後宮における五歳児の立場
朝、ユーリの一日はベッドの横に下げられた鈴を鳴らすことから始まる。
紐を引っ張ると、幾つも連なる小さな鈴たちが非常に可愛らしい音を立てて鳴った。
ユーリは顔をしかめる。
「ううう」
これには未だに慣れない。
ユーリの体は五歳児のものだが、心は立派に成人を果たし、そろそろ「おばさん」と呼ばれてもいい年齢だ。というか、現在のユーリの年齢からしたら二十歳過ぎはおばさんに見えてもおかしくない。
であるからして、幼い女の子向けにそろえられた可愛らしい鈴も、愛らしい部屋も、ふりふりのレースが盛られた寝間着も、恥ずかしくてたまらなかった。
ぶっちゃけ、気分はコスプレに近い。
どんなに今のユーリには相応しいといわれても、目の前に突き付けられるたびに居心地の悪い思いがついてまわる。
(まあ、しょうがないけど)
まさか、心は大人なんです、とは言えない。
口に出した途端、医者を呼ばれてしまう。
いや、それよりも寝ぼけているのかと宥められるだけだろう。それはそれで、虚しい。
(しかし、それにしてももう少し控えめにはできないものか)
内心の葛藤で悶えていると、速やかにドアをノックされる。
「どうぞ」
現れたのは、楚々とした仕草で頭を下げた侍女は、ユーリを見て慈愛に満ちた表情を浮かべた。
(ま、眩しい……)
ユーリは思わず目を瞬いてしまう。
「お早うございます、ユーリさま」
「おはよう、リラ」
「はい。まあまあ、今日も元気がよろしいですねえ」
「そう?」
ここでリラの言う「元気がいい」のは、ユーリの頭だ。
細くてくせっ毛のユーリの髪は、どんなに気を付けても一晩でくしゃくしゃに爆発してしまう。
リラにはそれが可愛くてたまらないらしい。
まあ、自分だって五歳児が寝癖つけてぼけぼけ寝ぼけていたら可愛いと思うだろうが。
しかし感覚としては同い年くらいの同性にそんな顔で見つめられるのは微妙な心境だった。
「ではユーリさま、お顔を洗いましょうね」
「うん」
幼稚園児か、と突っ込みたくなるのを堪えて、ユーリは素直に頷いてみせる。だって言ってもしょうがないし。
ベッドの横に用意された器で水を零さないように気を付けて顔を洗う。
その間、リラはユーリの後ろに回って髪を梳かしてくれる。その手つきはこれ以上なく丁寧だ。ユーリはくすぐったく、身をよじった。
「ユーリさま、動かないで」
「はあい」
髪くらい自分で梳かせるのに、とはいえない。
幼児の体はユーリが思ったよりも動かしにくいのだ。
手足は短いし、まったくもって不便極まりない。
環境上、元気に遊びまわることもないユーリの髪は腰まで長く伸ばされている。時間をかけて縺れを解く間、ほどよい温度で淹れられたお茶をユーリはのんびりとすすった。
(あまい)
お子様用に蜜をたっぷりとたらされた茶の味に文句はないが、大して動き回るわけでもないので、いつカロリー超過で太りだすか冷や冷やものだ。
「ていうか、甘やかしすぎなのよ」
「何を仰いますの」
うっかり声に出た言葉に、リラからすぐさま反論された。
「妃たる御方にお仕えするのは当然のことです」
「それが五歳の子供でも?」
リラは重々しく頷いた。
「おそれながら、それは愚問というものですわ」
「そんなものかしら」
ユーリは吐息をつく。
(傅かれて当然と言われてもね……)
たしかに皇帝の妃なら、それなりの扱いがあるのだろうけど。
――とはいっても、いまのところユーリの日常は概ね平穏といえた。
「リラ、今日の予定は?」
「はい、ユーリさま。朝食の後は歴史と詩、音楽の授業です」
「昼食のお茶会は欠席していい?」
「ユーリさま」
リラが目を吊り上げてみせるけれど、ユーリは首を竦めただけで不満げに唇を尖らせた。
「だって、わたしが出る必要ないんだもん」
というか第一、妃たちが一同に会する茶会なんぞ怖くて行けない。
五歳児のユーリには、後宮に入ったこと自体が事故のようなものだし、よほどの小児性愛者な変態でもない限り皇帝のお渡りがあるわけでもないので、顔を出そうが出すまいが本当に関係ないのだ。
案の定、リラはしょうがないですねと言いたげに頬を緩めた。
「その代わり、午後のダンスの授業は逃げないでくださいね?」
「はあい」
適当に返事をして、ユーリはリラが櫛を髪から離したのを見計らってベッドから飛び降りた。