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逢魔の刹那に露が降る

作者: 鈴ほっぽ


うんざりするほどの熱気と湿気。雲一つない晴天の、なんでもない一日。

そんな日常の何でもない一日に、私はいつものように家を抜け出した。

父が大きな声で私を呼んでいる声が聞こえたが、私は聞こえないふりをして、自分にはまだ大きい巫女服を着たまま、慣れない草履で目の前の真っ赤な鳥居を潜り、長い石段を駆け下りる。

私が生まれた家は、神社だった。山奥の小さな村に祀られているうちは、昔から村の人たちにとって大切なものらしく、今でも村の人たちが参拝に来る。

両親はそんな神社の神主と巫女をしていて、その間に生まれた私は、必然的に母の後を継ぐ巫女として育てられることになった。

巫女になるのが嫌だったわけじゃない。巫女になるための勉強だって嫌いじゃない。

それでも、毎日のように家を抜け出しては、夕方頃にふらふらと帰ってきて、父にこっぴどく叱られるのには、なんとなく理由があった。

家柄というものが嫌いだった。

 理由と言えるものは特になく、その家系に生まれたからというだけで、自らの未来が決めつけられるのがなんとなく嫌だった。

だから私は父親の教えを聞かず、母親の言葉にも耳を傾けなかった。

学校でうまくいっていないとか、家族が嫌いだとか、はたまた反抗期だからなんてことでもない。

誰が悪いということでもない。ただ私がわがままなだけ。

「はぁっ……はぁっ……」

 息を吸い込むごとに、真夏のむわっとした空気が肺を満たす。

 心地の悪い感覚にむせそうになる。

 それでも足を止めずに、私は石段を下り続けた。

 いったい私は何から逃げているのだろう。お父さんが嫌いなわけじゃないのに、巫女になるのだっていやじゃないのに、どうして、私は……

 気づけば目の前には田んぼが広がっていた。周りが山に囲まれた広い盆地に、いくつかの集落と、それを囲む田んぼが並んでいる。

 その田んぼの周りを沿うように、申し訳程度に舗装されたぼろぼろのコンクリートの道路が敷かれていた。

「はぁ……ふぅー……」

 私は息を整えながら、石段の一番低い段に腰を下ろした。

 綺麗な斑点模様をした蝶々が私の目の前をひらりと舞う。

 ぼーっとその蝶を眺めていると、ぼろぼろな道路を軽トラックが横切っていった。

 軽トラックに押し出された空気が風となってこちらに流れてくる。

 それはそよ風ほどの強さだったが、目の前を飛んでいた蝶はふわりと風に流され、私の視界から消えてしまった。

 少し残念な気持ちと共に、私は我に返る。あぁ、またやってしまった、と。

 どうして私はいつもこうなのだろう。そう思いながら、力なく首を上げ、空を仰ぐ。

 容赦なく照り付ける大陽に、目を細めながら息を吐く。

「はぁ……」

 暑い。じりじりと肌を焼く太陽は、まだ数時間と空に浮かび続けるだろう。

 ただでさえ暑い巫女服を着ているというのに、この天気。身体中から汗が噴き出ているような感覚に、顔をしかめる。

「帰ろ……」

 そんな独り言を呟いて、立ち上がる。

 見渡す限り続く田んぼを一瞥してから振り返り、私は長い石段に足を踏み出し、また息を吐く。

「はぁぁ……」

 長い石段を上りきった後に、父の長い説教が待っていると思うと、憂鬱だった。

 長い長い石段を一段ずつ上っていく。たまに吹く風が周りの木々を揺らし、葉を鳴らす。その心地よい風と音を身に受け、また一歩と上っていく。

「ふぅ……ふぅ……」

いつ上っても長い石段だ。草履を履く足がじんじんと痛んできた。

 頬を汗が垂れる。それを余りに余った袖で拭い、また上る。

終着点を示す真っ赤な鳥居が近付いてくる。

やっとの思いで最上段に足を乗せると、ふっと目の前が暗くなる。

大陽はもうすぐ沈み始め、空をオレンジ色に染め始める頃だからだろうか。

