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その人形は、愛した人の顔をしている

その人形は、愛した人の顔をしている。

狂い果てた天才魔術師に造られた魔導人形。特別な魔術が施されたそれは、どんな顔立ちなのか定かではない。

人形は常に笑顔で話しかけてくる。

愛した人の顔で、しかし決して愛した人のものではない声で、人を呼ぶのだ。

「ねぇ、あなた」

「ねぇ、兄さん」

「なぁ、姉ちゃん」

歪で、明らかに本物ではないのに、人間はどうしても強く惹きつけられてしまう。

どんなに魔術を取り払おうとしても敵わない。皆、彼なのか彼女なのかわからない人形に魅了され、呼吸も忘れて死んでいく。


けれど一人だけ例外が存在した。

それは、誰も愛せなくされた少年。ごく普通の人間なのに、心だけ切り抜かれた哀れな実験体。


心がないからこそ、彼は解った。聞こえてしまった。

「助けて」という、ひび割れた人形の叫び声を。


少年はなぜだか、その声を聞かなかったふりはできなくて――人形に手を差し伸べた。


「俺なんかでよけりゃ、助けてやるよ」

 その人形は、愛した人の顔をしている。


 混沌と飢餓と、先行きへの不安で満ち溢れた世界。

 幾多もの諍いが勃発し、平和であった時などここ数十年ない。

 特に、素養のある者のみが扱える魔法ではなく、魔法を基として術式を刻み込むだけの技術――魔術が開発されてからというもの、ますますひどくなった。


 戦に駆り出された者たちは魔術の兵器に殺され、ほとんど帰ってこない。

 それ以外の人々は隠れ潜むように過ごし、なんとか命を繋いでいるというのが現状だ。


 そんな中、某所に、一人の男がいた。魔術に長けた天才魔術師だったが、大切にしていた婚約者を戦乱で失い、狂い果てていた。

 もう一度恋しい人と会いたいという一心で、ありとあらゆる禁じ手をもって造られたのが、件の魔導人形である。


 特別な魔術が施されたそれは、どんな顔立ちなのかすら定かではない。

 なぜなら、その顔は、人の目には最も求める相手のもののように見えてしまうから。


 ――例えば、亡くした相手。

 ――例えば、どこかにいるけれど、永らく会えていなかった相手。


 想いが強いほど、愛が重いほど、人形はその相手の顔を己の顔面に映す。


 人形は常に笑顔で話しかけてくる。

 愛した人の顔で、しかし決して愛した人のものではない声で、人を呼ぶのだ。


『ねぇ、あなた』


 まるで、すぐ傍にいる妻が夫に囁くようだった。


『ねぇ、兄さん』


 まるで、遠く離れて暮らす妹が兄を慕って出す甘え声だった。


『なぁ、姉ちゃん』


 まるで、小さな弟が不安に姉を求めているような泣き声だった。


 歪で、明らかに本物ではないのに、人間はどうしても強く惹きつけられてしまう。

 目の前に愛しい人のようなモノがいて、魅入られずにいられるだろうか。求めずにいられるだろうか。


 どんなに魔術を取り払おうとしても敵わない。魔導人形に掛けられた魔術は強力であり、もはや呪いに等しかった。


 皆が皆、彼なのか彼女なのかわからない人形に魅了される。

 目を奪われ、心を奪われてしまえば終わりだ。


 最初に忘れるのは呼吸。次は鼓動。最後は『生』そのもの。

 愛した人の笑顔に見つめられながら、ゆっくり最期を迎える。


 誰も彼もが人形を前にして死んでいった。

 創造主の天才魔術師も、魔導人形に立ち向かった英雄も、あらゆる国の王や皇帝も。


 やがて人形は『微笑みの死神』と呼ばれ、恐れられるようになった。



 * * *



 魔導人形は、いつも笑顔なのに時々悲しそうな音を立てる。

 きぃんきぃんと、それはとても冷たくて、寂しい。


 ――ねぇ。


 ひっそりとした森の中、小さなお城に似た場所を見つけて、門を叩いた。それはとある研究所だったのだが、人形にとってはどちらでもいいことだ。

