イナバノハクト
「因幡の白兎?」
「そうそう」
私の友人はわざわざ二度も頷いて、楽しげに言う。
因幡の白兎というのは知っている、知っているが――怪談好きのこの友人が、わざわざ古事記だか日本神話だかを持ち出す理由が、いまいちわからなかったのだ。
ついでにいうと、嫌な予感もする。
「日本のウサギはさ、確かに冬に毛皮が白くなるんだけど、普通に考えておかしいんだよ」
何が。私は勤めて冷静を装って聴いた。怯えるとますます調子に乗る酷い友人なので。
怪談話は、嫌いだ。
だいたい10月に聴いてどうするんだ。
「冬眠だよ、冬眠。ワニは冬に冬眠するのに、仲間を呼べるわけないじゃない。大体日本にワニはいないよ」
思わずちょっと納得してしまった。思えばそれがいけなかったのだ。
得意げな顔をして友人は続ける。
「因幡というのは"稲場"…稲の保存場所の事。そもそも、神様の話をまったく無関係にしてしまって、兎とワニの話に限定するとそもそもなんで兎が稲のある場所にいく必要があるのかっていう話になる」
「うん?」
「そして、白い兎である事。白兎。はくと… 白人。 白人が食べ物を必要として稲場に行ったんだとしたら?ワニって漢字で何て書くか知ってる?和邇…「ん」をたしたら 和人に変わる」
「それは、つまり」
「そう、稲を盗もうとした白人を、日本人が懲らしめた、っていうお話に変わってくる」
因幡は"去る"という意味もあるからね、或いは日本人を騙して日本から大陸へ出ようとした話なのかもしれない。
ともあれ――白人たちは日本人を騙した。
「でも、ただ稲を盗んだだけで、皮を剥ぐの?いくらなんでも――」
ちょっと薄ら寒さのようなものを感じてしまって、思わず両腕を抱く私を見て、くっく、と笑って。
意地悪く笑って友人は言う。
「今とは事情が違うからね。盗みは重罪だよ。だって稲を取られたら、村が全滅しかねない…国からの援助はない時代だよ?」
あぁ、そっか…。
納得させられる。納得してしまう。今でこそ貨幣があって、不作でも国から援助金がある日本だけれど、神話時代にそんなシステムがあったとは考えにくい。
そして不作だというだけで死者が出る時代。
稲を盗まれて、それが肌の色の違う外国人で――許すはずが、ないのか。
或いは。外国人である、という事すら、わからなかったのかもしれない。化け物として、当時の人たちからの目には写ったのかもしれない。
「蒲の穂をとって敷き散らして、花粉をつけるように袋を持った神様が言うよね。これは本当に正常な治療法でね?血作用があり外傷や火傷に効くんだよ。焼いた石の上を転がすか、鞭みたいなもので叩けば、肌は裂ける――皮を剥ぐまでしなくても、似たようなことは出来る」
火傷。そして外傷。
以前カンフー映画か何かで見たものを思い出す。
確か、竹の木を武器に使っていて、途中でそれの先端が"裂けた"のだ。まるで箒のようにして。
あの時は深く考えなかったけれど、例えばあれを背中にぶてば、それは完全に拷問用具。
「そして袋を持った人。ねぇ?何を持っていたんだろうね」
友人の意地悪な笑顔に――
「或いは最初は何も入っていなんかいなくって、」
私は、思わず耳を塞いだ。
「――膨らんだのは、哀れな白人を見つけてから、だったりしてね」
その日、私は夢を見た。
苦痛を訴える外国人。
勿論泥棒なので、誰一人助けようとはしない。
海の近くに見せしめとしておかれる外国人に、大きな袋をもった男が近づいていく。
痩せた男。袋の中の食料が無くなって、飢えに飢えた、1人の男。
どうして、どうして外国人は気づかないんだろう。私は思わず目を塞ぐ。
――この袋の中に、薬が入ってる。蒲の穂の花粉だよ。これに入って体中に花粉をつければ、たちまちその傷はいえるだろうよ
無骨で、刃に血のついた。
包丁を持った、男が言った。
調べてみると、白兎というのは素兎…毛皮の在る兎の事らしい。
だから、友人の言ったことは、すくなくとも全てが正しいわけではない。
でも。
いまだに、私は否定しきれずにいた。
目を閉じたとき、ふいに思い出してしまうと、もうだめで。
哀れな白人の悲鳴と、肉を貪り食う音を、今でも夢に見てしまう。