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【異世界恋愛】短編集

婚約破棄は了承しましたので、とっととお帰り願えますか

作者: 夜明け前
掲載日:2026/03/16

前作、ランクイン致しました!ありがとうございます


「エルマ・リリアナス、本日をもって貴様との婚約を破棄する」



豪奢な髪飾りと共に断状が揺れる。


華奢な容姿からは想像できないような、低く威圧感のある声でハルベルト・ファーラム第二王子は続けた。


「真実の愛を見つけてしまったのだ。仕方のないことだ」


エルマは静かに、その言葉を聞いていた。


みな、この国の国王陛下は礼儀正しく清廉だというが、他国と比べて何ら変わりはない。唯一言えるとすれば、公妾が複数人いること。


老境に差し掛かった陛下が焦って、属国から貴族令嬢をかき集めてくるのだ。年齢も、相手の意思も、顧みない。


領地内を娼館にすることすら厭わない。そうして嫡男の次に生まれたのが、目の前の男だ。



蝶よ花よと育てられてきたハルベルト殿下は、父君に似て、存外に貪欲な性格をしていらっしゃる。



そう思い至った時には、すでに遅かった。


領地経営について深夜まで学んでいた私の傍らで、殿下は遊び呆け、果ては私の妹にまで手を出したと聞く。その言葉を耳にした時、私は教室で倒れた。


王子妃としての義務教育を深夜まで続けていたから——離宮の東屋まで連れられ、帰ってくる頃には朝日が差していた。身体が悲鳴を上げるのも、無理はなかった。



『エルマ、貴女は領地経営が得意だから。殿下と共に領民を豊かにしていけばいいわ』



継母と教育係にそう促され、言われるがままに学んできた。実際には、殿下の家政も外交文書の下訳も、すべて私に任せられるというのに。それでも私は学び続けた。義務だったから。


いや——もしかすれば、どこかで信じていたのかもしれない。いつか殿下が、正面から私を見てくださる日が来ると。愚かなことだった。


「……それで、その『真実の愛』とやらは」


エルマが口を開く。


「どちらのご令嬢でございますか」


殿下は扉の方へ視線をやった。

つられて私も振り返る——そこに立っていたのは、見慣れた蜂蜜色の巻き毛だった。


「……イリス」


妹は俯いていた。

視線は床に落としたまま、指先をきつく組み合わせている。


入ってきた時から、一度も私と目を合わせようとしない。


胸の奥で、何かが冷えた。


リリアナス家の台所事情は、私が一番よく知っていた。父が病で倒れてから二年、領地の収益は目に見えて落ちている。


継母は家格を保つことに必死で、どこかへ嫁がせる娘が一人いれば——という話が、水面下で出ていたことも、知っていた。


王子妃の座。

それがイリスに回ってきたとすれば。継母が裏で動いたのか、殿下が直接イリスに近づいたのか。どちらにせよ、イリスには断れない事情があったのかもしれない。


俯いたまま動かない妹を見ながら、私は静かに息を吸った。

「そうだ」殿下が満足そうに頷く。


「小難しく口うるさい貴様より、この可愛らしい令嬢の方が、よほど俺に相応しい。イリス嬢、改めて俺と婚約してくれるな」


部屋に沈黙が満ちた。

イリスは、動かなかった。

殿下が眉をひそめる。


「イリス嬢?」


蜂蜜色の巻き毛が、ゆっくりと揺れた。


イリスが顔を上げた時——その目は、私がよく知っている色をしていた。泣きそうなのに、泣かない時の、あの目だ。


「……一つだけ、お聞かせください」


イリスの声は、思いのほか静かだった。


「殿下は、お姉様のことをどのようにお思いでございますか」


殿下は一瞬、虚を衝かれたような顔をする。


「……なんだと?」


「お姉様は八年間、殿下のために学び続けてまいりました。深夜まで、倒れるまで。私はずっと、そのお姿を見てきました」


イリスの声は震えていなかった。ただ、静かに、一言一言を置くように続けた。


「殿下がお姉様を『相応しくない』とおっしゃるなら——私は、そのお姉様を尊敬しております。尊敬する姉が相応しくないとされる方と、私が婚約するなど」


イリスは、深く礼をした。


「できるはずもございません。謹んで、お断り申し上げます」


部屋に、静寂が落ちた。

殿下の顔が、みるみる赤くなっていく。


「貴様、俺が誰だかわかっているのか。第二王子である俺との婚約を断るなど——」


「お言葉ですが」


今度は、私が口を開いた。


「妹はまだ十四でございます。イリスの意思を、尊重していただけますか、殿下」


殿下は私を睨みつけた。それから何かを言おうとして——やめた。


「……覚えておけ」


捨て台詞だけを残して、殿下は踵を返した。

扉が閉まる音を、私は静かに聞いた。





後になって知ったことだが、ハルベルト殿下はその後も「真実の愛」を探し続けたらしい。


しかし令嬢たちの間では、すでに殿下の評判は地に落ちていた。婚約者の妹に乗り換えようとした王子、という話は社交界の端から端まで届くのに、さほど時間はかからなかった。


第二王子妃の座は、長らく空白のままだったと聞く。


私はといえば——殿下の家政を長年担ってきた実績を買われ、王宮の財務管理室から声がかかった。深夜まで学び続けた八年間は、どうやら無駄ではなかったらしい。


リリアナス家の台所事情も、少しずつ持ち直していった。


イリスが紅茶を持ってきた。


「お姉様、お疲れ様」


その顔は、あの日俯いていた時とは別人のように、晴れやかだった。


私は微笑んで、カップを受け取った。



やっと、自分の時間が始まる気がした。



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― 新着の感想 ―
第一王子が王に成ったら、第二王子は速攻で排除されそう。
個人的には真実の愛は浮気を正当化しようとした物だと思ってるので当然の結露だと思いますね。
姉妹愛がお互いの窮地を救いましたね✨ 反して真実の愛を追い続ける第2王子。 もしかしたら、親からも跡継ぎの一人としてしか扱われず、とりまきも打算的であり 誰からの愛も受けず 一番惨めなのはこの人かもし…
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