一 つかれている 2
薄暗い廊下に人の気配。こっちにもびっくりして、「ひっ……!」と短い声を上げる。
「なんでそんなに震えてるんだ?」
話しかけてきたのは、よく見たら部の先輩だった。
三年生の橋本千尋先輩――
イケメンだけど、クールを通り越して冷酷な人かと思うほど無口な……。
「あ、あの、橋本先輩も聞きませんでした? そ、そこ、宴会場から悲鳴……」
まだ腰を抜かさないだけマシだったが、震えて歯はガチガチだった。
「……いや」
橋本先輩は表情を変えないまま、私の横を通り過ぎ、廊下の突き当りにあるトイレへと向かって行った。
『え? あの騒ぎが聞こえなかった? 嘘でしょ?』
振り返り、宴会場の方に耳を澄ます。
あれほど騒がしかった部屋からは物音一つせずに、不気味な静けさだけが漂っていた。
『え……空耳だった?』
しかし、先ほど凹んだ襖はちゃんと証拠を残している。
『まさか、皆、同時に寝た? 旅館側から注意されて?』
――それとも、皆殺しに遭った?
考えただけでもゾクっと背筋が凍ったが、どうしても、その宴会の間を開ける勇気は湧かなかった。逃げるようにトイレへ駆け込み、用を足した。
トイレには橋本先輩はもういなかったようだった。