ、ロイ。明日もお前に、魔法の導きがあるように」


 月に照らされた街道を進む一台の馬車。その中で眠る親子。後世『魔法学の父』と呼ばれることになる魔法理論の創始者と、その志を継ぎ、今日にまで伝わる魔導大全『グリモア』を著した大魔道士、ロイ・ヘルモートの、魔法史が動き出した一日の物語である。



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