 そうだといいなと思いながら顔を上げると、目の前にどっしりと腕を組み、仁王立ちする父の姿があった。

「。」

 低く、重い声で名前を呼ばれ、思わず背筋がピンと伸びる。

「着替えたら居間に来なさい。」

 鋭い目つきで睨まれ、私はただ、

「はい……」

 と返すことしかできなかった。

 返事を聞いた父は小さく頷いてから拝殿へと歩いて行った。

 私が住んでいる家は森に囲まれた神社の境内にある。とはいっても拝殿や本殿から少し離れたところで、風景を乱さないようにするためか、お寺のような建物になっている。

 拝殿の右側を通り抜け、林に隣接した石畳が敷かれた我が家への道を進む。

すると林のほうから何やらガサガサと音がした。

「っ!?」

 音に驚き、反射的に首を音がした方に向けると、

「あっ……」

 石畳の側の藪から狐が顔を出していたのだ。

 自然豊かな山の中、どんな動物が出てきてもおかしくはない。過去には猪が境内を走り回ったことだってある。

 だから狐が出てきたってなにも驚くことはないのだが、なぜかこの狐はこちらをじっと見てくるのだ。

 私も私で、その狐から目が離せなかった。野生だというのに、毛並みが驚くほどに綺麗で、汚れ一つない。耳はぴんと立っており、まっすぐな瞳は私の瞳と視線をぶつけ合っている。

……どれくらいそうしていたのだろう。

体感では数分、数十分と長い時間に感じたが、実際には数秒程度だったのだろう。

妙にまっすぐな眼差しに私はどうしたらいいかわからず、

「あっ、えっと……」

 と相手が人でもないのに、何か言葉を紡ごうと必死になっていた。

 そして無意識に狐から目線をそらした瞬間だった。

「あ……」

 狐はふいっと顔を背け藪の中へと隠れてしまった。

「なんだったんだろ……」

不思議な狐だった。私の頭の中は狐のことでいっぱいになっていたが、今はそれどころじゃないことを思い出した。

早く帰って着替えないと。父の説教がさらに長くなってしまう。

私は小走りで再び家へと向かった。


翌日……


昨日は着替えた後、父に言われた通り居間で待っていると、母が少し早めの夕飯を作ってくれた。夕飯が出来上がるころに戻ってきた父とは一言も言葉を交わさずに 夕食をとった。それからが地獄だった。父の長い長いお説教が始まったのだ。

私はいつものように正座して顔を俯かせ並べられる言葉を聞き流した。

そんな夫と娘の様子を、母はにこにこしながら眺めていた。

お説教が終わって、父がお風呂に行くと、母が私の頭を撫でながら言った。

「ほんとに結は私に似たねぇ。」

 その時の母は満面の笑顔だった。

いつもより少し早く目が覚めた私は、ベッドに寝転がったまま天井を見上げて昨日のことをぼーっと思い出していた。

今日はしっかりと勉強と神社の仕事をしなさいと釘を刺されてしまったので、さすがに抜け出すのはまずいかな。そんなことを考えていると、目覚まし時計が鳴り響いた。

もうそんな時間か。と思い体を起こして目覚ましを止める。クローゼットを開けて巫女服を手に取り、パジャマを脱ぎ捨てる。毎日同じことの繰り返し。巫女服を着るまではいつもやる気はあるのに、巫女服を着て姿見を見た途端、なんとなくやるせない気持ちになってしまう。

巫女の跡継ぎは私じゃないとダメなのだろうか。姿見から目を逸らし、窓に目を向ける。風が吹いているのか、ざわざわと木々が揺れ、葉っぱが何枚か舞い落ちている。

 そんな光景になんとなく見惚れていると、見慣れないオレンジ色の物体が木々の隙間をすり抜けて、私の視界に飛び込んできた。

「……狐?」

 その狐は、風に揺られる木々のちょうど中央にそっと腰を下ろし、窓から見つめる私をじっと見据えてきた。

あの綺麗な毛並みと、まっすぐな目。昨日見た狐だろうか。よく見ると、狐の周りを囲うように落ちていた葉が舞い上がっている。まるで、あの狐の周りに風が吹いているかのように。

