039.久世幹也の貌①
【月代姫乃 2041年 4月 9日 am12:05 新新宿『株式会社 俺』/屋上】
見当をつけて屋上に上がってみると欄干に身を預けた久世のやつの姿を見つけて、わたしは隣に並んでいた。
「……桜庭ちゃんが妙に胆力がある理由、分かったよーな気がする」
「……そうね」
久世は澄んだ青空に浮かぶ、春にしてはずいぶんと大きな雲をぼんやり見上げていた。
スーツを着てまだ一時間と経っていないのにもうだらしなくボタンとタイを緩めてしまっている。やっぱり、スーツとかこいつには似合わない。
わたしは、どうして久世の姿を探して屋上に上がってきたのか。それを考えていた。
「『そういうヤツ』って、言ったじゃない」
「あン?」
分かっていなさそうな返事に、まあ数日前の話だしなと思いながら続ける。
「琴乃の話をした時。言ったでしょ。わたしにも『そういうヤツ』がいたんだなって」
「ああ」
「じゃあ、あなたにも、いたの? 『そういう人』……」
しばらく、久世は黙って空を眺め続けていた。答えたくないなら別にそれでもいいけど。実際、気の知れた友達みたいにお互いを話し合う仲じゃないし。
知れなくてもぜんぜん、これっぽちも問題なんてない。
だけど――
「ああ。いたよ。俺にも、『そういうヤツ』が」
返ってきた答えに、わたしは自分で想像していたよりも衝撃を受けていた。
「そっか」
「ああ」
「いたんだ」
「いた」
「……恋人?」
「いんや?」
「……友達」
「そんなとこだな。俺はあいつのようなヤツをずっと、影から守っていくんだろうなあと思ってた。だがあいつは俺の知らない、俺となんの関係もないところで、勝手にだれかを守って、いっちまった」
「……」
聞いて、なに言おうとしていたんだっけ。いや。最初から特に考えてなかったか。
そこで、久世は鉄柵に片肘を残して体を向けてきた。わたしもなんとなくそれに倣う。
「ま、お前の話を聞いたからな。交換だ。聞きたいことがあるなら聞いていいぜ」
「別に、聞きたいわけじゃない」
「ならいいわ」
やつが皮肉っぽく笑って元の姿勢に戻ったのでわたしも同じくした。
「……」
それから数分間、ただ黙っていた。
久世は空を。わたしは地上を見ていた。
「……友達って、どんな人?」
「普通のやつだったよ。ごく普通のやつだ。中学時代に知り合いになって、家に上がらせてもらうよーになったりして、一緒の高校に上がって……とにかくなんとなくウマが合ってて……自然に、このまま何十年でも一緒にいるんだろうって思ってたな。実際、あいつが今もいれば俺はあいつと一緒に踏深者のチームをやってたと思う」
「…………」
なぜだろう。
自分で訊ねたにもかかわらず、わたしはなんとなくその言葉に答えたくなくて黙り込んでしまった。
また、数分がすぎていった。
「フェイスレスさんはヒーロー、か」
顔を向けると向こうもわたしを見ていた。
「まあ実際、そうなんだよ。俺は昔、『俺はヒーローなんだろうな』ってなんとなく思い続けてたんだ。小さい時からな」
「なにそれ」
相変わらずの突飛な発言に笑うと、あっちも同じように笑っていた。それも意外だった。
「まったくな。だが俺は物心つく前からこの〝力〟に慣れ親しんでた。母親の腹から出てくる時も、『あ~なんかキッツいからちょっとだけ出やすいように道広げたろ』って感覚でちょびっと能力を使ってた気がする。なんかこう、寝苦しい日に布団でもどかすぐらいの感じでさ。めっちゃなんとなくの記憶だけどな。でも実際、数分ぐらいでニュポンって出てきたらしい」
「いやさすがにウソでしょ」
ところがこの怪物は「いやほんとほんと」と軽く流しやがったのだ。
「……」
