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夜伽に呼ばれてはならない偽娘後宮妃~間違えて連れて来られた男は後宮で生き延びたい~

 可愛い可愛いと言われて育ってきたが、まさか本当に女扱いされる日が来るとは考えもしなかった。

男なのに女と思われて皇帝の使いに見初められてしまった春蕾チュンレイは、妃として女たちの欲望と嫉妬が入り混じる後宮へと放り込まれてしまう。

 勝手に連れてこられたにもかかわらず、男だと知られては追い出されるどころか女の薗を穢したとして斬首待ったなし。なので絶対の絶対に、夜迦に呼ばれてはならない。

 ひっそり生きてひっそり後宮を出たい春蕾。だがもちろんそう簡単なわけもなく――生まれ持った《先見》という力で見えた未来で、彼は無惨に殺されていた。

 「春蕾(チュンレイ)。朕はお前のことを好ましく思っている。抱いても良いか」


 此方の顎にそっと手を添え、完璧としか形容のしようがない顔面が迫り来る。

 本当なら全力で拒否しなければならないと頭では理解しているのに、見惚れてしまい、頭に霞がかかったようになっていた。


 「皇上、なりません。お……いえ、私は卑しい平民の出でございます。それに、」


 口から出るのはまるで言い訳のようで、我ながら情けなくなってしまう。

 いけないのに。嫌がって見せながら実は誘っているような、よくある口上に聞こえてはいけないのに。


 それに、の続きが出てこないのは、命が惜しい以前にこの御方に嫌われたくないからだろう。そう思うとたまらなく恐ろしい。

 緊張と恐怖と……色々な想いが綯い交ぜになる中。全てを許してくださると錯覚するほどの、聞くだけで耳の奥まで蕩けてしまいそうな美声が鼓膜を叩いた。


 「偽娘なのであろう? 構わぬ」


 そう告げられると同時にやわらかな感触で口を塞がれ、『何故それをご存知なのか』と問うことは叶わなかった。


 そして、ふにゃりと全ての感覚が溶けて。

 衣を剥がされ、されるがままに弄ばれ始める。



 *–*–*



 目を覚ました瞬間、とても厭な夢を見た、と思った。

 あれはただの夢だ。己を押し倒したあの方は見知らぬ相手ではあったが、このおかしな状況が生み出した夢の中の存在に違いない。

 だから決して《先見》ではない。そう自分に言い聞かせ、なおも不安が収まることはなかった。


 ゆらり、ゆらりと揺れる行燈の光が、薄明るく部屋を照らしている。

 高貴なる御方と睦み合っても良いように豪華に設えられた寝床。しがない商家であった生家のものと比較すれば天界へ迷い込んだのかと思える快適さであるにもかかわらず、憂鬱さに面を俯けてしまう。


 ここがもしも後宮でなければ少しは楽しめたろうに。

 恨めしく思うべきは、ここ半ば誘拐のような形で連れてきた男か、あるいは己の顔面か。とんでもないことになっているということだけは確かだ。


 「来ませんように来ませんように来ませんように……」


 多くの女が夜伽を望む中、必死に願うのは夜を孤独に過ごすこと。あの夢のようなことがあってはならない。

 誰も来なければ一番良い。三年間。そう、ここから三年の間だけ夜を一人で過ごせたならば、何も問題はないはずである。


 サッサッサ、と足音が聞こえる度、ぴくりと小さな肩を震わせた。

 扉が開かれないことを祈りながら心の臓が悲鳴を上げ、荒い息を漏らしそうになるのをどうにか怺える。


 どうしてこんなことになってしまったのだろう。

 宦官でもなければ高貴なる御方の腹心でもない男の()が後宮に、しかも妃として存在するなんて、どう考えても非常識極まりない。

 夢ならば眠って起きてしまえば解決するどころか、むしろ厭な夢を見てしまっただけで全くその気配がないのを見るにこれは現実なのだ。


 後宮入りに至る経緯は、完全なる不可抗力であった。

 近所をぶらぶらと歩いていたら皇帝の使いに声をかけられた。


 「お主、器量が良いな。こういう変わり種なら喜んでいただけるかも知れぬ」と。

 何事かと戸惑っている間に牛車に乗せられ、気づけば絢爛な女の薗の中。どうやら俺は女と間違えられたらしいということに気づいたのは、後宮入りして、皇上に少しでも気に入られるように努めよなどと言われた時である。


 俺は可愛い可愛いと言われながら育ってきた。

 女だったら売り物になったのにねぇ、なんて嘆かれるくらいの愛らしいと称される類の顔立ち。そこそこ裕福であ食うものに困らなかった商家の育ちでありながら背があまり伸びずに余計に娘のように見えると周囲の人々に揶揄われていたのを思い出す。

 だがまさか本当に女扱いをされるなんて考えもしなかった。


 後宮とは、皇帝と齢十四までの皇子を除く全ての男が立ち入ってはならない禁断の地。

 だから言い出せなかったのだ。俺、男なんだ、なんて。


 明かした瞬間どうなるだろう。

 男が後宮妃になるなど、通常は絶対にあり得ない。後宮妃の役目は皇帝の寵愛を賜り抱かれて多く子を成すことであり、女人でなければ務めを果たせるわけがないからだ。

 男根を絶たれて男でも女でもない宦官になるだけならまだ良い方で、性別を偽ったとして奴隷に身を落とされかねない。決して偽るつもりなどなかったと言っても、皇帝の使いが間違えたことにはしたくないだろうから、きっと罪をなすりつけられる。