「……」

綺麗だった。

この世のものとは思えない不思議な現象。

私はその光景にまたしても見惚れてしまった。

「結。起きてるか。」

 突如、父が扉の向こうから話しかけてきた。

 私はそれにびっくりして、窓から目を離して慌てて扉を開けた。

「お、起きてるよ。今着替え終わったところ。」

 父は扉の前で、いつものように硬い表情と共に、どっしりと構えていた。

「今日はしっかりと働きなさい。昨日は母さんが結の仕事をやったんだぞ。」

 父は低い声で言った。

「ん……ごめんなさい……」

「謝るなら母さんにしなさい。」

 そう言って父は踵を返し、居間へと歩いて行った。

 私はそれにおとなしくついて行った。

 その後、母が作ってくれた朝ご飯を三人で食べ、みんな一緒に家を出た。

 この暑い時期、参拝客は少なく、暇なことが多いが、私は後を継ぐ巫女として、神社の仕事を覚えなければならない。そのため、参拝客の少ないこの時期はうってつけなわけだ。

「結。まずは境内の掃除からだ。」

 神社に着くや否や、父は笹箒を私に手渡した。

 そこそこ広い境内を一人で掃除しろというのか。なんて理不尽な。

 そんな思いが顔に出ていたのか、父は小さくため息を吐いてから、

「昨日さぼった罰だ。ゆっくりでいいから、やりなさい。」

 と、すこし柔らかな声で言った。

 そう言われては私も何も言い返せない。渡された箒を握りしめ、石段のある側へ小走りで向かった。

 それからしばらく、笹箒を掃く音と木々を揺らす風の音、たまに来る参拝客が揺らすの音に包まれながら、私は黙々と掃いても掃いてもなくならない落ち葉を林に追い返す仕事をしていた。

 空はそんな私におかまいなしに晴れていて、強い日照りが容赦なく私を苦しめていた。

 そして暑さにうんざりしてきた頃。

「結―。少し休憩にしましょう。」

 拝殿の側で参拝客の対応をしていた母がこちらに手を振っていた。

 私は、やっと休めるのか。と半ばうんざりした気持ちでのろのろと母のもとへと向かった。

 母に連れられ、境内の端のほうにある事務所に入ると、父が何やらスーツを着た人と話をしていた。

 私はそれを片目に、母の後について給湯室に入る。

「お疲れ様。お昼ごはん食べて午後も頑張ってね。」

 母が用意してくれたお弁当と、水筒に入った冷たいお茶を貰った私は、特に理由もなく、

「外で食べていい?」と聞いた。

 母は特に嫌な顔をすることもなく、「いいよ。」と言ってくれた。

「ありがと。」と小さく言って、お弁当と水筒をもって外に行こうとしたとき、

「あ、結。」と母は何か思い出したように呼び止めた。

「何?」

 と聞き返すと、母は少し悩んでから言った。

「やっぱり午後のお仕事はやめにしましょうか。疲れたでしょう?」

 なんてことを言った。

 それは私にとってはこの上ないほどうれしい言葉だったが、なぜだろう?

 母がそんなことを言うとは思っていなかったので、私は反射的に、

「なんで?」と聞いた。

 すると母はこれまた少し悩んでから、

「なんとなく?」と首をかしげながら言った。

 なんじゃそりゃ。そんな思いで首をかしげると、母は微笑みつつ言った。

「なんとなくはなんとなくよ。ほら、早くしないとお父さんにつかまっちゃうよ?」

 それは困る。私は母に「ありがとう。」とだけ言ってすぐさま事務所から出た。

 小走りで神社の入り口に向かい、鳥居をくぐって石段を下りていく。

 昨日とは違い、ゆっくりと、のんびりと。母が作ってくれたお弁当を崩さぬように。

石段の中間あたり、ちょっとした踊り場のようなところまで下りると、私は昨日と同じように石段に座り込んだ。

そして水筒のお茶を一口飲んでから、巾着に包まれたお弁当を開く。

「わ……」

 中にはいなり寿司ときんぴらごぼう、ひじきとほうれん草の胡麻和えと、和食で統一されていた。

 神社という家柄か、小さなころから必然的に和食が多かった。だからと言って飽きたりはしない。母の作る料理は絶品なのだ。弁当箱と一緒に入れられていた割り箸を割って、手を合わす。