「……」
呆れたやつ……。
「……だもんだからさあ。ずぅーっと当たり前にあったこの力と、俺は向き合ってきてたわけよ。他人にこの力がないことも当然分かってた。だから、この力はなんなんだろう、どこからきて、なんのためにあるんだろう、ってな。別に哲学してたワケじゃなく、ただ単純な疑問だ」
「ふうん……。それで、ヒーロー?」
「そ。だから俺は、なんとなく、ヒーローになるんだろうなって思ってたんだ。鳥と同じさ。やつらも『ああ、俺はそのうち飛ぶんだな』って分かってるはずだ。俺もそれなんだと思ってた。TV番組とか見ながらさ、『ああ、コレかあ』ってな。でも、それはフツーに思い違いだった」
「……」
「両親にはバレちまったが、おかげで俺はうまく隠しながら生きることを覚えた。友達もできたよ。ちょっと不思議となんでもこなせるヤツとして、そこそこ人気はあったと思う」
……バレてしまった。か。
わたしとは逆なのね。こいつは。
「裏ではいっちょう前にヒーローの練習を気取って、気弱君をカツアゲしてる不良を物陰から捻ったりしてた。なんかあからさまにアヤしく大量の現金を受け渡ししてる連中を事情は知らんけどとりあえず気絶させてみたりとかな。そうこうしてるうちに俺は世界を牛耳ってるらしい秘密結社の存在にたどり着いて、やっぱりいたかコレが俺の敵なんだなとしばらく小競り合いをしてたりしたわけなんだが」
「ほんっとに呆れた……バッカじゃないの?」
ハハハじゃないのよ。
<神秘守護協会>は、別に『悪の組織』というわけではない。〝神秘〟という力が存在するこの世界を管理するにあたってどうしても発生する必要悪を、必要なだけ為しているというにすぎない。彼らは本当に大真面目に『世界の管理者』をやっているつもりでいるのだ。
実際、<神秘守護協会>という存在がなければ、世界が破滅する機会は今の千倍か万倍ていどには多かったことだろう。
わたしが呆れたのは冗談でもなくそんなころから<協会>なんかと個人で戦ってしまっていたのかという、その事実だ。
基本的に突然変異である超能力者は、能力を隠せなかったり暴発させてしまったりして発見され、スカウトを受けて大人しく従うか叩きのめされて大人しく従うかのどちらかの道を歩むのが普通だ。
それをコイツときたら徹底的に世界の裏側に潜っている連中を自分から見つけ出し、自ら首を突っ込みにいったというのだから……。
「ま、思い上がりつったらその時もそうか。<協会>のおかげで思い知ったよ。能力を隠して生きてきただけの俺が彼らと戦うのはなかなかに骨だった。全力を出したことなんてなかったし上手い力の使い方もメキメキ学ばせてもらったよ。……正直、楽しかったな。俺はライバルを得たんだってしばらく思っててハイになってたところがあった」
「<神秘守護協会>もさぞかし迷惑だったでしょうね……」
ハハハ、じゃないの。
普通は抵抗しても魔術師かサイキッカーの熟達者ひとり送り込まれれば終わるの。よしんば善戦したとしてもその次は物量という悪夢が待ってるの。
対抗できてるんじゃないわよ。
「ま、そんな俺だったからそのままだったらごく当たり前のように裏の世界に入っていったろうと思うよ」
「でも、そうはならなかったんだ」
久世の無言は肯定。でも、こいつは今ここにいる……。
「俺はあいつのようなヤツをずっと影から守っていく。そういうヒーローなんだと思ってた。世界の危機だろうが悪の種だろうがサクっと片づけて、そんで戻ってきたら当たり前のよーに登校路でゲームの話をして、放課後にダベって……それが続くのが当たり前だと思ってた。だけどそれが重大な思い違いだったのさ」
「その、人は。大災厄、で……?」
