隣の席の青木さん
「あ、青木さん、ぼ、ボクと付き合ってください!!!」
高校に入って最初の夏休みを控えた終業式の日。
ボクは同じクラスで隣同士の青木さんに人生初めての告白をした。
別に罰ゲームで告らされているわけでもないし、人生二周目で勝算があることを知っているわけでもない。
単純にボクの一目惚れ。
入学してからずっと好きで、日に日に想いが募ってここ最近夜も眠れなくなってきているし、夏休みでずっと会えないなんて耐えられないと思ったから告白することにしたんだ。
「……とりあえず落ち着け。こういうのは普通どこかに呼び出して二人きりになってからするものじゃないのか? 屋上へ行こうか」
しまった……言われてみれば突然廊下で告白するとか変だよね。ボク、周りが見えていなかったみたい。
青木さんに誘われて二人で屋上へ移動する。
「いきなり廊下で告られて何事かとびっくりしたぞ?」
青木さんが分厚い黒縁眼鏡をくいっと上げて笑う。
「ご、ごめん……告白するの初めてだったからつい……」
「ついって……南雲、お前なんかすごいな」
褒められているのか呆れられているのかわからないけど、とりあえず怒ってはいないようで少しだけ安心した。
「それで? 私に付き合って欲しい、そういうことか?」
「う、うん……」
分厚い眼鏡のせいで青木さんがどんな表情をしているのかわからなくて怖い反面、わからなくて良かったとも同時に思う。
「ふーん、でもなんでまた私なんだ? 席が隣だったから?」
「いや、入学した時に一目惚れして、隣でずっと見ていたらどんどん好きになって……」
「ずっと見ていた? なかなか重いな南雲」
「ご、ごめん……でも目が離せなくて……気が付くと自然に追いかけてしまうんだ。こんなの気持ち悪いよね?」
「そうだな、なかなかキモイ。だけど正面からはっきり言われるのは悪くないと思うぞ」
あれ……? 思ったよりも……好感触……なのかな? 少なくとも嫌われている感じではないような。
「そ、それで……どうかな?」
「うーん、付き合ってあげても良いんだけど、私にはちょっとした秘密があってね、たぶんそれを聞いたら付き合いたいなんて思わなくなると思うぞ?」
青木さんの口角が少しだけ上がったような気がする。
ボクが付き合いたくなくなるような秘密って一体……?
「秘密って、ボクが聞いてしまっても良いの?」
「ああ、構わない。どうせ記憶を消すから」
記憶を……消す? さりげなくすごいことを言っているけど。
「えっと……記憶を消すって痛かったり?」
「あはは、そうだな、かなり痛いぞ」
もしかして記憶が無くなるまでボコボコに殴られるとか?
それは嫌だけど――――でも、
「わかった、聞かせて青木さんの秘密を」
「……良いのか? 死んだ方がマシって言うレベルで痛いんだぞ?」
「構わないよ。青木さんにどんな秘密があったって、ボクが嫌いになる事なんて絶対にないから」
「……そうか。本気……なんだな。わかった、それじゃあ話すよ私の秘密を――――」
「私はね――――」
なんだろう……実は宇宙人だとか? 実は男でしたとか? 怖いけど聞かなきゃ前に進めない。
「――――眼鏡が本体なんだ」
「……へ?」
「だ~か~ら~。私の本体は眼鏡なの。だから諦めた方が良いって」
良かった。宇宙人や男よりもずっとハードルが低かった。
「えっと、ということは、もし眼鏡を外したら身体はどうなっちゃうの?」
「えええっ!? 気になるのそっち!? ああ、眼鏡を外したら身体はただの肉人形みたいになっちゃうな。だから人前では外せないんだ。風呂に入るときも、寝るときも……な?」
なるほど……それはなかなか大変そうだ。
「わかった。じゃあボクと付き合ってください」
「はあっ!? 南雲お前ちゃんと話聞いてたか? 自分で言うのもなんだけど、眼鏡と付き合うつもりか?」