「いただきます。」

 小さく呟いてから、箸を動かす。

 普段食べているご飯と大差ないほど、母の弁当は美味しい。

 あまり多くは食べない私のことを考えて、いなり寿司の中の酢飯は少なめにしてくれているし、あまりお腹にたまりすぎないおかずで統一されているのもありがたかった。

「ん……?」

 黙々と食べていると、箸を動かす手の甲に、ポツリとしずくが一粒落ちてきた。

 空を見上げると、薄い雲がかかっている程度で、晴天に変わりはなかった。

 しかし、そんな晴天の空から次々と雫が降ってきたではないか。

「わっ、わわわ……」

 天気雨。というものだろうか。今まで生きてきて、初めての経験だった。

 はじめはぽつぽつとまばらなものだったが、次第に雨が強くなってきた。

 半分ほど食べていた弁当を急いでしまい、石段を駆け上る。

 気づけばほぼ土砂降りだったが、太陽はさんさんと光り、世界を照らしている。

 髪は雨を吸ってぐしょぐしょだし、服もびちゃびちゃになってしまった。

「はぁ、ふぅ、はぁ。」

 普段ならもう境内についてもいい頃だと思うが、なぜか一向にゴールの鳥居が見えない。

「はぁ……はぁ……けほっ……」

 おかしい。こんなに石段が長いはずないのに。どんなに上っても鳥居が見える気配がない。

 雨はまだ降り続けている。太陽は依然として光り、降りしきる雨たちをキラキラと輝かせている。

 息が苦しくなってきて、足を止める。

「はっ……はぁ……」

 息をゆっくりと吸いながら、後ろを振り返る。

 石段はずっと下へと続いている。前を向いても、石段はずっと上へと続いている。

 いったい何が起こっているのだろうか。

 訳が分からない。得体のしれない恐怖を感じ、背筋がぞくりとした。

「どうして……?」

 言葉にするも、だれも返してはくれない。今ここには私しかいないから。

 ゆっくりと足を上げ、石段を一段ずつ上がり始める。

 気づけば天気雨はやんでいた。雨に濡れた木々の葉が、太陽光に照らされ鮮やかな緑色をしている。

「あっ……」

 目の前に真っ赤な鳥居が見え、足を止める。

「よかった……」

 いったい何だったのだろうか。もしかしたら、私の感覚がおかしくなっていただけなのかもしれない。そんなことを思いつつ、私は鳥居を目指して再び石段を上った。

 やっとの思いで鳥居をくぐると、神社に着いた。見慣れた拝殿に、そこまで敷かれた石畳。境内を埋め尽くす砂利。

 ああ、帰ってきた。そう思ったのもつかの間。何かがおかしい。

 いつも静かな神社ではあるが、全くと言っていいほど、人の気配がない。

 いつもなら母が拝殿の側にいるはずだし、父が鳥居の側で私のことを渋い顔で待っているはずなのだ。

 なのに、今は誰もいなかった。いや、誰かはいた。私は目の前の光景が信じられなかったのだ。

「……」

 きっと気のせいだと思い、一度周りを見渡してから、もう一度その光景を見る。

 ああ、間違いない。誰かがいる。それが誰かは知らないけど、私の目にはっきりと移っている。

 拝殿の賽銭箱に足を組んで座っている、罰当たりな女性の姿が。

 それだけじゃない。その人には耳が生えていた。普通の人の耳ではなく、狐のようなツンと立ったふさふさした毛が生えた耳だ。

 髪はとても長い桜色の髪で、風も吹いていないのに、そよそよとなびくように揺れている。

 服装も、私が来ているような巫女服に赤紐の装飾を増やしたようなものを着ており、整いすぎた顔は現実離れした美しさだった。

 その人はじっと私のことを見つめている。

どうしてか、私も彼女のことを見つめていた。

