一 つかれている 8
「あら、千尋、お帰りー。予定より早かったのね」
家に着くと、母さんがリビングから声をかけてきた。
父さんが不動産屋で時には怪しい物件も扱うため、玄関先には盛り塩が置かれているが、これでは足りないかもしれない。
俺は、念のために結界を張ることにした。
両手で刀印と剣印を作り、そのまま腰の左側に添える。
右手が刀、左手が鞘として、右手をスッと抜き、目の前に五芒星を描く。
最後に両手を広げる。
俺は、これを陰陽師の映画や漫画で知ったわけではない。
前世での記憶がより濃く思い出されるようになってからは、こうやって、身を守るようになった。
幼い頃———まだ前世の記憶が戻っていない———から、人でないモノは見えていた。
その時は、何が邪悪なものかわからなかったから恐怖も抱かなかった。
お盆に親戚の家に行けば仏壇のところに見知らぬ老人がいたし、交通事故の現場に行けば彷徨う霊魂も見たけれど、こちらに危害が加わることはなかったからだ。
ただ、怖かったのは――
『山辺先生の周りに黒い霧が見えるよ』
死期の近い人がわかるようになったこと。
それがオーラなのか、迎えにきた人の影だったのかはわからないが、それを見たあとに身近な人が亡くなったのを数回経験すれば、子供でも軽率に口に出して言わなくなる。
中学生くらいになれば、ハッキリと前世の記憶が蘇り、なぜ自分にこんな能力があるのかも理解できて、あまり怖くはなくなった。
しかし、それと同時に、父の安倍晴明と俺にかけられた呪いのことも記憶が戻り、現世での残りの人生には“虚無” しか感じなくなったのだった。
きっと、鬼より死霊より怖いのは、運命さえも変えるほどの、人の“恨み” だ。
「父さん。そのカレンダーに丸つけした日、きっと雨だよ」