メリーの夢
この作品は、都市伝説「メリーさんの電話」から想起して書きました。
知らない方は一度調べた上で読まれることをお勧めします。
トゥルルルル ピッ
「あ、あたしメリーさん。今タバコ屋さんの角に…」
『おかけになった電話番号は、現在使われておりません。電話番号をお確かめの上、もう一度…』
プツッ
「はぁ…またか…」
もう今日で何件目だろうか。適当に電話をかけて、受け取った相手に呪いを告げる作業も、もはやまるで進まない。
最近では大抵二段階目の途中で切られたり、番号を変えられたり、そもそも着信を拒否されたりして、家の前まで行けることもまれだ。
いつの間にか戻ってきてしまったゴミ捨て場を眺めてため息を吐く。
「まぁ、これだけ悪評が広まっちゃえばね…」
携帯を操作し、ブックマークを開く。
簡素な掲示板。数ある掲示板の中でも、ここは都市伝説やオカルト話を持ち寄るための所だ。
毎日新しい怪談が追加されるこの場所では、『メリーさん』の話など今更目新しくもない話題として、時々ネタにされるぐらいだった。
ただ、ここに居る彼らもまだ真実を知らない。
メリーさんは、呪いをかける。
最後の電話の後、振り向いた相手と目があった瞬間に、その身体を奪うのだ。
身体を奪われた相手は新しい『メリーさん』になり、人形の体を引き継がされる。そして自分がまた人間に戻るために、次の呪いを繰り返すのだ。
そう、今の私のように。
最初は、私にだって抵抗があった。自分が助かるために呪いをかけることへの罪悪感も感じていた。でも、もうどうでもいい。
携帯を操作する手を止め、自分の指を見つめる。
薄汚れたセルロイドの指。血も通わず体温もなく、年月による風化によりヒビまで入り空洞が覗いている。
これが、私なんて。
もうこんな体にされて一ヶ月が経つ。その一ヶ月の間にも、この人形の体はどんどん朽ちていっている。
遂に動けなくなった時には、人であるとも知られぬまま、私はここで消えてなくなるのを待つのだろうか?
そんなの、嫌だ。耐えられない。
恐怖に駆り立てられるように闇雲に番号を押し、電話を掛ける。
トゥルルルル ピッ
『おかけになった電話番号は、現在使われておりません。電話番号を…』
プツッ
トゥルルルル ピッ
『おかけになった電話番号は、現在使われておりませ…』
プツッ
「もう…いや…」
どうしようもない心細さに襲われ、思わず声が漏れる。人形の身には、泣くことも叶わない。悲嘆に暮れて意識も乱れたまま、指だけは別の生き物のように番号を押し続けていた。
トゥルルルル ピッ
『おかけになった電話番号は、現在使われておりません』
プツッ
トゥルルルル ピッ
『おかけになった電話番号は、現在使われておりません』
プツッ
トゥルルルル ピッ
「もしもしぃ?」
「!?」
冷たい機械音ではない、しわがれた人の声が聞こえた時、思わず体が震えた。
言わないと。呪いを告げないと。
「あ、あたしメリーさん、今ごみ捨て場にいるの!」
「え…?メリーだって?ちょっとアンタ…」
何かを問いかけた相手の声を遮り、電話を切る。
電話を切った瞬間、私は郵便局の角にいた。相手の家の近くに移動できたら、呪いが成功した証だ。
早く、早くもう一度かけ直さないと。
焦りながら通話履歴を探りつつ、ふと躊躇する。
今の声は、明らかに老婆のものだった。そんな老婆の体を奪えたところで、どうすればいいのだろう。
しかし、躊躇も一瞬だった。誰でもいい。人間の体に成れればいいのだから。
「お願い…電話に出て…」
呪いをかける相手に祈りつつ、再び私は電話を掛ける。
トゥルルルル ピッ
「…もしもし」
「あたしメリーさん、今郵便局の角にいるの!」
「やっぱり、メリーなんだね」
呟く声を無視して電話を切る。
気が付くと、古びた一軒家の前にいた。
ここが、あの老婆の家の前だろうか。
緊張に震えながら、電話を掛ける。コールまでの短い間に、私が元の人間だったころの家族の顔が頭に浮かんだ。