彼女のまっすぐな瞳を、どこかで見たことがあるような気がして。

「待っておったぞ。」

 その人は私をじっと見ながらにんまりとした表情で言った。

 凛とした、まるで鈴の音のように透き通った声。そんなに大きな声ではないのに、私の耳にはっきりと残る声だった。

 その声を聞いた途端、私はびくっと体を震わせる。

 まさか話しかけられ鵜なんて思ってなかったし、目の前の人が、本当に人なのかすらわからなかったから。

「どうした?鳩が豆鉄砲を食らったような顔しおって。」

 そんな顔してただろうか。多分してたのだろう。だって私は今とてつもなく驚いているのだから。

「え……と、あなたは……?」

 やっとの思いで口を開くと、彼女はぴょんっと賽銭箱から降り、こちらに近づいてきた。

 座っているときには見えなかったが、耳と同じように、ふさふさとした綺麗な毛並みの尻尾がふわりと現れた。まるで人の身体を手に入れた狐のようだ。

 そして私の目の前にまで来た彼女は言った。

「カミサマ。」

 ………………?

 理解が追い付かない。

 今この狐の耳が生えた不思議な女性は自分のことをカミサマと言った?

 カミサマって、あの神様?

「冗談ではないぞ。は神様じゃ。」

 もしかすると、あの有名なコスプレというものだろうか。実際に見たことはないけど、こういう風な格好をして、そのものになりきるという文化があったはずだ。私はそういうことはよく知らないけど……

「おぬし、信じておらんな?」

「えっ、いやそんなことは……」

 図星を突かれ、焦る。だが、いきなり目の前に現れて「神様です。」なんて言われて信じられるだろうか。私は信じられない。不審者にしか見えない。

 そんな私を見かねたのか、神様と名乗る彼女は呆れた様子で、

「わかった。証拠を見せよう。これなら信じるじゃろ。」

 と言いながら、右手の人差し指を私の顔の前でぴんと立てた。

「よく見ておれ。」

 そういった直後、突然前触れもなく、彼女の人差し指の先に青い炎が現れた。

「うわっ!?」

 驚いた私は反射的に後ろに下がる。が、石段を上ってすぐのところにいた私は、後ろに下がった勢いのまま、石段を踏み外してしまった。

「あっ……」

 一瞬、世界がゆっくりと動く。

 その時、私は見た。石段を転げ落ちようとしている私に、すさまじい速度で近付き私の身体を力強く抱きとめる彼女の姿を。

 呆気に取られていると、彼女はにっこりと笑って。

「これで信じたか?」

 私はおとなしく首を縦に振ることしかできなかった。

………………

 それから数分後。私は神様とお話をしていた。と言っても神様が一方的に話してくるだけだったが。

 その話の中で、私は神様がこの神社に祀られた神であること。普段人が立ち入ることのできない世界に私が入ってこれた理由を聞いた。

「狐の嫁入り?」

「なんじゃ、そんなことも知らんのか。」

どうやら私がここにきてしまったのは、狐の嫁入りというものが関係しているらしい。

「ああ、そうか。今の時代ではそう呼ぶこともなくなってしまったのか。」

 これだから現代っ子は……なんて言いながら、神様はやれやれと言った様子で、

「天気雨の事じゃ。さっき降っておっただろう?」

と空を指さしながら言った。

 それにつられ空を見上げる。

 先ほどと変わりない青空が広がっている。

「雲もないのに、突然降ってくる雨の事を、天気雨と言うだろう?それを昔は狐に化かされたようだとか言い始めた村の者どもが、その不思議な光景と美しさから、狐の嫁入りなんて言い始めたんじゃ。」