 中からそっと顔を覗かせたのは、いかつい門兵だった。


 ――ねぇ、兵隊さん。どうか……。


 言いかける間に、門兵は死んでいた。

 とても幸せそうな表情で。


 ここに来る前に立ち寄った、大きなお城でもそうだった。

 その前も、その前の前も、同じだった。


 ――誰か。


 ここなら、人形の知りたいことを知っている人がいるかも知れない。

 人形を見て、正しく人形と理解してくれる人がいるかも知れない。


 ――誰か、ワタシの声を聞いて。


 死体の山を作っても、歩みを進めるしかなかった。


 きぃんきぃん、きぃんきぃん。

 人形はただ咽び泣く。



 * * *



「『微笑みの死神』が来たぞ!」


 周囲が騒がしくなったのは、突然のことだった。

 微睡んでいた少年は、眠りを妨げられて、「うー」と唸りながら顔を上げた。


 彼の四肢は鎖で壁に繋げられている。

 しかし少年にそれを気にする素振りは微塵もなかった。


 ここは小さな研究所。

 薄暗く黴臭くて、牢獄同然。魔術を専門とする研究者たちが実験台を甚振り、ただ生かし続けるだけの場所である。


 しかしその地獄が、乗り込んできたモノによって乱されたらしい。


「見張りがやられた」

「とうとうここも見つかったか……!」

「どんどん中枢に来るぞ。奴の狙いは?』

「殿下だろうな。死神は高貴なお方の命を決して回ってるって噂だ。殿下を差し出せば許される可能性はあるぞ』


 殿下というのは知っている。この研究所で一番偉い奴で、少年も何度か話したことがある。

 ただ、それだけの相手だけれど。


「馬鹿なことを言うな。まとめて魅入られるに決まってるだろうが」

「クソ、『微笑みの死神』め!」


 『微笑みの死神』。

 それが何なのか、少年には別に興味がなかった。


 まもなく、何人かの研究員が少年の元へやって来る。


「こいつはどうする?」

「放っておけ。どうせ、失敗作だ」


 顔を覗かせたのはほんの一瞬。

 すぐに少年は不要と判断された。


 ――ここに捨ておかれるのか。じゃあ俺、もうすぐ死ぬな。


 そうと知っても、彼の心は少しだって動かない。

 恐怖もしない。歓喜もしない。


 何せ、心を失ってしまったのだから。


 魔術は何もかもを破壊する兵器を生み出す。

 魔術は命のないモノを生きているかのように動かすことを可能とする。

 さらに、魔術は人から心さえも奪うことができる。


 人はなぜ死を恐れるのか? 心があるからだ。

 戦においてみっともなく足掻き、逃走する兵士たち。それを見兼ねた国が、魔術研究所に指令を下した。


 『忠実なる戦闘人間を作り上げよ』と。


 その結果が少年だ。

 元は普通の人間でしかなかった彼は歪められ、何があっても何かを想うことはない。


 状況を観測し、意味もなく思考を巡らせるしか脳のない人間もどきは、研究員が開けっぱなしにした小部屋の戸口から外を眺めた。


 ――へぇ、これは大惨事だな。


 きぃんきぃんと音がする。

 それが『微笑みの死神』から鳴っているのだと気づいた時にはもう遅い。

 逃げ切れなかった研究員が倒れる。怒号が聞こえる。一滴の血も流れない、恐ろしく幸せな地獄絵図が出来上がっていた。


 『微笑みの死神』は、殿下を探しているのだろう。

 殿下はもう逃げただろうか? 逃げていようがいまいが構わない。どうせ、少年の方が早く死ぬ。


 きぃん、きぃんきぃん。


 『微笑みの死神』が部屋の前で立ち止まった。

 そして――。


 くるり。


 身に纏うだぼだぼのローブを翻し、振り返って、『微笑みの死神』は少年を見つめた。

 見つめて、呼んだ。


『ねぇ』


 その声はひび割れていた。

 ひどく耳心地が悪くて、胸が痛くなるような、そんな声。

 聞き覚えなどない。違和感すら感じない。


 きっと自分も笑顔を浮かべて死ぬのだろう……そう思っていたのに、少年の頬はぴくりとも動かない。