久世は「うんにゃ」と笑いながら首を振る。
「それよりも前だ。世界の異変とかが起こる前。なんの変哲もない日常の休日の中で起こった。裏社会の恨みを買ってた俺絡みでもない、本当につまらない――けれど普通の世間をそこそこには震撼させて、普通の新聞一面には乗るような――そんな事件さ。俺は間抜けなことにその時、抽選券を握りしめてPSの最新機種にアツい視線を送ってたってわけ」
久世はこちらに手を開いて、おかしそうに笑っていた。それがどうあがこうとも悲しすぎる笑いだとしても、本人は心の底からおかしむように。
「戻ったらパトカーがいっぱい。本当、なにもかも間抜けな話だよ。俺は能力もなにも使わず、まっとうな運だけで引き当てて見せたら大いに自慢して、次の日は学校もサボって一緒に遊び倒そうかとか画策を描いていたんだぜ。あいつん家はちっさい子も多いしよく増えたり減ったりするから、あいつん家に置いておこうか、とかな。全部、間違いだった」
「……」
「俺は、これは俺絡みで起こったことだと思ったね。初めて世界に憎悪を覚えたよ。だから必死になった。俺は黒井さんを問い詰めたし、<神秘守護協会>の力で警察庁を黙らせて警察病院に拘留されてる犯人に会いにいったし、とにかく俺につながるあらゆる線を探し出そうとした。ハハ。けれど〝御三家〟に直接聞きにいったところで、そんなものどこにも見つかりはしなかった」
……。
……なんか。
もしかしたらその時のこと、わたしは噂ていどで知っているかもしれない。
それはまことしやかに囁かれる一種の怪談というか禁句で、何万年も続いてきた<神秘守護協会>が滅びていたかもしれないという冗談のような話だ。そこには〝ウルティメイト〟の名がたしかに時折存在していて、『その時、究極という名の〝悪魔〟が生まれたのだ』とする声もある。
「俺は犯人の脳までいじくってがんばったのにさ、出てくるのは頭のおかしい言い分と、あいつのことばっかりだったんだ。ヤツはとっくに壊れてた。俺が正義の味方ごっこで制裁を加えるまでもなく、『弱いもの』だと思ってたあいつに、心底から自分のしたことの愚かしさの代償を刻み込まれてた。小さい子供たちは全員無事。……陰謀もなく。運命もなく。俺にできることなんて、なにも用意されていなかった」
「……」
「俺が守ろうとしていたものが……俺が守ろうとしていたものを。あいつはただ、なにも言わずに守っちまったんだよなあ……」
この時の久世の姿は、どこまでも空に溶けていってしまいそうなほど透明な無表情で。遠い雲の向こうを見果てているはずなのに、なぜか地の底よりも深くうなだれているようにわたしの目には映っていた。
けれどこちらを向いてきた彼の姿には消沈の気配も、なにも残されてはいない。
少しの自嘲と、誇らしさ。
それだけだった。
「守れなかった。俺が守るべき人間だった。世界のなにかしらは俺に関与していて、この世は俺を中心に回ってて。普通人モードを気取って能力を封じていなければ? 俺がさっさと戻っていれば守れてた? ――全部、間違いだった。勘違いだったんだ。だから俺は自分の能力を日常で切り分けたり、遠慮したりするのをやめたのさ。なにもいいことはない。助けたいものは助ける。やりたいことはやる。こいつは最初っから、どうしようもなく俺自身だったんだからな」
「だから、二重生活はやめて〝ウルティメイト〟になったの?」
「ああ。ほかにすることもなくなっちまったからな」
「だから、仮面をかぶって〝フェイスレス〟なんてやっているの?」
「かもな。もしかしたら全部ごっこ遊びなのかも。一番楽しかった『あの時』がもう一度欲しくて、俺はこんなことやってるだけなのかもしれないな」