 さすがに奴隷になるのだけは御免被りたい。

 となると、男だと気づかれぬままで後宮を出なければならないのだが……その条件は、皇帝のお眼鏡にかなわずに三年の月日を過ごすというものだった。


 そんなの簡単ではないか、と楽観視したいけれどもそう呑気に言っていられなさそうだ。

 こんな可愛らしく着飾ってしまったのでは、適当な相手にちょうどいいと思われてもなんら不思議はないのである。

 少し長く伸ばしていた髪は梳かされ綺麗に編み込まれ、顔には薄く白粉がはたかれて、どこからどう見ても女にしか見えなくなっていた。こういうのを偽娘(男の娘)というらしい。

 上位の妃、四夫人や九嬪ほど華やかではないにせよ上等な女物の衣は、心労のせいかずっしりと重く感じる。


 《先見》を使おうとしても明瞭な未来が見えてこない事実がますます不安を煽る。

 そもそもここへ連れて来られるのをはっきりと予見できなかった時点で、あまりあてにはならないのだが、現状頼れるものがこれくらいしかない。


 《先見》とは俺の持つ神通力の一種だ。

 神通力を持って生まれてくる者は多くはないが、特別というほどでもなかったりする。例えば現皇帝も何らかの新通力を持っているというし、千人に一人は有する力であるのだそうな。


 俺はこの力で商売が傾きかけた生家を救ったり、商売相手が詐欺師ではないかどうか見定めるなどしてきた。けれども便利と呼べるような代物ではなく、思い通りのものが見えたり見えなかったり、あるいはふとした瞬間にこの先に起こる出来事が絵のように思い浮かんだりと結構まちまちである。

 今朝、美しい宮殿のようなものが見えたので不思議に思っていたら、まさかの後宮だったのだ。


 《先見》で見た未来は回避できる。

 よほど俺の身に危険が及ぶようであれば《先見》が教えてくれるはずだ。そう思っていてもやはり気分は晴れないままで、鬱々とした気持ちは変わらない。

 静かに静かに更けていく夜の空を窓辺から見上げ、ただ只管(ひたすら)高貴なる御方の訪れがあるまいかと怯えながら、新たな《先見》が舞い降りてはくれまいかと淡い期待を寄せながら、耐え忍ぶ他なかった。




 一睡もできずに日が昇った翌朝。

 使い慣れない白粉で目元の隈と顔色の悪さを直されてから、あてがわれた一室を出た俺は一人の女人と出会した。


 一目でこの後宮において高い身分にあると伺える衣、目が痛くなるほどに眩しい簪。

 天女の如き容貌でありながら近づきがたい刺々しさがある。彼女はちらりと此方へ目をやって、ふんと鼻を鳴らす。


 「そこの小娘、見かけぬ顔ね。名をなんと申す?」


 問われて、俺はしばし沈黙した。

 下手に声を出せば男だと見抜かれてしまうのではないか。声変わりはまだだが、少女よりは雄々しい声をしているはずだ。

 しかしだからと言って無視をすればおそらく首が飛ぶだろうし、迂闊な発言をしても同じ。


 冷や汗が背筋を伝うのを感じながら、震える声で名乗りを上げなければならなかった。


 「お、お初にお目にかかります。春蕾(チュンレイ)でございます」


 女のようにも聞こえる名であったのは幸いと言えよう。

 おかげで偽名を使わずに済む。たかが商家の息子ごときが偽名を使いこなせるはずもなく、きっとどこかで口を滑らせてしまっていたに違いない。


 「品のない平民には似合わぬ名だこと。そなた、皇上への捧げ物としてここへ来たのでしょうが、寵愛を受けられるなどと思い上がってはいけないわよ」


 「は、はぁ……。承知しました」


 敵視されているのは皇帝を奪い合う敵として認識されているのが理由か。まったく面倒臭いことこの上なかった。


 言われずともその気は全くないのだが、と思いながら控えめに頭を垂れる。

 そして顔を上げようとして――脳内にとある映像が瞬いた。


 それが《先見》だとわかったのは感覚でしかない。

 夜闇を背景に、ぼんやり月光を跳ね返す真紅の水たまりの中で俺が……後宮妃の姿をした俺が倒れ伏している。

 力が入らないのは脇腹を刺されたからか、刃に毒でも塗られたのか。命の灯火が消えかける無様な俺を見下ろす女が「馬鹿ねぇ」と高笑いする声が聞こえた。


 その声は、嘲笑と嫌悪感を滲ませる表情は、今俺の目の前に立つ(ひと)のものであった。



 ――俺にとっての脅威は、どうやら皇帝だけではないらしい。



 呼吸が乱れ、背中につぅっと冷や汗が流れ落ちていく。

 動揺をどうやって誤魔化せばいいのか、俺にはわからなかった。

第二十二回書き出し祭り第三会場 参加作品

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