「まあ実際のところは妾もよく知らんがな。」

 知らないのか。あんなに知っているような口ぶりをしていたのに。

「妾の場合はそうだったという話じゃよ。よっこらせ。」

 言いながら、彼女は再び賽銭箱にぴょんと座り込んだ。

 それから少し話したのち、私は気になっていたことを聞くことにした。

「あ、あの」

「ん?」

「私は帰れるんですか?」

 すると、神様は目を丸くして、耳をぴくぴくと動かした。そして、

「ふっ……はっはっは!なんじゃ、神妙な顔で言うから何事かと思ったぞ。かっかっか!」

 なんて大笑いした。

「私は真面目に聞いてるんです。帰れないと困ります。」

私は少しムッとしながら言う。

ひとしきり笑い終えた神様は、ふうと一度息をついてから、口を開いた。

「帰れるも何も、おぬしをここに連れてきたのは妾じゃ。」

「……は?」

 てっきり、私がたまたまここに迷い込んでしまったと思い込んでいた。

「言っただろう。待っておったと。」

「そ、それってどういう……」

 どういうことだ。と聞こうとした時、彼女は鋭い目つきで私を見据え、

「おぬし、ここの巫女じゃろう。」

 と私を突き刺すような声で言った。

 ぞくりと背筋が凍り、不思議な感覚が私を襲う。

「わ、私は……巫女じゃない……」

 自然と否定の言葉が出る。私は巫女じゃない。巫女として、私はふさわしくない。

「何を言う。その恰好は巫女そのものではないか。」

 神様は変わらず、鋭い声で言葉を紡ぐ。

「はっ、軽い冗談じゃよ。」

「え……」

 でも、今彼女は私を巫女だと言った。その時の声は冗談交じりの話し方ではないかった。

「今の巫女はだろう?」

お母さんの名前だ。どうして知っているのだろう。

「おぬしはまだ巫女としては未熟すぎる。とはいえ、さすがに怠けすぎではないか?おぬしには知識がなさすぎる。華恋のやつは何をしておるのだ?」

 彼女は母を知っているかのような口ぶりで話す。

 いや、知っているのだろう。実際に私と話しているように、母もこの神様と話したことがあるのだろうか。

「まあ、華恋もいい加減な性格ではあったが……跡継ぎの教育もいい加減とはなぁ……妾の未来が心配で仕方がないな。」

「……お、お母さんを知っているんですか?」

混乱する脳内を、何とか整理しようと、一番気になることを聞く。

「ああ、知っている。華恋がまだ幼いころからな。というより、今も時折会いに来るぞ。」

「……え?」

 さらに驚いた。母は小さなころから神様と……?いや、それよりも……

「今も、お母さんが?」

 母はいつも神社にいるはずだ。巫女の仕事がない間は家にいるか、町に出て買い物をしているくらいのはずだが。

「まあ昔ほど頻繁には来ないがな。だがいつも油揚げを持ってくるのでな、妾も拒めんのじゃ。」

 驚いた。先ほどから驚きっぱなしではあるが、その中でも最大級の驚きだ。

 まさか、母がここに来ていたなんて。しかも、神様と親しいなど、思うはずがなかった。

「華恋から娘が生まれたと聞いたときは、妾でも驚いたぞ?あの男勝りな華恋が、男とくっつき契りまで交わしておったことすら知りもせんかったのにのう。」

 懐かしむ様子で話す彼女はとても穏やかで、先ほどの鋭い話し方をした人と同じ人には見えなかった。

「ところでおぬし。」

 それまで遠い目をしていた神様は、唐突に私に視線を戻した。

「は、はい。」

「いいものを持っておるな?」

「は、はい?」

 神様は私が持つ巾着をぴっと指さした。

「そこからいい匂いがする。嗅ぎ慣れたいい匂いがな。」

 そういえば、天気雨に降られて、半分ほど食べ損ねたんだった。

「で、でも食べかけですし、走ったから崩れてるかも……」

 最悪、濡れているかもしれない。

「気にするな。妾が欲しいのは残っているいなり寿司だ。よこせ。」

 気づけば神様は賽銭箱の上から私の目の前に来て、キラキラと目を輝かせながら巾着を見つめていた。

「確かに一個は残ってますけど……」

 そういいながら巾着を開いて弁当箱を取り出すと、

「うわっ」

 目に見えない速度で弁当箱をかっさられ、驚く。次の瞬間にはふたを開けていなり寿司を頬張る神様の姿があった。

