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夕融けの零氷  作者: 蒼
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NONAME

 静寂。そして異質。

 たったの二つで表しても十分な程に、この空間は正しく静寂であり、異質であった。

 出入り口を示す蛍光管があるにも関わらず、関係者以外の立ち入りは厳禁とする鉄の扉は固く閉ざされ、唯一の外部からの通路を遮断していた。

 かくして、ラック一匹がやっと通れる程度の狭い換気口のみが、外部とのパイプ役を担っている。

 とはいっても、壁と同じ素材で造られたタングステンのルーバーを嵌め込んだ換気口は、ラックどころかバグ一匹の侵入も難そうだ。

 そもそも、用途として可也の誤りがあるわけだが。

 温度の一切を孕んでいない空気はひやりと冷たく、僅かとも鼻腔を掠めるものは存在しない無機質さを極めている部屋は、いくつもの機器がコウン、コウン、と呼吸を繰り返す。

 あらゆる干渉も許さないような静けさを破ったのは、電子モニターに映し出されたデータを報告する為に口を開いた、一人の女性研究員だった。

 

「──α_Δ(デルタ)072。照合適正率98.2%。物質濃度、バイタル共に安定。数値に変動ありません。」

 

 糊の行き届いた白衣が、彼女がバインダーの用紙に筆を走らせる度に少し揺れる。はらりと垂れた栗色の髪を耳に掛けた。

 ──ややあって記入を終え、それから、モニター画面の情報と、自身が書いた記録に相違がないかを二度目視し、落としていた目線を再び上げた女性は、ヒンジの曲がったメガネを掛け直す。女性は緩やかな動作で振り向いた。

 次に見遣ったのは、薄緑の液体が満たされた培養層だ。

中には人間が、いや、正確には人間を模した何かが、何本もの細い管に繋がれ浮かんでいる。

顔の造形は、一口で表すなら“精悍(せいかん)”。

詳細を加えるならば、伏せられた睫毛は影を落とす程長く、鼻筋は直線に立体的。

 唇は薄いが、口幅は大きく、輪郭はすっきりと細い。

 ──報告を受けたのは、先程から休む間もなく電子のキーボードに指を滑らせる、初老の男性。


 ふくらはぎ程の丈のある白衣は、長年着古しているのか、袖や腰周りには所々皺が走り、背中から裾にかけても同じく、酷くよれて草臥れていた。

 裾の端が若干外向きに曲がってしまっている。そのわりには染みのひとつも見当たらない。

 着古した様子を除けば、まるでおろしたての様な白さだ。

 

「……他の二体は。」

「滞りなく進行しております。」

「……よし、このまま順調にいけば、漸く第三段階計画(サード・スコア)へ移行できるな……。」

 

 男性は忙しなく動かしていた指を止め、モニター画面の映像をひっきりなしに追っていた灰銀の瞳をゆらりと培養層に向ける。

 それから、ややあって「長かった、実に…。」と熱の篭る、深く長い溜息を吐いた。

 

「いよいよですか、第三段階計画(サード・スコア)……。こちらのプロジェクトを室長から訊いた時は粟立ちました。」


 こぽり。培養液の中に生まれたいくつかの気泡が、個体の輪郭線をなぞりながら揺蕩い上昇してゆく。


「精神を器として、もう一つの人格を新たに植え付ける、……でしたよね?」

「ああ、端的には、そうだ。」


 男性はぽつり、ぽつりと語り始めた。


「個体の成長と共に精神は育つ。どの様な環境下に置かれるかにより分岐点は幾星霜存在する。その伸縮性のある性質を利用し、元ある人格とは別の人格を入れ込み、共生させれば、果たしてどうなるのだろうか?…と。」


 口調は至って穏やかであるものの、灰銀の瞳には燃え滾る情熱が宿っている。


「……これは量産型PLT(プロトタイプ)だが、特異点(タブー・コード)より優れずとも劣らぬ性能を発揮するよう調節してある。」

「確か、こちらのPLT計画(プロトタイプ・スコア)の発案をされたのは室長でしたよね?いち科学者として尊敬致します。何せ、これほどの()()()()()()()()は、私の知り得る限り史実上なかったものですから……。」

「…よせ、尚早だぞ。まだ完遂していない。…だが、そうだな。もしこのプロジェクトが成就した暁には、我々でぱっと打ち上げでもするとしよう。」


 さて、と。男性。


「…喋りすぎた。引き続き宜しく頼む。」

「はい。」


 その様子を、年季の入った背中越しに認めた女性はふ、と口許を緩く綻ばせ、彼女もまた眼鏡の位置を指の腹で整えた後に、手元にある資料に目を通す。

 作業は終盤に差し掛かり、やがて恙無く完了する、…筈だった。

 突如鼓膜を劈くブザー音が、瞬く暇に静寂を呑み込んだ。

 画面に傾注していた男性は、突如として展開されたエラーメッセージに「……何だ…?」と肝をつぶし、おもむろに端にある解除キーを叩く事で対処する。しかし、画面は点滅したまま動かない。


「……Δ(デルタ)072、混入物発見エラーはっせい。直ちに問題の解析に移ります。」


 バインダーを机に置いた女性は、培養層の近くまで足早に移動すると掌を下へ返し、横へスライドさせる。

 すると、管理者を識別したロックコードは解除され、虚空にキーボードが形成された。

 女性が指先で枠を叩く度、呼応するようにこぽこぽと気泡が浮かぶ。個体は依然として瞼を閉ざしたまま覚醒する気配は無い。

 そして、

 

「……混入(エラー)対象不明。摘出不可。Δ(デルタ)072の全機能を停止します。…室長、」


 …数分後。培養層の壁面に映る「error Failed to remove contaminants.」という文字に、女性はついに諦め挙動を止める。

 また、同じく男性も打つ手がないと悟ったのか、垂らされた一本の蜘蛛の糸が、燦然の輝きを目前にして断ち切られたような失望感に打ちひしがれ、意気阻喪と画面の前でこうべを垂れている。

 女性は振り向き、


「……いかが致しますか。」


 彼に一言、尋ねた。


「……この後、検体を調べる。これが終わり次第、検体は分解(とか)しておけ。その後、加熱して蒸発させろ。」

「承知しました。」


 男性は酷く落胆し、呻吟した。


「──また、廃棄(しっぱいさく)か……。」


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