 むしろ顔を顰めた。


「なんだこいつ」


 それが少年が抱いた第一印象である。

 そもそも彼は、それが魔導人形である事実を知らない。


 少年は、『微笑みの死神』をじっと見つめ返してみた。


 白くすべすべとした肌は、ガラス素材でできているように見える。

 無色透明のガラス玉を嵌め込んだだけの瞳、高過ぎも低過ぎもしない鼻、薄くて色のない唇。表情は無そのもので、微笑みからは遠かった。

 人の顔にすら見えない、何の変哲もない人形だった。


 だというのに、こぼれ落ちそうな瞳が、泣いているように見えて。


『ねぇ、君』

『ワタシの声を聞いて』


 人形は悲痛な叫びに震えていた。

 あれほど大勢殺しておきながら。死神と呼ばれる存在でありながら。


 なんと言えばいいのか、そもそも応えるべきなのか。

 戸惑う少年が口を開こうとしたその時、ドタバタという足音がして、複数人が走り込んできた。


「脱出経路が封鎖されてやがった」

「殿下、こちらです!」


 殿下と、その仲間たちだ。しかし彼らは『微笑みの死神』に鉢合わせてしまった途端、ぴたりと立ち止まる。


 『微笑みの死神』に、愛した人の顔を映して見たからだ。


 呼吸を忘れていることに気づかず、ただ立ち尽くして――よだれを垂らして笑いながら、静かに息絶えていく。

 その光景の、非現実感と言ったら。


『どうして』

『どうして』


 どうして? どうしてと首を傾げたいのはこちらの方だ。

 何かをした風には見えなかった。表情一つ変えていないように思える。が、魔術か何かで人を狂わせたということだけは確かだった。


 『微笑みの死神』の異名の意味を、少年はようやっと理解した。

 けれども、少年だけはなんともないままである。正気のままで、彼か彼女か知れないそれの願いを聞いた。


 誰もが心の臓を止めてしまい、今まで聞かれたことのなかった言葉を。



『ねえ誰か――ワタシを、助けて』



 少年に心はない。そんなものがあればとっくに死んでいる。

 心がないのに、否、心がないからこそ、届いてしまった。


『教えてよ』

『どうして、みんな死ぬ?』

『誰か、ねぇ誰か』

『独りは嫌だ』


 ――なんだよ、それ。


 少年は笑った。くだらない、と。

 こんな殺戮人形にさえ、くだらない感情があるものなのか、と。


 だから、聞かなかったふりができなかったのだと想う。

 気づけば『微笑みの死神』に手を差し伸べてしまっていた。


『……?』


 わけがわからない、とでも言いたげに沈黙する『微笑みの死神』。

 少年自身、何をやっているのかと驚いた。


 でも差し伸べてしまったものはしようがない。

 ただじっと待って、それでも何の反応もなかったので、はっきりと伝えてやる。


「俺なんかでよけりゃ、助けてやるよ」

『誰? 誰なの、君は』

「俺はただの実験台さ。実験台だった、かな。お前のおかげでこの研究所は壊された」


 晴れて自由の身だ。と言っても、まだ鎖に繋がれたままだけれど。


 このままでは野垂れ死ぬこと間違いなし。

 死ぬのは嫌ではないが、せっかくだ。ここから生きて出させてもらうとしよう。


「多分お前の力……おそらく魔術は俺に通用しない。そんな俺なら、お前を助けになれるかも知れない。その代わり、俺を連れてってくれや」

『うん、いいよ』


 人形の表情になんら変化はない。けれど『ありがとう』と言った。

 少年の心にもやはり変化はない。けれど『よろしく』と笑った。


 そして、二人の掌が重ね合わせられた。



 * * *



 これは、心のある殺戮魔導人形と、心を失ったただの少年の物語の幕開け。


 まだ誰も知らない。

 歪な二人が、どうしようもないこの世界を滅ぼして、笑顔で死ぬことになる未来を――。

暗黒ファンタジー冒頭企画 参加作品

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