「んん……やはり華恋の作るいなり寿司は絶品じゃなぁ……」

 両手で頬を覆い、うっとりとした様子で彼女はを揺らした。

 体と一緒にふさふさした尻尾と耳がゆらゆらと揺れる。

「……」

 ぽかんと口を開けて呆気に取られていると、神様はいなり寿司の無くなった弁当箱をずいと差し出し、

「相変わらず美味かった。ほれ、残りはくれてやる。」

「あ、はい。」

 ……元々私のお弁当なんだけどなぁ……

「いやしかし、華恋も罪な奴じゃな。」

「え……?」 

指をぺろぺろと舐めながら神様は言った。

「妾のことを知らす為にわざわざここに送り込むとはなぁ。」

 またしても思考が停止する。母が私をここに送り込んだ?

「妾がおぬしをここに呼んだと言ったが、半分は華恋に頼まれてやったんじゃよ。」

 気づけば、陽は傾き、青かった空をオレンジ色に染めていた。

「そ、それってどういうことですか……?」

 木々を揺らしていた風は止み、私と神様の声だけが響く。

「おぬしもいい歳じゃろう。巫女として跡を継ぐか、自分の決めた道を歩むか。それを決めねばならぬだろう?」

「……」

「華恋も気にしていた。自分の娘だからと、巫女の後を継がせるのはおぬしの本当にやりたいことやらせてやれぬのではないかと。」

 知らなかった。普段あんなに優しくて、明るい母がそんなことを考えていたなんて。

「……おぬし。名を何という。」

「……結……です。」

「結、か……うむ。覚えておこう。おぬしが再びここに訪れることがあるのなら、また話をしようではないか。」

 そう言って神様は私に背を向けて賽銭箱へ歩き出した。

 その背中に向かって、最後に気になっていたことを聞いた。

「お、お母さんは、本当に……」

「それは華恋に聞くといい。ほれ、もうじき陽が沈むぞ?帰りが遅くなっては、うるさい神主に怒鳴られるだろう。」

 そして、賽銭箱の前まで来た神様ゆっくりとこちらに振り向いた。

「どうやら、迎えも来たようじゃな。」

 そう言われ、私も後ろを振り向くと、

「お母さん……?」

 母が鳥居の下に立っていた。

「随分遅かったではないか。」

 神様が母に向かって言葉を投げかけると、母はクスリと笑って、

「ごめんごめん。うるさい神主さんを誤魔化すのに手間取っちゃってね。」

 と冗談交じりに返した。

「はっ。自分の旦那をうるさいとは。本当に上手くやっているのか?」

 そして神様も笑いながら言葉を返す。

「それくらい言える仲じゃないと結婚なんてしないってば。」

 私はいきなりのことでぽかんとしていたが、こんな二人を見ていると、自然と顔がほころんでいることに気づいた。

「さ、結。帰りましょうか。」

母はにっこりと笑って、手を差し出した。

私は手を伸ばす前に、神様のほうに向き直った。

「案ずるな。おぬしが望めば、また来れる。」

 それを聞いて、私はなぜか安心した。

 小さく神様に手を振ってから、母に向き直り、手を握る。

 この時の母の手は。普段とは違い、少しだけ、ほんの少しだけ、ひんやりとしていた。

………………

 あれから、数年が経った。

 私は学校を卒業して、生まれ育った村から、町に出た。

 両親は、少しだけ残念そうだったが、二人とも笑顔で私のことを送り出してくれた。

 電車に揺られながら、流れていく景色を脳に焼き付けていく。

また数年後、私はここに戻ってくる。

わがままな私を育ててくれた両親のためにも、私もためにも。

そして、彼女のためにも。

その時には、しっかりと前を向いて、生きていられるように。


そのために、今、私は


最初の一歩を踏み出すんだ。



鈴ほっぽですお久しぶりです。

気が向いたので昔に描いた短編小説を出しました。

最近は創作系の活動が気が乗らないという安直すぎる理由でやってません。

内々での創作とかはやってますが、表に出すものではないなあという感じです。

創作を辞めたわけではないので、また気が向いた時にあいましょう。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

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