「もちろん!! だってちゃんと実体はあるんだし、心がどこにあるかなんて関係ないよ。青木さんは青木さんだし」
ボクは黒縁眼鏡も含めて青木さんを好きになったんだ。だから気持ちは変わらない。
「……やれやれ、そこまで言われたら仕方ないな。わかった、付き合ってあげるよ」
「本当!!」
「ただし……別れるときは記憶を消すから覚悟はしてくれよ」
「うん、大丈夫だよ。死ぬまで一緒に居るつもりだから」
「……だから重いって」
分厚い眼鏡越しでもわかる。青木さんが笑っているのが。
眼鏡も心なしか笑っているように見えてくる。
「ねえ、青木さん、眼鏡も笑うんだね?」
「大丈夫か? 眼鏡が笑うわけないだろ。物理的に不可能だ」
眼鏡が本体の人に物理がどうの言われるのはどうかと思うけど。
何はともあれ、青木さんとお付き合いすることになったんだ。
夏休み、楽しみだな。
「え? デートに行きたい?」
「うん、だって付き合うんだし、明日から夏休みでしょ? 青木さんの行きたいところとかない?」
遊園地とか映画館とか……あ、水族館なんかも涼しげで良さそうだよね。
「じゃあ眼鏡ショップかな。隣の市に大型の眼鏡専門店がオープンしたんだよ。前から行ってみたかったんだよね」
「う、うん……わかった」
眼鏡ショップか……。ある意味テーマパークとも言えなくもない……いやないか。
「興味ないなら無理しなくても良いぞ。私一人で行ってくるから」
「ううん、ボク一度も眼鏡ショップ行ったこと無いから興味があるんだ。それに――――」
「それに?」
「もっと眼鏡のことを知りたいなって……」
「ば、馬鹿野郎っ!? いきなり照れること言うなよ」
「悪い、待たせたな」
「ううん、全然待っていないよ」
翌日、待ち合わせ場所にやって来た青木さんは、黒縁眼鏡に水色のワンピースを着てやって来た。
「ど、どうした? 何かおかしいか?」
「いや、青木さんはどんな格好しても似合うなあって。まるで夏の妖精みたい」
「よ、妖精って……そんなファンタジーな存在じゃないぞ私は」
そうかな? 眼鏡が本体なんてとってもファンタジーだと思うけどな。あ、むしろSFなのかな?
「ねえ、青木さん、ボクたちって周りからどう見えているんだろうね?」
「うーん、そうだな、姉と弟」
そうなんだよね。ボクは背が低くて童顔だし、青木さんはスタイル抜群、背が高くて手足も長い。
絶対にカップルには見えないんだろうな……。
「あはは、なんだそんなこと気にしていたのか? それなら腕でも組むか? 少しはカップルらしく見えるかもしれないぞ?」
青木さんがそっと手を差し出す。
ボクは――――
「そこの彼女、俺たちと一緒に海に行こうぜ?」
いかにも遊び人風の男二人が、後ろから声をかけてきた。
「ごめんなさい。カレとデート中なので」
青木さんにカレなんて言われて心臓が跳ねる。
「ああ? カレって……ああ、そんなヤツ放っておいて俺たちと遊んだ方が楽しいって。ほら、行こうぜ」
断っているのにしつこく誘ってくる男二人組。
「いい加減に――――」
前に出ようとしたら、青木さんに引き留められた。相手にするなと首を横に振る。
「行きましょう」
「う、うん……」
「って、おい!! 無視すんなよ眼鏡ブス!! どうせ眼鏡外したらヒラメみたいな顔してるんだろうぜ!! 見せてみろよオラ!!」
「いやっ!?」
男は強引に腕を掴んで、青木さんの眼鏡を叩くように弾き飛ばした。
「な、なんだよ……めちゃくちゃ可愛い――――」
「青木さんっ!?」
崩れ落ちるように座り込んだ青木さんの身体を支えながら叫ぶ。
弾き飛ばされた黒縁眼鏡が地面に落ちてしまったのだ。早く拾わないと……
「ああ? 大袈裟なんだよ、こんなダサい安物眼鏡なんて捨てちまってコンタクトの方が良いぜ?」
男の一人が足元に落ちている黒縁眼鏡を拾って――――
――――車がビュンビュン走っている車道に投げた。
「やめろおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
車道に飛び出し手を伸ばす。
「駄目だ南雲!!!!!」
脳内に直接響くその雷のような青木さんの声に一瞬身体が固まって――――
ボクの身体ギリギリのところ、皮一枚向こうを車が通り過ぎて行った。
――――パキンッ
「うわあああああああああああああああ!!!???」
砕け散った眼鏡の音が耳から離れない。
「嘘だ……嘘だ……嘘だ……」
必死に破片を拾い集める。ぐにゃぐにゃに曲がったフレーム、粉々になったレンズを抱きしめる。
手が切れて血が流れるけど関係ない。そんなことどうでも良い。
「馬鹿じゃねえの。たかが眼鏡で大袈裟な奴だな。彼女も気を失っちゃったみたいだし、なんか白けたから行くわ」
「……待てよ」
「ああん? なんだよガキ、やるつもりか?」
「……青木さんを返せよ」
「はあっ!? 何言ってんだコイツ。行こうぜ相手してられるかよ」
「待てって言ってんだよ!! 返せ!! 返せ!! 返せよおおおおおお!!!! 青木さんを返せええええ!!!」
こいつらを殴ったって青木さんが戻ってくるわけじゃあない。でも許せない、こいつらだけは許せない。
「はあはあ……弱いくせに……格好つけやがって……」
ごめんね……頑張ったんだけど、二人相手じゃ敵わなかったよ……。
ごめん……キミを守れなくて……ごめん。
悔しいよ……ボクがもっと強かったら……もっと頼りがいがあれば、こんなやつらに付きまとわられることもなかったのに……。
「せめて……道連れにしてやる……」
青木さんが居ない世界なんて生きていても仕方がない。
勝てなくていい。引き分けで良いんだ。
「ひぃっ!? も、もうやめろって……やめろクソガキ、このくそ野郎!! や、やめろ……そっちは車道――――」
殴られても腰が入っていないから効かないよ。痛みなんてもうどうでも良いんだ。
「さあ……一緒に死のう?」
「うわあああっ!?」
腰を抜かした男たちを引きずるように車道へ連れてゆく。
唯一の心残りは青木さんの残された身体だけ――――あれ? どこへ消えたんだろう。
「はい、そこまで」
え……? 青……木……さん?
「……どうして?」
「あのねえ……こういうこともあるから、予備くらいあるって。割れたのは予備の方だよ」
ニヤリと笑う青木さん。
「あはは……そうか……予備があったのか……良かった……本当に良かった」
涙も鼻水も止まらない。青木さんの顔すらはっきり見えない。
「……いくらなんでも泣きすぎだぞ? まあ、気持ちは嬉しいけど」
ハンカチを差し出す青木さんはなぜかそっぽを向いている。
「大丈夫か南雲? まったく無茶しやがって……」
情けないことに青木さんが無事だとわかったら腰が抜けてしまって、背中に背負ってもらっている。せっかくの初デートが台無しになってしまったよ。
「そういえばあいつ等は大丈夫なの?」
「ああ、アイツらの大事な記憶を消してやったからな。家にも帰れないだろうし、ざまあみろだ」
あはは、本当に消せるんだね……記憶。
「それに――――アイツ等良いところのボンボンみたいだぜ? 慰謝料として有り金全部いただいたけどホラ、こんなに持ってやがった」
容赦ないよね青木さんも。
「ごめんね……せっかくのデートが……」
「ん? 何言ってるんだ、医者に寄ったら、そのまま眼鏡ショップ行くぞ。我が分身も買わないといけないし」
「あはは、たしかに」
良かった。デートが終わったわけじゃなかったんだ。
「せっかくだから、次は象に踏まれても壊れないヤツにするか?」
「そんなのあるかな?」
「さあな? でっかい店だからあるんじゃないか?」
なんだか眼鏡ショップが楽しみになってきた。
「でも……お高いんでしょう?」
「なあに、金ならある!!」
得意げに笑う青木さんに、ボクはまた惚れ直してしまうのだった。
おしまい。
イラスト/ ウバ クロネさま