この老婆の体を奪えたら、会いに行くべきなのだろうか。そもそもその時に、前の私の記憶は残っているんだろうか。
トゥルルルル ピッ
「もしもし」
「あたしメリーさん。今あなたの家にょ…」
噛んでしまった。
頭の中が真っ白になる。どうしよう。呪いは失敗だろうか。またあの薄暗いゴミ捨て場に戻るのだろうか。人間に戻れないのだろうか。
「…あはは、『家にょ前』って!アンタが間違ってどうすんのさ!」
しかし電話の向こうから笑い飛ばす声が聞こえると、私のパニックは不思議と治まった。
「あー、愉快愉快。大丈夫だよお嬢ちゃん。途中で切ったりしないからさ、もう一度言ってごらんよ」
「…あたしメリーさん。今あなたの家の前にいるの…」
「よっしゃ、上出来だ」
満足げな声を聞きながら、電話を切る。
視線を上げると、背中を丸めた老婆の後ろにいた。
肩に羽織ったカーディガンや左手の杖などがいかにも老人らしい中、右手に持った携帯電話だけがやけに若々しい印象がある。
この人は、誰なんだろう。
さっきからのやり取りを思い出しつつ、その白髪の頭を見る。
不審な電話だったというのに、答える声には疑いの色はなく、むしろ何かを納得するような雰囲気があった。全てを知ったうえで、私の好きにさせているようにも思えた。
「あー、『メリー』ちゃん?もうアタシの後ろにいるんだろ?」
前を向いたまま喋りかける声に、体が縮こまる。やっぱりだ。この人は全部知っている。でも、どうして?
「いいんだよ、喋っても。電話を介してしか呪いはかからないし。今は直接喋ろうじゃないか」
少し戸惑う気持ちもあったけど、私は口を開いた。
「…おばあさん、どうして知ってるんですか?」
「どうしてって言われても、この件に関しちゃアタシが一番詳しいに決まってるじゃないの」
「私があの『メリーさん』って知ってるなら、これから私が何をするかも分かるでしょ…?」
今になって気が変わられるのを恐れて、言葉をぼやかす。
「それなんだがねぇ、お嬢ちゃんこそいいのかい?こんなよぼよぼのおババの体だよ」
「私は、人に戻れるならいいんです。もうこの体には耐えられません」
「…そうかい」
「すみません、おばあさんには迷惑を掛けますけど」
「はん!全くだよ!あと少しで余生を全うできるって時に、なんで好き好んで人形になんて成らなきゃいけないんだい!?」
急に語気荒く老婆が騒ぎだした。杖で激しく床を叩く様子を見て呆気にとられていると、また急にピタリと動きが止まる。
「…なーんてね。アタシが言える筋合いでもないし、アンタが気にする必要もないよ。私も人間を長い事やってみて、いろいろ分かったし。うん、そろそろ潮時だね」
要領を得ない話をし、自分を納得させるようにうなずく。その顔がどんな表情をしているのか、後ろからでは分からなかった。
「年よりの話に付きあわせて悪かったね。さ、そろそろ電話でもかけようか」
「あ、はい」
促されて、電話を掛ける。
トゥルルルル ピッ
「はいよ」
答える声に、一点の影もなかった。私もそれにつられるように、声を出す。
「あたしメリーさん。今あなたの後ろにいるの」
「そうかい」
電話を切る。
目の前の老婆は携帯電話をポケットにしまってから、ゆっくりと振り向いた。
私の瞳を見つめる目は、笑っていた。
「お帰り、メリー」
気が付くと、私は部屋のベッドの上で寝ていた。
「う…んん~…」
身体を起こしつつ伸びをし、辺りを見渡す。
何の変哲もない、散らかった私の部屋。なぜ改めて見渡したのか、自分でもよくわからない。
枕元に置いた携帯を取り着信があるかどうかチェックする。
友達からのたわいもないメールが数件。不在着信はなかった。
なんだろう、何かあったような気がするのに。
微妙な違和感を覚えつつ、携帯を触る自分の指を見る。
あまり日に焼けていない、自慢の細くてしなやかな指。
その指をそっとこすりつつ、理由もわからない涙が少し滲んだ。
呪い返し。呪いをかけた当人に呪いが戻ることにより、狂わされた事象が正しく戻る。